パンデミックによって移動が制限されたことにより、2020年以来海を越えたアーティスト同士の交流が途絶えつつあったが、それも徐々に再開しつつある。韓国のシンガーソングライター、イェラム(예람 / Ye Ram)が今年10月に行った日本ツアーはその一例といえるだろう。
イェラムはソウルのインディーシーンで活動を続けており、2020年にはアルバム『Castle』を、2022年には『End Of The World』をリリース。2017年には韓国・星州郡の村、ソソンリの市民運動とも連帯したコンピ『新しい民衆音楽選曲集 Vol.1 ソソンリの歌』に参加するなど、地に足のついた活動を続けてきた。
今回のツアーを取り仕切ったのは、広島在住のピアニストであるトウヤマタケオ。東京で行われた2公演はシンガーソングライターの浮がオーガナイズを担当した。そのうちのひとつ、立川市某所の米軍ハウスで開催されたツアー初日、イェラムと浮の対談を行なった。曲作りについて、先日行われた浮の韓国初ライブについて、ソウルのインディーシーンについて、そして旅について。なお、イェラムは全編流暢な日本語でインタビューに答えてくれた。
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「ラムちゃんの歌には『ふるさと』を感じます」(浮)
―今回のラムさんのツアーはどのような経緯で決まったのでしょうか。
イェラム:去年アルバム(『End Of The World』)を出したあと、韓国国内でツアーをしたんですよ。せっかくなので日本にも行きたいなと思っていたころ、家族で韓国に遊びに来ていたトウヤマタケオさんと友達を通じて知り合いました。その流れで私が日本に来るとき、まずはトウヤマさんに相談し、トウヤマさんから浮さんを紹介してもらいました。
―まさに人と人の縁で今回のツアーは成り立っているわけですね。
イェラム:そうですね。ちょうど今年日本に来たいと思っていたので、とても不思議な縁だと思います。
―ラムさんの来日が決まってからお互いの音楽を知ったと思うんですが、互いの音楽に対してどのような印象を持ちましたか?
浮:声がすごく印象的で、水みたいにスーッと入ってきますよね。あと、韓国語と日本語で歌っていて、広いところを見ている方だと思いました。聴いていると、心のなかに「ふるさと」があって、懐かしさがあることを感じます。でも、それはラムちゃんのふるさとなのか、聴いている自分がそこにふるさとを見つけて安心するのか、わからないんですけど。
イェラム:私も浮さんの曲を聴いて「きれいな声だな」と思いました。あと、あらゆるものに対する優しさを感じました。歌詞の内容を100パーセント理解できていないと思うんですけど、たとえば「あかるい」「くらい」という言葉にしても、意味はひとつだけじゃない。いろんな視線があるように感じました。
浮:そこは大切にしています。飾りを取っぱらった、できるだけシンプルな言葉を歌おうと思っているんだけど、タイミングや状況によって受け取る意味が違うと思います。それは聴く人であっても、自分であっても。そこを汲み取ってもらえたのは嬉しいですね。
―ラムさんはどうやって曲を書いていくんですか。
イェラム:私の場合、歌詞とメロディーが同時に出てくることが多いんです。ギターを弾きながら出てきた一小節を元にして、そこから膨らませていくことが多いですね。
―浮さんは歌詞が先に出てくることが多い?
浮:言葉が浮かんできて、それをどんなふうに歌いたいかギターを弾きながら考えていく感じですね。ただ、歌詞が出てきたタイミングでメロディーもある程度見えていることも多くて。たとえば、「やさしい」という言葉があったら、話すときのイントネーションと同じ流れにしたいんです。喋っているように歌いたいので。
イェラム:言葉に合ったメロディーを探すということですよね。すごく共感します。その言語にしか出せないメロディーはあると思うので。
―僕の耳にはラムさんの歌も「喋っているように歌っている」感じがします。言葉とメロディーがすごくナチュラルに結びついているというか。
イェラム:メロディーに合う言葉はいつも探しています。音節に合うメロディーというか。ぴったり合うと「これだ!」と嬉しくなります。自分に似合う服が見つかる感じ。すぐに見つかることもあれば、なかなか見つからないこともあります。
浮:うんうん、よくわかります。
―おもしろい話です。服もぱっと着てみてしっくりくることもあれば、なかなかいい組み合わせが見つからず、悩むこともありますよね。
イェラム:ああ、確かにそうですね!
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「海」は自分を見つめる場所であり、国と国を分つ存在でもある
―ところで、ラムさんの歌にはたびたび「海」という言葉が入ってきます。海の近くで育ったのでしょうか?
イェラム:いや、海とは縁のないテジョン(大田)というところで生まれ育ちました。さっき浮さんは私の歌を聴いて「ふるさと」と「懐かしさ」を感じたと言ってくれましたが、「懐かしさ」という感覚は自分のなかにずっとあって、海はそれを表すものでもあります。海から離れたところで育った私にとって海は日常的なものではなかったし、だからこそ懐かしさと憧れがあるんでしょうね。私は海を見ると、そこに世界があると感じます。自分の居場所をそこで探したり、自分がどこから来たのか考えるきっかけになったりする。
―日常的な風景としての海ではなく、もう少し根源的な、いのちがやってくる場所としての海というか。
イェラム:そうですね。
―浮さんは茅ヶ崎出身ですけど、育ったのは茅ヶ崎の内陸のほうで、海からは結構離れた場所だそうですね。
浮:私にとっても海は日常的なものではなくて、たまに遊びに行くところでした。どちらかというと憧れの場所。漠然としたイメージですが、自分がやがて帰っていく場所は海なのではないかと考えたりすることもあります。
―そういう海のイメージがどこかにあるから、ラムさんと浮さんの歌には懐かしさを感じるのかな。
浮:何かそんな気がしますね。
―僕はラムさんの“海越え(Over The Sea)”という歌が大好きなんですよ。この歌は韓国語と日本語で交互に歌われますけど、コロナ禍で韓国の友人たちと会えない時期、<僕らはいつかまた会えるのさ 秋の雨が降る日に>と日本語で歌われる箇所に心揺さぶられるものがありました。
イェラム:ありがとうございます、とても嬉しいです。
―“海越え”はなぜ韓国語と日本語で歌ったのでしょうか。
イェラム:単純な理由としては、私は英語ができないんです。一番話せる外国語だったので、日本語で歌いました。以前、東アジア地球市民村という交流プログラムに参加したことがあって、中国、日本、韓国、台湾の人たちが集まって、教育や歴史について話し合いました。そのとき、話が通じ合うことって大事だなと思って、韓国に帰ったあと“海越え”を作りました。中国語ができたら、中国語でも歌いたかったんですけど。
この曲では「道が繋がること」について歌いたかったんです。ただ、おっしゃってくださったように、コロナ禍になって違う意味が出てきたとも思います。最初は国と国のことを考えていたけれど、今は会えない友達のことを思いながら歌うこともあります。
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浮、初の韓国ライブの印象
―浮さんは先日、韓国で初めてライブをやりましたよね。いかがでした?
浮:すごく集中して観てくれたし、それぞれの楽しみ方を持っている感じがしました。ライブが終わったあといろんな人が話しかけてくれたんですけど、みんな日本語で感想を伝えてくれたり。音楽を聴くことに対しても前向きだし、コミュニケーションをとることにも前向きな感じがして、とても暖かく迎えてもらいました。
―今回のライブヴは2か所でやりましたよね。ウルチロ(乙支路)の音楽スペース「新都市」ではフェギドン・タンピョンソンと、ホンデ(弘大)のカフェ「雨乃日珈琲店」ではイ・ランも出演しました。ふたりとは結構話しました?
浮:話しました。タンピョンソンさんとバンドの皆さんとは前日に無茶を言って私の曲を一緒に演奏してもらいました。直前まで一生懸命練習して歌ってくれて。イ・ランさんもおもしろい人でした。雨乃日珈琲店は小さなお店なので、こんなに近い場所でイ・ランさんの歌を聴く機会はなかなかないだろうなと思って、いちファンとして胸が熱くなりましたね。イ・ランさんって飄々とした印象があったんですけど、実際にお話したり歌う姿を見ると、優しさや熱さも伝わってきて、とても素敵な人でした。新都市のほうにはラムちゃんも来てくれたんですよ。
―ラムさん、浮さんのライブはどうでした?
イェラム:ライブの雰囲気自体がすごく良かったんですよ。浮さんのライブを見るのは初めてだったんですけど、早く一緒にやりたいと思ったし、一緒に行った友達も感動していました。言葉の意味はわからないけど、伝わってくるものがあると。
―こないだ僕も久々にソウルに遊びに行ったんですが、ウルチロ周辺は再開発もかなり進んでいますよね。東京も急激に街の風景が変わっていますが、ソウルも激変していて驚きました。
イェラム:ソウルはここ数年ずっと変わり続けていますね。私の住む町でも再開発が始まりました。古い建物を丸ごと壊してしまうのではなく、うまく残しながら開発を進めたりと、うまい方法を探すべきだと思います。再開発の結果、人が一気に減ってしまってゴーストタウンになってしまった地域もあるんですよ。ホンデもチェーン店ばかりになってしまって、ジェントリフィケーションの問題があると思います。
―浮さんはソウルを歩いてみてどんなことを感じましたか?
浮:すごく大きな都市でしたけど、ちょっと小道に入ると静かで、散歩をしていて飽きないんですよね。ふらっとお店に入ってもみんな優しくて。目の前でキムパを巻いてくれるお店に入ったんですけど、おじちゃんに「美味しかったです」と伝えたら(日本語で)「愛してるよ~」と言われました(笑)。
イェラム:ソウルは東京に比べると小さいですよね。東京はとても広くて、どこまで東京なんだろう? と驚きました。
―今取材しているこの場所(立川市)も都心とは違ってずいぶんのんびりしてますけど、ここも東京なんですよね。
イェラム:そうそう、ちょっと驚きました。観光地しか知らなかったので、こんな場所があるとは思わなかった。
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コロナ禍を経た、韓国インディーシーンの現況
―日本から見ていると、今のソウルには若い世代の魅力的なシンガーソングライターが多いように感じます。イ・ランやキム・サウォルは日本でもよく知られていますが、ラムさんとも交流があるスダ(Xeuda)やヘパ(Haepa)も素晴らしい作品をリリースしていますよね。
イェラム:演奏する場所があることも大きいと思うんですけど、そういう場所も少なくなってきました。演奏するミュージシャンやシンガーはたくさんいるのに。コロナの打撃もあったと思いますけど、それだけじゃないと思います。
―ジェントリフィケーションの影響で家賃が高騰したこともあるんでしょうか。
イェラム:もちろん、それもあります。あとインディーシーンそのもののお客さんが、以前より減ったとも感じます。私が音楽活動を始める前はホンデももっといきいきとしていたんですけど、ちょっと活気がなくなっています。あと、韓国の音楽界は両極化が激しいんですよ。インディーシーンには個性的で魅力的なアーティストがたくさんいるのに、一般大衆からすると、テレビ番組に出ていないと「ただ人気がない人たち」という印象を持たれがちなんです。
―なるほど。それは日本も一緒かもしれないですね。
イェラム:そのなかで、応援してくださるファンの皆さんや仲間同士の繋がりが大事になっているところはあると思います。「お互い長く音楽を続けましょう」と挨拶みたいに言っています。あと、フェスティバルもまた再開しましたし、コロナ以降の雰囲気が少しづつ回復しているような感じでもあります。
―ソウルで同世代のシンガーソングライターが集まる場所はどこなんでしょうか。
イェラム:ホンデのカフェ・アンプラグドやウルチロのチャグンムルあたりですね。私たちにとってのアジトというか、音楽とかアートをやっている人たちが集まる場所です。