「知る幸せ」と書いて「知幸」。知ることや学ぶことの幸せ・喜びを体現するSummer Eyeこと夏目知幸が第8回目に訪れたのは、地元・千葉県浦安市にある浦安市郷土博物館です。高校時代にも訪れたことがあるという博物館で、地元の歴史に改めて触れていきます。
INDEX
我が地元、浦安の郷土博物館へ!
なんとなくAIに尋ねたところ、日本全国に博物館って4500館くらいあるらしい。全部行こうとすると1日1こで10年以上かかる。週1だと86年、まあ無理です。年にひとつも行かね~って人も少なくないと思いますけど、油断するとね、映画館とか美術館とかまあそれなりにたまに行くよなって場所も気づいたら3か月くらい行ってないじゃん! とかザラにある、ダラダラしてちゃいけません。
大人は仕事が忙しいわけですけど。ちょっと無理して出かけよう。この間読んだ本に書いてあったんです、世界が退屈だと感じてるならそれはお前の勉強が足りないせいだ! と。わかります。眠い目こすって向かいましたのは我が地元、浦安の郷土博物館でした。
INDEX
海苔養殖や貝の流通を中心に発展した町
大体のことは知ってるぜ! って気持ちで入場。隣にある中央図書館でサニーデイ・サービスのCD借りて聴いたな~と17歳の自分を思い出しつつ。まずはゆるキャラ「あっさりくん」がお出迎え。かわいい。初めまして。

浦安はあさりの佃煮が有名でね、うまいんですよ。あと海苔! 小学生が海苔すき体験した海苔が2階で乾かされていて、ロビーは磯のいい香りと海苔が乾燥していくときの小さな「パチパチ」という音で包まれてる。僕はわりと海側に住んでいたんで、風向きによっては街中が磯の匂いになることがけっこうあった。懐かしい。ただいま浦安。パチパチ……拍手で迎えられる気持ち(残念ながら今の浦安市は漁業を行なっていないので隣の市川漁協の協力で小学生の体験学習が行われているそうです)。

さて展示はやはり「干潟の町・浦安」を知るところから始まる。埋め立てられる前の浦安は今の4分の1くらいしか陸地がなくて、その先は1200ヘクタール(東京ドーム260個分)に及ぶ広い干潟と遠浅の海だった。そこで海苔養殖や貝を取って剥いて佃煮などに加工して流通させるって産業を中心に町が発展した。
東京が近いから観光業も盛んで、投網船に乗って投網でとれたとれたての魚食べるレジャーとか、釣りなどのアクティビティーも人気だったみたい。それらに関わる古文書や道具、当時の写真や実際使われていた民俗資料を見るとやっぱり、いや~このまんまでいられなかったのかねえ、このままでよかったよな~って思わずにはいられない。自然(ネイチャー)と繋がってる暮らしとか仕事や人間関係がある場所の方が、そこにいる意味を強く感じられそうで。町に愛着が持てそう。

INDEX
埋め立てを決断した浦安は、どのような町づくりをしていったのか
昭和33年(1958年)、「黒い水事件」ってのが起こる。上流にあった製紙工場の廃水が浦安の漁場を襲った。抗議したがその真っ黒い水は放水され続け被害拡大。漁師たち、900人集結してバス借りて国会議事堂や都庁に陳情を提出。帰りに件の工場に寄った際には警察と乱闘騒ぎに。この話は浦安に住んでるとちょいちょい耳にする有名な話で、僕も小さい頃に地元のじいさんばあさんから「漁師は誇り高いんだ」とか「浦安の漁師は荒っぽいんだ」とか話を聞いたことがあった。
で、この黒い水事件をきっかけに政府は水質保全に関する法律と工場排水等の規制に関する法律を公布するんだけど、浦安の漁場は周辺の工業地帯の埋立ても重なって水質がさらに悪化、漁獲量はますます減少。昭和37年の漁業権一部放棄を経て、昭和46年には漁業権を全面放棄することになるのでした。
the高度経済成長期のネガティブサイドストーリーっすね。急速な工業化とそれに伴う大気・水質汚染などの環境・健康被害。しかしこの経験が浦安が次のステップへ進む際の理念を形づくることになる。昭和48年に当時の世帯に配られた「浦安町総合開発計画書」には「緑あふれる海浜都市」というキャッチフレーズのもと、産業と暮らしと自然が調和した発展が目標として掲げられた。
埋め立てを決断した浦安が具体的にどのような町づくりをしていったのか、大型ビジョンでその流れを学べる。印象的だったのは浦安が珍しい「当初の計画通りに町づくりが行なわれ、円熟期に入った市である」ということ。主産業であった漁業の放棄という劇的な変化に際して、時代に合った住宅地区の整備や遊園地の誘致など、地理的利点を活かした都市計画がバッチリハマったんだなあと。いやーすごいですね。
