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「丸1年、白浜くんの追っかけをやってました。ひとりで高校生パンクバンドの追っかけをする高校生」(加藤)
―いろんなところで話してると思うんですが、加藤くんがバンドを始めたいきさつを聞かせてもらってもいいですか。
加藤:俺、もともと野球をずっとやってて、2個上の兄貴が野球特待生とかで、とにかく兄貴がすごいねって感じだったんですよ。だからどこ行っても弟扱いでウンザリしてたんです。野球やめたすぎて、自分の膝をバットで小突いてた時期とかありました(笑)。怪我すれば練習に行かなくていいと思って。でも痛いからそんなに強く叩けなくて、コツコツコツコツ(笑)。
桑島:その辺が中学生っぽくていいね(笑)。
加藤:で、中3の8月に引退するんですけど、取り柄も趣味もないし、とりあえず勉強だけはしておこうと思って苫小牧の進学校目指して。で、親にもそこで野球やるわ! とか言って。野球やることがカルマみたいになってたんですよね。

加藤:あと5個上の兄貴が置いていったベースがあったんで、それで黒夢とか弾いたり、同級生とモンパチの曲を家で練習したり。で、友達に誘われて、ベースのうまい先輩の家に習いに行ったとき、違う高校の先輩に「今度俺のライブあるから来なよ」って言われて、中学校の卒業式直後ぐらいに初めてELLCUBEに行ったんです。それに白浜くんっていう、俺に音楽を全部教えてくれた人のバンドも出てて、高校生のバンドで大人がめっちゃ盛り上がるっていうジャイアントキリングみたいなことが起きてて。すげーって思いながらちっちゃくなって見てたら、白浜くんがフロアに降りてきて、客を掻き分けて俺に抱きついてきて……それで「バンドやります!」みたいな気持ちになるっていう。
―そこからロックに開眼したワケですね。
加藤:そっから丸1年、白浜くんの追っかけをやってました。ひとりで高校生パンクバンドの追っかけをする高校生。当時は白浜イズムみたいなのがヤバすぎて、女の子としゃべってるところとか白浜くんに見られんの恥ずかしかったんですよ(笑)。学校では普通に喋ったりしてたけど、白浜くんといるときは謎の硬派を貫いてた(笑)。で、ずっと追っかけしてたんだけど、高1の11月ぐらいに苫小牧のバンドだけでイベントをやる日があったんすよ。それ観に行ったときに、俺もマジでバンドやんないとって思って、それでNOT WONKを始めて。

桑島:バンド名はどっから出てきたの?
加藤:「NOT」が最初にあったらいいねってずっと話してて。で、辞書をバーって開いて見てたら「W」の欄に「WONK」があって。「WONK」ってガリ勉みたいな意味なんだけど、これいいじゃんって。勉強ばっかしてガリ勉みたいな、自分のそういうのが全部嫌だったんで。それでNOT WONK、これだわって。それが高校1年生、2010年12月。
―桑島さんがカメラ始めたのっていつ頃なんですか。
桑島:カメラ自体は高校からなんですけど、そもそも僕、なんで上京したかっていうと、竹中直人になろうと思ってたんですよ。竹中さんって俳優も舞台もやってたし、深夜枠でお笑いもやってたし、映画も撮ってたんですよね。で、『東京日和』を高校時代に観に行って大号泣して、これはもう竹中直人になるしかねーと思って。
それで、竹中さんが通ってた多摩美術大学に行きたかったんだけど、多摩美はデッサンがあるから難しいなと。でも調べたら、武蔵美はデッサンできなくても入れるところがあるってわかって、それで一浪して入学したんです。最初は俳優になりたかったんですよ。でも目立ちたがり屋の引っ込み思案なんで、本番が超弱いんですよ(笑)。
―生来の奥ゆかしさが。
桑島:結局続けてたんだけどダメで、そうこうしてる間に卒業しなきゃってなって。で、1990年代、雑誌がすごく元気だったんですね。『H』とか『SWITCH』とか『STUDIO VOICE』とかのカルチャー誌のすげーカッコいい写真を見まくってたから、そういうのに憧れて写真撮ってて、で就職どうしようってときに、カメラマンとかいいかもって思って……気づいたらここにいるっていう(笑)。
