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NEWS EVENT SPECIAL SERIES

アイナ・ジ・エンドが語る、30年間の軌跡。無名時代から、BiSH解散後まで

2025.6.9

#BOOK

武道館ワンマンライブを控えた2024年9月6日、アイナ・ジ・エンドは渋谷・円山町の喫茶店で涙を流していた。BiSHとして東京ドームの景色を見た彼女が、なぜソロアーティストとしての最初の檜舞台を前に涙したのか。約1年をかけて執筆した初のエッセイ集『達者じゃなくても』には、表現者として、そして一人の人間として歩んできた30年間の軌跡が赤裸々に綴られている。

同書を読むと、彼女がアイナ・ジ・エンドという「全身表現者」になるまでいかに刹那的に生きて、生きて、生きまくってきたのかが時に痛いほど伝わってくる。

アイナがBiSHの解散を経て、ソロアーティストとして武道館という舞台を通して得た「覚悟」とは何だったのか。BiSHという存在をどう乗り越え、比類なきアーティストとして歩もうとしているのか。家族や恩師、そして親友との関係性を通して見えてくる、アイナ・ジ・エンドという人間の核心に迫った。

アイナ・ジ・エンド
2015年、楽器を持たないパンクバンドBiSHのメンバーとして始動、翌年メジャーデビュー。2021年に全曲作詞作曲の1stアルバム『THE END』をリリースし、ソロ活動を本格始動する。2023年6月に惜しまれながらもBiSHを解散し、現在はソロで活動中。
衣装:トップス¥15,840/NOT YOUR ROSE(ハナ コリア) パンツ¥12,870、ベルトバッグ¥8,140/ASURA(ハナ コリア) ブーツ¥86,900/GRAPE(合同会社九狐)
◎問い合わせ先 ハナ コリア support@hana-korea.com
合同会社九狐 info@9fox.ltd

アイナが渋谷の喫茶店で泣いた理由。「解散してから新人アーティストとして生きてるという感覚ですよね」

─エッセイの冒頭でアバンタイトル的に描かれている、武道館ワンマンを数日後に控えた喫茶店での涙の場面がとても印象的でした。あの涙にはどんな感情が込められていたのでしょうか。

アイナ:BiSHとして東京ドームを経験させていただいて、5万人近いお客さんの声がイヤモニを貫通してきて、自分が作った振り付けを踊ってくれる。あの何にも変えられない光景をBiSHの解散ライブで見て、「ああ、これ一人でいくらやっても超えられないな」って思ってたんです。

あの喫茶店にいるときは、一人で武道館に立っても、あれ以上の景色を見れることは多分ないな、あれが最大の喜びだったなみたいな、自分の将来に対してネガティブな感情に支配されていたんだと思います。武道館に立ったって、自分がどれだけ頑張ったってBiSHは超えられないと思ってしまったというか。

だけど、私はBiSHを超えたかったんですよね。だから泣いたんだと思います。あの時、喫茶店にいる時も、このエッセイを書いてる時もそのことに気づけてなかったけど、最近気づきました。

─自分にとってBiSHが乗り越えなきゃいけない存在だったということを。

アイナ:そうですね。BiSHの解散を経験して、私はアイナ・ジ・エンドとしてやっぱり自分で作った曲で自分を表現したい、ステージで人を奮い立たせたいし、人とつながりたいという思いがあるのに、BiSHの存在を超えられない足かせのように感じてしまっていた。それで、あんなにもがいていたんだと思いました。武道館でその足かせを断ち切りたいという気持ちが気づいてないうちに、多分芽生えていて。

─先日、僕がお邪魔したZepp Hanedaでのワンマンライブでも、本当にライブハウス規模でやるようなパフォーマンスや演出じゃないなと率直に思ったんですね。アリーナクラスでも十分通用するような内容で。それもBiSHを超えようという意識があそこまでのライブをアイナさんに体現させるのかと今の話を聞きながら思いました。

アイナ:アイナ・ジ・エンドとしてすべてを出し切りたいというか。4歳からやってきたダンスも、大好きな歌も、自分が無になれるコンテンポラリーダンスとしての表現も、ジャズダンスも、全部表現したいんです。今はそれを自然にやっていると、BiSHを超えたいという思いよりも、勝手にもっと上の目標が生まれていくんですよね。唯一無二になれる。そういう気持ちで今はライブをやってます。

─あのライブではBiSHの“オーケストラ”も歌っていましたね。それも今だからできることなんですかね?

アイナ:めっちゃそうですね。武道館の時期は絶対に歌えなかったと思います。まさに武道館を経てですね。

本にも書きましたけど、武道館の前は、ライブ中に倒れたりしちゃうくらい自分のメンタルが定まってなかったんです。解散して一人になって、ソロアーティストとしてのマインドが定まってなかった。でも、武道館が終わってやっと定まったんですね。

─本当に一人でステージの真ん中に立つという覚悟が。

アイナ:そう思います。なんか、覚悟がなかったですね、武道館の前までは。武道館のライブが始まって1、2曲目とかは足もフラフラしてたんですよ。正直、全然地に足ついてない感覚で歌っちゃっていたんです。

それがライブが進むにつれ、どんどん自分の足がステージに着地してきた感覚が生まれていって。終演後には「あ、私は武道館に立てるアーティストになった!」って思えたんです。だから、本当に武道館が終わってから初めてソロアーティストとしての覚悟が生まれたんだと思います。

─BiSH時代は楽曲の振り付けも含めてグループのことを俯瞰で見なきゃいけないという責任感もきっとあったと思うし、個人としても自分はパフォーマーである、あるいはアイドルとして求められることにも全力で応えていたと想像します。そこからソロアーティストとしての覚悟を得るまでに武道館という圧倒的な達成感が必要だったのかなと。

アイナ:そうですね。BiSHとソロでは全く違って。BiSHってフェスに出れば無双していたんですよ。どこのフェスに行っても、ほぼ優勝みたいな感じで盛り上がって。それはファンの人たちがすごいというのも大きくて。

でも、ソロになってからは全くダメで。どこか私の世界観の押し付けみたいになってるような感覚にもなるんです。お客さんを巻き込めなかったらそう感じるし、「ああ、BiSHの時みたいに無双できないんだな」と痛感して。だから、実質新人アーティストですよね。解散してから新人アーティストとして生きてるという感覚ですよね。

30歳になってわかった自分のルーティン。「私はリリースに救われてるんですよね」

─でも、今のアイナさんが表現していることって自分とお客さんの集中力を対峙させて共鳴するようなパフォーマンスだと思うんですね。踊ってる時もそうだし、声を出してない、あるいは音も鳴っていないような空白もめちゃくちゃ大事な表現をしているから、お客さんの歓声の多寡では測れないものもあるんじゃないかと思います。

アイナ:本当ですか? そう言ってもらえると救われます。いろんなフェスに出させていただくと、ライブ制作のチームをはじめ周りの人たちはやっぱりみんなアイナ・ジ・エンドをフェスで優勝させたいと思ってくれているので。

だから、どうしても目に見える優勝がお客さんを巻き込んでいることなのかなって思ってしまうんですね。そこにずっと身を置いていると、そこに染まってしまいそうになる。だからお客さんがちゃんとぐっと集中してライブを観る瞬間もしっかりつくれるアーティストでいたいと今思いました。

─このエッセイを読み進めて思ったのは、喫茶店で流した涙というのは、どこか刹那的に生きてきた自分に対する今後の不安の発露でもあったのかなと思ったんです。

アイナ:確かに刹那的に生きてきたのかもしれない。ちょうど一昨日もお風呂に入りながら「なんか人生もう十分だわ」って思って。でも、病んでるわけじゃないんです。もういっぱい友だちとも遊んだし、いっぱい失敗もしたし、いっぱい人に愛されてるし、マジで幸せだな、みたいな。

「べつに今、死んでも後悔ないわ」って思ってシャワーを浴びていたんですけど、「え、ちょっと待てよ!」と思って。「めっちゃ制作をがんばった新曲が夏に出るやん!」みたいな。「その前にがんばって書いてきた『達者じゃなくても』も出るやん!」みたいな。「いや、死んでる場合じゃないやん!」みたいになって(笑)。

その時にもうちょっとがんばるかって思ったんです。で、夏に新曲をリリースするじゃないですか。そうすると、夏フェスとか楽しくて、きっともう一昨日のことは忘れるんですよ。それで夏はハッピーみたいな感じで生きて、それでもまた多分ドーン! って闇が来てみたいな。でも、それもまた忘れる。いつもそうなんですけど、私はリリースに救われてるんですよね。

30歳になってルーティンがわかりました。「ああ、たぶんそろそろ苦しい時期が来るから新曲を作っておこう」みたいな。曲を作ってそれを友だちに投げとこうみたいな。たぶん曲を作る予定がなかったら、本当に家でずっと寝てると思うので。

─音楽があってよかった。

アイナ:本当にそうですね。

コミュニケーションがとりづらかった子ども時代。ダンスの先生から学んだこと

─あらためて、どうでした? エッセイを執筆する時間は。

アイナ:去年の春夏くらいにお話をいただいて、約1年かけて少しずつ書いてました。最初は本当に文字だけを書くことに自信がなくて。インタビューしていただいて、それを文章にするという手段もあったんですけど。でもそうじゃなくて、自分で書きたいって言っちゃった手前やるしかないと思って書き続けました。

編集の方と一緒に自分が書いた文章をまとめていくなかで、編集の方から自分を解放させてくれる言葉をたくさんいただいたんですね。それに身を委ねながら二人三脚で書き上げました。

─タレント本然り、インタビューをしてそれをもとにライターが構成するエッセイなどは少なくないけど、アイナさんはそうしたくなかった。

アイナ:そうですね。本当に自分が言葉を書くのがうまくないのは重々承知していたし、自信もなかったんですけど、とにかく本が好きなので。本が好きだから自分で書きたいという気持ちでしたね。

─すごく素直な筆致の文章を綴ってますよね。カッコつけてる自分がいたら筆が止まるようなことをしていたのではないかと思うくらい。

アイナ:ありがとうございます。うれしいです。

─意外だったのは、お母さんが病院に行かせるか迷ったくらい人とコミュニケーションが取りづらい子だったと。アイナさんと話していると、それはにわかに信じ難いなとも思うんですね。

アイナ:自分でもよく変われたなと思います。

─人との関わりを通して変わっていたことが本書を通して伝わってくる。

アイナ:本当にその通りで。尾沢奈津子先生というコンテンポラリーのダンスの先生を筆頭に、先生たちの存在が大きいです。毎日、本当に怒鳴り散らされてたんですよ。例えば、みんながまだ部屋にいるのに電気を自覚なくいきなりバン! って消すような子だったので。おかしかったです。とにかくやりたいと思ったことを全部やっていく子で。

急に大声を出したくなるし、友だちと喋っていても自分の話がしたくなったらする、みたいな。それはもうダメじゃないですか。それで、ダンスの先生に「人に対してもっと感謝をしなさい」とか「愛を持ちなさい」とか「困っている人がいたら救いなさい」ってずっと言っていただいて。人間としてどうあるべきかということをダンス以外でも学ばせていただいたので。それを少しずつ理解していった感じなんです。

─突き詰めれば好奇心の衝動ではありますよね。ある意味では今もそれを持ち続けているからこそ曲も書けるし、コンテンポラリーも踊れるのかなとも思います。

アイナ:それはめっちゃ思います。やっぱりコンテンポラリーって冷静になるとすごく恥ずかしいんですよ。自分が砂になったような感覚で顔を1mmずつウェーブさせながら砂の波を表情で表現したりするんですけど、それを鏡の前で練習するんです。冷静に考えると、砂の顔のダンスってめちゃめちゃシュールじゃないですか。

でも、そこに入り込んでると涙すら出てくるんですよ。ただ冷静になった瞬間、爆笑するんです。だから、「これに没頭できる才能はたぶん自分にはあるからそれは認めよう」と思いながらコンテンポラリーをやってます。それはちっちゃい時にそういう自分だったおかげかもしれないですね。

─その才能を殺さずに、でも、この子が社会で損をしないように、人を無闇に傷つけないようにと、是正していくという教育だったのかもしれないですね。

アイナ:そう思います。先生たちに大感謝ですね。

母、父、妹、そして親友の存在

─本書にもありますが、アイナさんのお母さんはもともと歌手になりたかったんですね。

アイナ:そうですね。お母さんは中森明菜さんや松田聖子さん、ピンク・レディーに憧れる世代で自分も実際になりたくて上京もしたけど、怖い目にあったり、東京でいろんな波乱万丈な日々があったみたいで。それで、芸能界をあきらめたらしいんです。

─どこか映画『キリエのうた』のキリエにも重なるような。

アイナ:そうなんです。お母さんの世代はたぶん今よりもっときつかったんじゃないかなと思うんです。男尊女卑も今よりもっと明確にあったじゃないですか。お母さんは自分が過酷な経験をしたから娘には芸能界は行かせたくないとは思いつつ、でもあきらめさせたくないという揺らぎがあって。だからダンス教育ママでもなかったし、お母さんの揺らぎのおかげで自分も自由なアーティストになれている気がします。

─やはりアイナさんはお母さんの夢を受け取ったという感覚もあるんですか?

アイナ:そういう感覚はあまりないんです。というのは、お母さんは2人の娘を育て上げたあとに、自分の夢を叶えるために今、歌手をやってるんです。だから、お母さんにもずっと夢があるんですよね。しかも、妹もお母さんの隣で踊っていて、私もお母さんに最近曲を作ってあげて、東京の家に来てもらってレコーディングもしたんですよ(笑)。

─それは素晴らしい。

アイナ:だから、私がいくら夢を叶えても、お母さんには自分の夢があるんです。

─芸大出身というお父さんは寡黙で、背中で娘に語り教えてくれるような、そういう人なのかなと思いました。

アイナ:お父さんは何も教えてこなかったし、教わらなかったです。でも、優しい人だからこそたまに言う一言がデカくて。

これは本に書くか悩んで結局、書かなかったんですけど、上京してうまくいかない時期に1回大阪に帰ったことがあって。そのときにお父さんに「何やってんの?」って言われたんです。私は「東京でダンサーしたり、仮歌の仕事をしたりしてるし、舞台の話もある」と素直に言ってみたんですよ。その舞台の話をした瞬間にお父さんが「何か一つ成功せんかったら、他に何やっても成功せえへんで」って言ったんですよ。

その言葉が響いて舞台に出ることもやめて、やっぱりちゃんと歌だけやろうと思って。お父さんはたまにそういう一言をパン! って言ってくれます。

─ダンサーとして活躍し、今ではアイナさんのライブでも踊っている妹のREIKAさんとも昔はバチバチの関係だったみたいですね。

アイナ:はい、ケンカをして包丁を突きつけられるくらい(笑)。だから今でも妹が横で踊ってることはすごく不思議な感覚です。

あの子は本当にいいやつなんですよね。なんか、「生粋のいいやつ」って感じがするんですよ。ズルさがなくて、踊りにもそれが出ていて、ガムシャラな踊りしかできないくらいいい子です。だから、これからも一緒にいるなかで、どうかそのまっすぐさだけは汚されないように、自分が守らなきゃって思ってます。

─REIKAさんもステージ上でアイナさんを力強くサポートしたいと思っているだろうし。

アイナ:本当に献身的なんです。私に対して敬語になったりするんですよ(笑)。「アイナさん」って呼んできたりして。でも、きっと妹なりに葛藤はめっちゃあったはずで。普通に考えたら、両親が2人ともBiSHのメンバーであるお姉ちゃんの活動を追いかけて、たぶん妹の夢よりもわかりやすく応援していたと思うので。

妹は妹でそこにすごく悔しい気持ちを持ちながらダンスをずっと続けてきたと思うから。妹は今こうやって一緒にいてもその悔しさを言語化してくれるんですね。「あのとき悔しかったから今がある」って。でも、そこに邪念がないんですね。すごいなと思います。

─親友であり、アイナさん初の写真集『幻友』も手がけた写真家の興梠真穂さんとの関係性にまつわる描写も生々しく印象的でした。時にぶつかり、時に距離を置きながら、友人とは何かという気づきを彼女との関係性のなかで得ていったんだなと。

アイナ:そうですね。真穂とは近づきすぎた時期があったんです。友だちってそんな近づきすぎないじゃないですか。特に女の子同士で毎日一緒にいて体を相手から噛まれるくらい近づく子なんていないので。

そこまで近づいた結果「あ、痛みって人にあげられないし、もらえないんだ」って思ったんです。真穂は痛みのシェアの仕方、親友として痛みを逃がしていく方法を教えてくれました。

─痛みを全部分かち合おうとすると共依存の状態になると思うし、お互いは間違いなく他者であるっていうことを前提に関係を築かないと、本当にその人を理解できないし、助けることもできないという。

アイナ:そうですね。当時、真穂はめっちゃ尖っていて、言葉も強くて。なんか、ロックンロールだったんです。それこそ、刹那的に生きてる人の言葉みたいな感じで。私はその一個一個の言葉の強さにいちいちムカついて、ずっとケンカしてたんですけど。

でもムカつくってことは刺さってるってことだから、彼女の言葉がかなり刺さってたんだと思いますね。私も違うと思ったら負けず嫌いだからすごく言い返してしまったり、そういう人ってなかなか出会えないですよね。10代で出会ってるからこういう関係になれたと思うし。今出会ってもあんなに友だちとぶつかれないと思います。

―それにしても「噛む」はすごいですね。

アイナ:私は妹と喧嘩してるときもよく噛まれてたんですけど(笑)。真穂は、もう本当に不器用だったんでしょうね。お母さんが亡くなったとき、不器用で寂しさを表現できないから私をあんなに噛んだんだと思うんです。いろいろあったけど、今では真穂は、写真家として生きていて、いろんな媒体で撮影をしていて。本当にすごいなって思います。私の写真集も真穂が作ってくれました。

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