2025年のアートシーンをライター、批評家、キュレーターが語る座談会。ライター、ラッパー、アーティストとして、多岐に渡り活動する中島晴矢が進行を務め、『美術手帖』『Tokyo Art Beat』などの美術誌で執筆や編集を行うアートライターの杉原環樹、2023年まで森美術館でアシスタントを務め、横断的なキュレーションに関心を寄せるインディペンデントキュレーターの池田佳穂、元横浜美術館の学芸員で批評家の南島興の4名が参加した。
今回の座談会では、2025年のアートシーンを大きく3つのテーマに分けて議論する。1つ目は「2025年の印象的な展覧会・芸術祭」を、2つ目は「戦後80年と『万博』」を振り返った。最終回となる本稿では、3つ目のテーマ「同時代性・インディペンデント」を取り上げる。多様性の尊重を掲げるも、理想通りにはいかない現実を目の当たりにし、「文化左翼」やリベラルのあり方に疑問が生じた2025年。この混迷の時代において、アートは果たして社会に何をもたらし得るのか。2026年以降のアートのあり方を含め議論する。
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『望月桂 自由を扶くひと』展
中島:3つ目のテーマは「同時代性・インディペンデント」です。まず挙げるのは、原爆の図 丸木美術館で開催された『望月桂 自由を扶くひと』展。これはアーティストや研究者が一緒になって、望月桂という今まであまり回顧されてこなかった大正期の作家を、ものすごい量の資料と研究で掘り下げて持ち上げてきたという意味ですごく貴重でした。大正の政治的状況、あるいはそれに対するアーティストのアクションって、令和の日本の状況からして学ぶことがあるなという感じがします。池田さんもこの展示を挙げていらっしゃいましたよね。

池田:インドネシアのルアンルバが芸術監督を務めた『ドクメンタ15』以降、相互扶助や生活と芸術実践の結びつきが再び注目を浴びている中で、望月桂についてより多くの人たちに知ってほしいと思って挙げました。今は若い世代を中心に、コレクティブ論など国外における実践を輸入しがちな意識があるんですけど、自分たちの暮らしている土地にも、実は大正時代に同様の実践があったということを知ってほしいと、展示を観た時に思ったんです。あとは貴重な資料展示だけでなく、現代アーティストたちによる展示の監修や、映像の制作など、望月桂を再解釈して現代の視点から大正期の前衛を捉え直すのも、アプローチとしてすごく面白いなと思いました。
中島:僕は『遠眼鏡』や『製糸工場(女工)』といった望月桂の絵画自体が極めて危険であると考えています。絵画的にはファシズムに寄っていった未来派の影響を受けているのに、主題としてはそれとは真逆のアナーキズムを標榜している、そのねじれがすごく面白い。なので、『遠眼鏡』という作品をしっかり展示できたというのはすごいことなんです。それはやっぱり丸木美術館という、独立していて原爆の図というものを抱える美術館だからこそ公開できたんだろうなという気がしています。実際、他の美術館ではほとんど断られて、丸木美術館しかやる場所がなかったというのも聞きましたしね。

南島:本展は、望月桂が最も輝きを放った大正時代だけではなく、戦後に高校の教師となり、のどかな自然の風景を描く田舎の画家になっていったというところまで観せたことが重要だと思っています。というのも、彼に限らず、今の視点から見た時に大正時代の作家が輝いて見えるのは、戦争によって何かが失われたという潜在的な感覚があるからではないでしょうか。なので戦争のあとに彼が何を残しているのかまで含めて評価することが適切だと考えていますし、そこまで観れたことがよかったなと思いました。
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『ヒルマ・アフ・クリント展』
杉原:僕は話題になった東京国立近代美術館『ヒルマ・アフ・クリント展』に、すごく歴史的な反復性を感じることがあって。ヒルマは交霊術とか、今で言うスピリチュアリティに触れるような活動をしていた人ですけど、2025年の10月にソウル市立美術館で観た『ソウル・メディアシティ・ビエンナーレ』のテーマも、まさに「交霊会」だったんですね。「e-flux」(※)の創設者としても知られるアントン・ヴィドクルがディレクターの1人で、スピリチュアリティみたいなものがここでも取り上げられてるんだということが印象的だったんです。
※アーティストであるアントン・ヴィドクルらによって創設された、オンラインのアートプラットフォーム
杉原:大正から昭和初期の頃を振り返ると、前衛美術家たちが労働の問題を扱うプロレタリア芸術に傾倒するのと並行して、シュルレアリスムのような夢や無意識の世界に目を向ける芸術も台頭してくるということが、おそらく歴史的に言えると思います。この5年くらいは美術の世界でもケアの分野に注目が集まった時代でしたが、そうした中である種の社会性や理屈にとらわれない領域を求める動きもまた現れているのかなと感じたり。あくまでも、妄想に過ぎないのですが。
スピリチュアルとか、1話目で南島さんが言った『ライシテからみるフランス美術—信仰の光と理性の光』展(アート振り返り座談会①を参照)のように、ある種の宗教性をどう考えるか、理性で回収できない領域をどう扱うのかは、今後重要になってくる予感がしています。
中島:酷薄なリアリズムがどんどんと広がる中で、イマジナリーなものに救いを求めている感じがしますよね。YouTuberでも今一番儲かっているのは心霊の話をする人たちらしいですから。
南島:僕も『ライシテ』展を観た時にヒルマ・アフ・クリントのことを思い出しました。またシュルレアリスムでいうと、ミヅマアートギャラリーでやっていた『MAD IMAGE』展出品作家の息継ぎさんを挙げられればと思います。息継ぎさんの作品には、戦中 / 戦後のシュルレアリスムと実存主義的ムードの奇妙な結びつきに似たものを感じて、歴史的な視点から興味を持ちました。他にも似た事例がいくつかあるので、それらを同時代現象としてみることもできるかもしれません。