自然豊かなとある町に、グランピング施設を建設する計画が持ち上がる——。
映画『悪は存在しない』(2024年)で、森や水源の汚染を懸念する住民と開発事業者の意見が衝突する場面に横たわる「判断不可能性」(※)。その濱口竜介監督の意図するところは、『悪は存在しない』の音楽を手がけた石橋英子の新作『Antigone』にも確かに通底するものがある。
反逆者として戦死した兄への弔意と、国家の定める法との間で判断を強いられるアンティゴネー。
明確に「怒り」や違和感を口にする一方、迷いや煮え切らなさを隠さない石橋英子が、このアルバムでギリシア悲劇の名を借りた背景にも「判断不可能性」が関係しているようだった。どのようにして『Antigone』が作られたのか、今、音楽と音楽家を取り巻くシステムや社会状況とともに語ってもらった。
※映画『悪は存在しない』パンフレットP.35参照
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日本を拠点に活動する音楽家。ピアノ、シンセ、フルート、マリンバ、ドラムなどの楽器を演奏する。Drag City、Black Truffle、Editions Mego、felicityなどからアルバムをリリース。2021年、濱口竜介監督映画『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当。2022年よりNTSのレジデントに加わる。2023年、濱口竜介監督と再びタッグを組み『悪は存在しない』の音楽とライブパフォーマンスのためのサイレント映画「GIFT」の音楽を制作。2025年3月、Drag Cityより7年ぶりの歌のアルバム『Antigone』をリリースした。

石橋英子が濱口竜介と共有する「怒り」とは
―以前、濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)の取材で、石橋さんの創作の源泉に「怒り」があると聞いて、今回すごく怒っていらっしゃるなと思ったんですね。
石橋:そうですね。濱口さんの怒りも借りたところがありつつ、ひとつの形になったところはあるかもしれないです。
―映画『悪は存在しない』は、もともと石橋さんのライブパフォーマンス時に投影する映像として企画された『GIFT』の「サウンド版」として発展し、映画作品となったとうかがいました。それらの経験が今回の作品にも強く関係していますか。
石橋:ほとんど同時期に並行して作っていましたからね。『悪は存在しない』を見たときに、自分の思っていることや違和感が具体的に映像になって現れた爽快感があって、「濱口さんも怒っていたんだ!」と思う気持ちでそのまま映画の音楽を作ることができました。今作も作品のエネルギーの源みたいなものは通じている部分があると思います。
―濱口さんたちと社会情勢や政治、国際社会で何が起こっているかなど、そういったことを話されたりします?
石橋:あまり世界で起きている問題という大きなトピックではしないですが、生活につながるような話はしているかもしれません。
『悪は存在しない』で濱口さんと一緒にインタビューも受けるなかで感じたんですが、あの映画を社会的なものとして見た人も多かったようなんです。実際、おそらくそこまで社会的なものを描こうとしていたわけではないと思う一方で、生活と社会ってどうしても結びつきますよね。なので、結果的に社会的に捉えられるのもわかります。でも同時に外側に社会的な悪を設定したい人が多いのだなと思います。
―濱口さんの映画は、例えば資本主義やフェミニズム、人権など、社会的なものへのアングルを提示する側面がありますよね。
石橋:そうですね。でもそれは生活していたらどうしても自分の問題として考えざるを得ないですね。
―この『Antigone』にも、そういった意識の高まりがあるのかなと感じました。
石橋:どうなんでしょうね。この数年は日本にいないことが多くて、飛行機での移動中に読む本を探すときに、物語ではなく、ドキュメンタリーのような本を読みたくなって、ハン・ガンやタイの政治史に関する本を読んでいました。
そうしたことと同時に海外のいろいろな国に行くなかで、だんだんわかりやすい、みんなが捉えたい方向に世界が進んでいるのを肌で感じるようになって。戦争が起きたことのショックでもあると思うのですが、反対と声に出さなければ、賛成と同じ、というような考え方も。それはとても怖いことです。
そういったことは常に、前からあったことではあるんですけど、ここへ来て、いよいよというか……以前は予感程度のものが、今あれよあれよという間に人の命に関わるようなことになってしまった。コロナ以降の世界の下降具合はすごいですよね。
―そう思ってくれる人がいるのは心強いですよ。創作の構えとして、シリアスなものに向かうところがあったのでしょうか。
石橋:そういったことは考えていたけれども、音楽はもっと漂うようなものを作りたかったです(笑)。
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「自己責任」という言葉、表現活動する人間への見えない圧力
―こうした世相や音楽に触発されて作り始めたわけではない?
石橋:少なからず反映されているかもしれないですが、世相を取り上げようとしたわけではなく、そのときの気分や自分が日々生活で感じていることが言葉になっているのだと思います。そんなに真剣に歌詞を書くつもりではなかったのに、どうしても込み上げる何かがあったのかなという気はします。
―そのアゲインストな感じはひしひしと伝わりました。
石橋:あとは身近な人が亡くなったことが作品に影響してるところもあると思います。2023年に知り合った方なんですが、平出和也さん(※)というアルピニストの短編ドキュメンタリーの音楽を作ったんです。
2024年7月に平出さんがK2の西側の未踏のルートにチャレンジするから、長編ドキュメンタリーの音楽もお願いしたいという話をいただいて。でも彼は戻ってこなかったんです。そのとき、ネットで関係のない人が好き勝手なことを言っているのを目にしました。平出さんのやろうとしていたことはとてもクリアでした。登山を通して伝えたいことがあった。でも理解しようとしない人こそ大きな声で勝手なことを言う。勘弁してほしいですね。
※日本を代表するアルパインクライマーで、山岳カメラマン。中島健郎とのペアでよく知られ、「登山界のアカデミー賞」と呼ばれる『ピオレドール賞』を3回受賞。2024年7月に世界第2位の高峰K2(標高8611メートル)の西壁未踏ルートに挑戦するも滑落、中島とともに帰らぬ人となった
―「何もせずに家にいろと言うのか」と思うような意見、「創作に税金を使わせるな」というようなロジックも目にします。
石橋:本当にそういう人たちの声が年々すごく目立つように感じますね。ISISに殺害された後藤さんのときもそう思いました。
―2015年に亡くなったフリージャーナリストの後藤健二さんのことですね。そうした声をあげるメンタリティーはなかなか理解しがたいですけども、本当に身近にいる人たちなのだと思います。
石橋:そうですよね。普通に日常生活の近くに存在している。
―「音楽家の責任」のようなものが作品の背後にある気がしたのですが、さすがに大袈裟でしょうか?
石橋:音楽家の責任……実はアーティストは何も背負うべきではないと思っています。だからといって政治的なことを言うべきではないということではありません。誰しもが表現したいことを表現すればいいのだと思います。もし責任があるとすれば、人生をかけて作品を作るということだと思います。ただ今は何か言わなければいけない、というような圧力があることも事実です。
そうした言葉に自分も疲れていたし、きっとみんなも疲れているだろうなと思って、本当はもっといい加減な作品を作るつもりでした。聴いていて漂えるような気楽なものを作りたかったんですが、まだ自分の人間が至ってないからかできなかった。60歳ぐらいまでにはラブソングだけのアルバムを作りたいなと思うこともあるんですが。
―わかりますよ。音楽家として世相がこうだから、逆にふんわりしたものを作品として出すやり方はあるでしょうし。
石橋:そう。でも作っていくうちにだんだん重くなってしまう。
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『Antigone』というタイトルに託した「どっちつかず」であることへの肯定
―『Antigone』というタイトルについてはいかがでしょう。
石橋:このタイトルは、ここまでお話した違和感をどう言葉にしたらいいか考えたときに出てきました。アンティゴネーは家父長制に対抗する女性像として語られることが多いですよね。
でも私は、迷いのなかにあること、ボーダーの上で常に葛藤しながら生きていく感覚をアンティゴネーの物語に感じます。「私はこれ」と強く意思を表明するより、自分や自分が属する世界は正しいのだろうかと疑って多様な価値観の間にいる感覚。『Antigone』というタイトルは、そうしたところから出てきたと思います。

―多様な価値観の間で漂っている?
石橋:そう。その間に墓場があるというイメージです。
―嫌じゃないですか、「墓場」なんて見出しは(笑)。
石橋:(笑)。私、子どもの頃からスパイに憧れていたんです。それはアンビバレントなところにいる人に対しての興味があるというか。
―スパイの「二重性」に憧れていたわけですか?
石橋:そうです。
―今の時代は「決定しろ」という圧力は強いですし、どっちつかずで、両軸にかかっている状態は一番嫌われる。その一方で、否応なしに両義的なところに望まなくても立たされてしまうような状況もありますよね。
石橋:今、一人ひとりがいろんなレベルでそうしたところに立たされているのではと思います。ルイス・ブニュエルの『銀河』(※)という映画があるんですが、そこに出てくるキリストはなんとなくお水をお酒に変えているような変えてないような、盲人を治したような治してないようなブレブレな感じで、そのアンニュイさがたまらない。
―キリストを絶対的なものとして描いていない?
石橋:その描写によってかえって「正しさ」がブレない人間の滑稽さや恐ろしさが浮かび上がってくる。
※2人の巡礼者を主人公にした1968年製作の映画。巡礼の途上で出会うキリストや聖母マリア、さまざまな異端に関する内容といった宗教的描写は「厳密に正確である」と作中で示され、引用された文章やテキストは聖書もしくは古典的な神学書および教会史の著作に基づくものとして制作されている(2025年4月現在、U-NEXTなどで視聴可能)
―実際のキリストも優柔不断だったかもしれないわけですから。
石橋:迷えるひとりの人間だったかもしれませんよね。
―今そうしたところに想像を働かすことを止めてしまう傾向がありますよね。
石橋:想像すると不安になってしまうからなのでしょうか。
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石橋英子の「音楽制作」に向かう構え
―具体的にはどういったところから制作は始まったのでしょうか。
石橋:(ドラマーの山本)達久さんからも「早く次の歌のアルバム作ってよ」と言われたり、『ドライブ・マイ・カー』のときにバンドで歌モノのライブもやるなかで、「そろそろこのメンバーで作ろうか」となっていったのがきっかけですね。もっと簡単に言えばバンドの時間を増やしたかったとも言えるし、まあ、みんなと音楽して飲みたいってことですね。
―昭和のジャズマンじゃないんだから(笑)。
石橋:でもそういう感じだと思います(笑)。

―歌モノは約7年ぶりで、怒りを感じさせるものばかりというわけではなく、美しい曲やポップな曲もあります。
石橋:そうですね。作っているときは聴きやすいというか、自分も演奏してそんなに難しくない曲をやりたかったんですけど、だんだん難しくなってしまいました。
−何を最初に録ったか覚えています?
石橋:“Mona Lisa”です。今回は曲ができあがった順に録りました。3曲ぐらい歌とローズピアノで作ったデモをマーティ(・ホロベック)さんと達久さんに聴いてもらって、まとめてベーシックを録りました。
途中で『悪は存在しない』の音楽も作りつつ、しばらく時間が空いてまた録音して、という制作スケジュールでした。2回目のベーシックを録った日にちょうど『悪は存在しない』の撮影を終えた濱口さんが来てくださって、晴れ晴れとした顔をしていました。
―いい話ですね。今回、アレンジはてんこ盛りというか、非常に充実していると思いました。
石橋:今回は「Drag City」(※)から直接出すことを決めていたのもあって締め切りもないし、じっくりやろうって気持ちで、ひとりでアレンジを考えたり、オーバーダブで入れるひとつの音色を決めるために3日間費やしたりしました。
今回、てんこ盛りなアレンジになったのは、ジム・オルークさんとOsmoseというシンセサイザーを同じ時期に買って、2人ともエキサイティングしていじり倒していた結果かもしれないです。ストリングスアレンジとホーンアレンジは、ジムさんがやりたいと言ってくださったのでお願いしました。
※アメリカ・シカゴのインディペンデントレーベル。実験性の高い音楽も数多く取り扱っており、Stereolabやジム・オルーク、The High Llamasの諸作、石橋英子の『car and freezer』(2014年)や『The Dream My Bones Dream』(2018年)などをリリース
―制作環境は変わらずですか。
石橋:Pro Toolsは使いつつ、本当にアナログ的なやり方で作っています。
―そうしたアナログ的なやり方が音楽を作っている実感があるわけですか。
石橋:そうでないと作れない、たどり着けないところがあるかもしれないです。オーケストラの作品もそう。MIDIで作る人もいますけど、私は一度自分の手で弾いたものをMIDIに変換するやり方です。
―ソフトウェア上だけで完結させるのではなく、一度身体の回路が通ったものが石橋さんにとって音楽という感じ?
石橋:そうです。絶対グリッドもクリックも使いませんし。
―クリックはあったほうが楽だとは思いますが。
石橋:そうなんですけど、飽きてしまうんですよね。向き合っているのが嫌になってしまう。映画のときは別ですけど、基本使わないです。
ー映画はもう本当に秒コマ単位ですから。
石橋:そうですね。

―即興の作品や活動も石橋さんはやられていますが、ご自身の音楽のなかで即興が占める比重は昔と変わりましたか?
石橋:変わらないかもしれません。今回のアルバムだと、ある程度できあがったものに対して、即興でシンセを重ねるというようなことはしました。
―自己対話的な側面もありそうです。
石橋:アルバムではそういう側面もありますし、ライブでの即興もすごく楽しくなってきていますね。ただ昔は誰とでもやってみようと思っていたんですけど、今はもういいかなと思います。
―それはなぜですか。
石橋:ストックや引き出しから繰り出し合うような即興にあまり興味がないからかもしれないです。音楽は大喜利ではないですから。
―それこそ動画サイトとかを見ると、超絶技巧てんこもりで、今の音楽にはスポーツに近い側面もありますよね。YouTubeで「こんなフレーズ弾けます」みたいな映像を見て、すごいなと思いつつ、だからなんだよって思うところがあります。
石橋:自分はやらなくていいかなって思いますね。
―やはり今、音楽の意味合いも変容してきているのかもしれないですね。
石橋:そうですね。やっぱり「音楽を聴く」という体験も決定的に変わってきていますよね。私の場合、映画の音楽をやって、より音楽というものを考えるようになったことも大きいかもしれないです。