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岸田國士戯曲賞受賞の劇作家・山本卓卓による新作音楽劇は、ヒーローのヒューマンドラマ
『愛と正義』は範宙遊泳の代表・山本卓卓、そして劇団子供鉅人を経て焚きびびを結成した益山貴司がタッグを組んだ公演だ。
現在とは世界線が異なる2025年。ヒノムラコチ(一色洋平)は、悪を倒して街の正義を守るヒーローを生業としている。そんなコチは未来予知の特殊能力を持つ妻・ヒノムラソチ(山口乃々華)より、中華街で行われる春節の日に、彼のいとこ・エビナウチ(坂口涼太郎)に殺害されることを予言される。それは5日後である。ウチは、生きとし生ける者の悪感情を寄せ集めたアク(坂口涼太郎)に憑依されていた。アクからの司令を受けて行動するウチを止めるべく直談判に赴くソチであったが、彼に囚われてしまう。ヒーローの同僚・イセガメかれ(福原冠)とその恋人・サクラザカかの(入手杏奈)と共にウチ / アクと対峙するコチは、ソチの奪還と間近に迫る死の運命を変えるべく奮闘する。ヒーローものらしく、ブルーやグリーンの戦隊服や、鬼の仮面を装着した悪役の登場が印象的だ。

山本は言葉に独自の意味を持たせて連想を膨らませ、虚構を重ねる詩的な物語を紡いだ。劇空間は、横長に使用した中スタジオを、客席が3方から囲む仕様に設えられている。そこで俳優は飛び跳ね駆け回りつつ演じるから、運動量は相当なものだ。特にコチを演じる一色は、背負ったタンクなどから劇中、何度も給水するほどだ。さらに俳優に加えてダンスカンパニー・BATIKの大江麻美子と岡田玲奈が、家具やイントレの出し入れを行ったり、アンサンブルの役割を果たす。巨大な布を寄せ集めた家具に被せ、その下に潜った俳優たちが浮き沈むことで能力の行使による地殻変動を表現したり、揺らして大波を表現する。シンプルながら効果的な演出は、益山が得意とするところだ。
加えて本作は全12曲を歌う音楽劇である。その際には、天井から吊り下げられた中華街の街灯を思わせる照明が灯る中、賑々しく歌が披露される。これらの要素が一体となって駆け抜ける作品は小劇場演劇のテイストを継いだものであり、かなり込み入っている。

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親の行動から一家村八分。他人を信じられなくなった悪人
集中力を要する、錯綜した物語から私が感得したのは、生き辛さを抱えた人間同士を社会で包摂することはできるのか、そして運命は変えられるのかの2点である。
事件はアクに憑依されたウチが引き起こすが、背景には彼の家庭環境が大きく影響していることが明かされる。実は、コチの父親だけでなく、ウチの父親もヒーローだった。緊急で呼び出されれば出動せざるをえないコチは、正義を守るために妻と過ごす時間も犠牲にする現状に疲弊しているが、同じように、彼らの父親もヒーローとしての在り方が問われたことがあった。コチの父親は街を守るために踏ん張った一方で、ウチの父親は家族との幸せを選択して、一家は街から去った。そのためにウチ一家は裏切り者扱いされることになる。そんな過去を持つウチは、自分のせいではないのに街の人達から距離を置かれてきたことにより、憎しみが積もっていた。
アクに憑かれたウチは、スマホに収められた『アク(悪)の教典』にしたがって行動している。あくまでも現在から未来を予知するソチと異なり、アクは意識を未来に投影し、未来から現在を見返す特殊能力を持っている。アクの目的はこの世界の愛を食み、それを未来の命のために生かす「愛食み」を行うことである。なぜならば、現状の世界では誰も彼もが憎しみ合っているからだ。現状の世界は、SNSやネット空間で距離を取って罵り合う人間ばかりだが、未来はそういうものではないことをアクは知っている。ならば徹底して人間と人間の距離を空けて、未来のためにこの汚れた世界を終わらせよう。そう考えたアクはカップルの関係性を切り裂き、その愛を食んで集めるのだ。愛を食まれたカップルは互いが近づくと憎しみ合い、最悪の場合は殺し合いをするようになる。

アクはコチとソチを離間させ、彼女をウチが働くペットショップの檻に、犬のように監禁する。そしてソチの声色を真似てコチに別れを告げる。ソチにはウチとの夫婦生活を送っている光景を体感させて、それが既知の未来であると彼女に思い込ませようとする。その未来世界では、ウチとソチとの間にはゼン(善)と名付けられた娘が産まれている。そこから透けて見えるのは、ウチがソチに好意を寄せていたということである。アクの策略が次第に明らかになることで、彼の目的はソチを手に入れて子供をもうける、極個人的な動機に紐づいていることが了解される。
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社会から疎外された者の悲惨さと、それを理由に自身の欲望を叶えようとする身勝手さ
しかしウチはソチから疎まれていた。コチとソチの結婚式の日、ウチは彼女の耳元で「ヤラせてほしい」と告げたという。そのことをきっかけに、ソチはウチと距離を置いてきた。そういった経緯があるため、ウチの下へ赴くソチを、コチは止めたほどだ。ところがウチによれば、ソチにかけた言葉は「踊ってほしい」だったという。その言葉を仮に信じるなら、ソチはウチの出自から彼に偏見があったために、彼の言葉を聞き間違えたということになる。ウチの生い立ちを鑑みると、そこには社会から疎外された者の悲惨さが感得させられる。だからといって彼の犯罪は、ルサンチマンを解消しようとする身勝手な思考の表れでしかなく、正当化できるものではないが。

この世界は見たいものだけを見て、見えないものはないことにして等閑に付す人間で乱れている。アクはこういった趣旨の台詞を吐いて、社会への敵意をむき出しにする。不合理な世界を形成しているのは我々観客にも責任があると言わんばかりに、客席に向かっても当たり散らすアクは、ヒーローものの悪役というよりも、人質を盾にした立てこもり犯のような、人間の犯罪者に思えてくる。低く良く声が通る坂口は、中性的な出で立ちと振る舞いだが、エキセントリックに感情を爆発させたり、急にウチに戻って落ち着いて真面目になったりと振り幅が大きい演技を見せる。
後述するように、ウチはラストでコチに負けを認めた上で、全ての展開は自らが仕掛けたものであると吐露する。しかし彼の言動はフェイクを重ねて結論をひっくり返したり先延ばしにしたりするものであるために、鵺のように本性を掴み取らせない。だからウチ / アクの犯罪は、悲惨な境遇に置かれたマイノリティによる止むに止まれぬ犯罪というよりも、二重人格者による愉快犯の要素の強い、劇場型犯罪に感じられるのだ。

アクが現世で愛食みを続けるのは、未来に生まれる子供の命のためという理屈であった。未来を予測や想像することしかできない我々には、将来世界を確定的に断定することはできない。それを良いことに、現在が腐敗しているからと言ってアクがなけなしの愛を食み、単に自身の利益を得ているとも限らない。もしかしたら、アクの特殊能力自体もフェイクの可能性すらある。アクというトリックスターに憑依されたウチを正気に戻そうと、コチたちは彼を愛しているとしきりに伝える。そして将来が見通せない以上、現在か未来のどちらかを切り捨てる二者択一ではなく、両方選んで矛盾すら抱きかかえようとする。どうなるか分からない未来のために、現在を生きる者を犠牲にはできないからだ。
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変わらない運命への向き合い方
愛による包摂は正義を守るヒーローらしいが、我々も日々、大なり小なり不遇に耐えながらなんとか生きている。そうやって生活する中で、あらかじめ決まった未来を告げられると、心が挫かれてしまう。アクの特殊能力と同じではないものの、それに近い酷な未来予測を挙げるとすると、病気による余命宣告が相当するだろうか。そういった類の宣告を受けた時、結末を変えることは絶望的に困難なように感じてしまうことだろう。それでも、差し迫った死期をただ待つのではなく、少しでも充実した余生を過ごしたいと思うはずだ。
最期まで人間らしくあるための方法としてコチが取る態度は、ひとつの方向性を与えてくれる。高台に追い詰められたコチはアクに刃で殺されるのではなく、自らがそこから飛び降りる。それによって右腕の負傷だけで済み、季節外れの春一番に乗って中華街へと舞い戻ってくるのだ。未来はあらかじめ決まっており、それをいかに変更しようと奮闘しても無駄なあがきでしかない。これがギリシャ悲劇『オイディプス王』以来の、運命論の定形であり、真理のように感じもする。

だがここで注意しなければいけないのは、未来があらかじめ決まっているかどうか自体、誰にも分からないということである。つまり未来が運命付けられているかどうかは、思考実験でしかないのだ。しかし「解釈」を変更することによって、招来する結果に落胆したり自暴自棄になるのではなく、今を前向きに生きるため、意義あるものに転換することはできるのではないか。結末の解釈を変更するコチの行動は、そのような希望を示唆する。
コチたちに愛されることで、不遇をかこつ人生を送ってきたウチのルサンチマンが解消されて改心する。そのことで運命が変わってコチも骨折のままで済み、現世にも愛と正義が戻る。このように着地すれば物語としてはきれいなのだが、そうはならない。季節外れの春一番号に乗って中華街に舞い戻ったコチたちを、ウチとソチは高台から眺める。そこでウチは、これまで起こった全ての事柄は自らが仕組んだ計画であり、数々の障害を乗り越えたコチには勝てないと述べる。一旦はそう宣言したものの、それでもソチが自分と結婚する未来は変わらないことを告げる。

ウチの腕の中でぐったりとするソチと、中華街で喚起するコチたちとの対比が示される中、結末が宙吊りにされて終わる。紆余曲折しても、コチがウチに殺される運命は変えられないのか。アクは神のように未来を先取りするだけでなく、その道筋まで恣意的に操作できるのだとすれば、我々はウチ / アクというトリックスターの手の平で、コチのように踊らされるしかない。はたまたウチ / アクの言動の全ては、自らの欲望を満たすためのフェイクや方便でしかなかったのだろうか。そう考えれば、身勝手な妄念で人々を翻弄する存在を、いかに社会で包摂し得るかという社会問題が浮上してくる。
ウチ / アクの存在と運命論が交叉する物語は、ささやかな生活を送る人々を脅かす事態をどう捉えるかという、答えの出ない問いに放り込む。より良き生を送るための形而上の思想問題と捉えるか、それとも犯罪を生む土壌の改善や孤立した人間をいかにケアするかという形而下の社会問題として受け止めるか。現在を生きるしかない我々は、常にそのような問題下に晒されている。それが生きるということなのだろう。
カーテンコール後に本作は第1章であり、第2章に続くことが、背景に投影された字幕でアナウンスされる。それが近い将来に実現するのか否かは、誰も知る由もない。
KAAT神奈川芸術劇場プロデュース 音楽劇『愛と正義』
作:山本卓卓
演出:益山貴司
音楽:イガキアキコ
振付:黒田育世
出演:一色洋平 山口乃々華 福原冠 入手杏奈 坂口涼太郎
大江麻美子(BATIK) 岡田玲奈(BATIK)
スタッフ
美術:池宮城直美 照明:松本大介 音響:星野大輔
衣裳:柿野彩 ヘアメイク:谷口ユリエ
歌唱指導:神田智子 演出助手:杜菜摘 舞台監督:山田貴大
会場: KAAT神奈川芸術劇場<中スタジオ>
日程: 2025年2月21日(金)~3月2日(日)
2/21(金)19:00
2/22(土)14:00
2/23(日・祝)14:00☆
2/24(月・休)14:00◎
2/25(火)休演
2/26(水)19:00
2/27(木)14:00◎
2/28(金)14:00
3/1(土)14:00
3/2(日)14:00
公式サイト: https://www.kaat.jp/d/aitoseigi
主催・企画制作:KAAT神奈川芸術劇場
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会