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みらんと小原晩の交換日記『窓辺に頬杖つきながら』

ライブに行くと、頭のなかの声が聞こえてくる

2023.5.10

#BOOK

みらんと小原晩の交換日記『窓辺に頬杖つきながら』 Vol.02

なんとしてでも乗り越えたい冬は過ぎ去り、季節は春へ。

from小原晩 #3

新幹線の窓辺に棒杖つきながら、書いています。大阪から東京へ帰るところです。
1週間くらい大阪にいたのだけれど、2日続けてライブに行ったり、酔っぱらったり、焼肉を食べたり、みらんちゃんを誘って家の近所でのんだり、blackbird booksに行って本を買ったりしました。

みらんちゃんとのんだ完ぺきにほど近い生ビール

シンガーソングライターのみらんちゃんにいうことじゃないとは思うんだけど、わたしはライブへ行くとなぜか頭のなかの声ばかりが大きくなって、いろいろ勝手に話し始めて、曲に集中できなくて、気づいたらもうアンコールを迎えていることがよくあります。(いやな奴だよね)

でも2日連続で行った1日目のライブは、お酒を飲みながら見ていたんだけれど、350mlの缶ビールを4本のんだあたりで、頭のなかで話し続ける声がぱっと止みました。

そうしたら、うわー! うわー! うわー! という思いだけで体がいっぱいになって、手を上げることが恥ずかしくなくなって、踊ることも、飛び跳ねることもこわくなくなって、むしろ、したい! とまで思っていました。それで気持ちに身を任せて、踊ってみると、当たり前みたいに、もともとそういう人間だったみたいに、あっという間に、からだがうれしさで満ち満ちになりました。すごく驚きました。こんなに純粋なたのしさがライブにはあることに改めて気づかされました。

2日目のライブではお酒の力に頼らずそうなれれば良いなと思って、しらふで挑んだらまた頭の中で声がいっぱいになって、めんどくせえと思いました。

それでもやっぱり、あの日のうわー! という気持ちは宝物です。

みらんちゃんは他の人のライブを見ているとき、いつもどんなふうに見ていますか。なんでか急に考えごとをしてしまったりしませんか。しないか、しないよな。と思いながら聞いてみようと思います。風邪ひかないようにね。

fromみらん #4

晩ちゃん、先日はお誘いありがとう。

書いてくれたこと、会った時にはなんにも話してなかったので、私は私の話ばかりしていたんだなと気づき、ちょび反省。けどやっぱり楽しかったから、改めて、お姉さん優しく聞いてくれて、ありがとう。

こちらから見ても、完ぺきなビール

ライブを見てると、頭の中で声が大きくなる感覚、大共感!!! だよ。

晩ちゃんはその声、ライブを見てる時に限らず、日常的にずっと聞こえてる? 私はもう、常にわらわらと聞こえてて大変なんだけど、それがライブを見てると、とってもスマートに輪郭や意志をはっきり主張させてくるから、打ちのめさせられる感じです。そのときのそれは、すごい集中力で最近の出来事を思い返しては一言にまとめて、私に向かってどーん! と響かせる。するとスッキリしたように、頭の中にある大きくて高い棚の、どこかしっくりくる場所に収まっていく。そんなふうに、次から次に、一言の波を浴び受けます。ステージには演奏してる人、周りにはお客さんがたくさんいても、どこにいるよりもひとりって感じがして、なぜか心地いい。その心地よさの中では、手を上げても、リズムをとったり踊ってみたりしても、なんも、他とは関係がない気がする。私はその真実みたいな空間に気づけた時、波がぴたっと静まって、途端に感動するんだよ。その感動が、晩ちゃんの言う、うわー! に近いかな。私も気づいたらもうアンコールなことはよくあって、そこでやっとステージに立ってる人のかっこよさにはっとしたりして。それでライブが終わってから思うことは、もっと見たかった……とかになるんだな。

とは言え、毎度こんな体験ばかりではなく、時には歌っている人の鼻詰まりを心配したり、ベースを弾く指の滑らかさに見惚れたりもするよ。うわー! は、さまざまなコンディションが作用し合って生まれる奇遇だと思うから、これからもめげずにふらっとライブに行って欲しいな。晩ちゃんより少しばかりライブに行ってる気がする私から言えることは、こんなくらいかしらね。

ちょっと、話が戻るんだけど、常に声が聞こえている私は、その声について、大体人には気軽に言えないような、冷たくて、俯瞰しているようなことだったりします。誰でもあるよね、きっと。そう思っているから、必死に自分の中で納めて、なんとかしようとしているのに、たまに、なんの気なしにそれを口に出す人がいて、私はがっかり、うんざり、絶望、落ち込んでしまう。共感ってのは、人と人を結ぶのに最も容易い感情かもしれないけど、だからこそ、常にある冷静なものではなくて、たまにある歓喜なものであってほしいと、願うようにまた、落ち込んじゃう。それでこの前、晩ちゃんと飲んでる時、酔っ払ってきた私は、あーー晩ちゃんとなんかライブ行きたいって呟いたら、晩ちゃんはふふふって笑うだけだったから、もう一回同じこと呟いたら、またふふふって笑った。私は、なんやなんや、なにがふふふなんやって、気にするうちになんか私もふふふってなって、それがけっこう、面白かった。ふふふって、なんやったんやろう。そういう、分からないことに、ふと軽くなる時があるなと、最近は思ったり感じたりしてます。またまたありがとう。晩ちゃんも風邪ひかないようにね。

よく行く好きなお店で、いつも買うか迷って買っていなかった魚ポーチをついに買いました。きっかけとかは、特にない。

from小原晩 #4

まさかみらんちゃんもライブを見ているとき頭の中でいろんな声が聞こえるタイプだとは……! しかし感じ方がぜんぜん違うものだね。おもしろい。

「うわー! は、さまざまなコンディションが作用し合って生まれる奇遇」というみらんちゃんの言葉を信じて、これからはもっと軽い気持ちでライブに行けたらいいなあと思います。

そしてみらんちゃん同様、日常的にそういう声が聞こえます。聞こえるというより、喋ってる。ひとつの物事に対して、否定的な意見と、肯定的な意見と、どうでもいいみたいな気持ちと、考えつづけるべきだという気持ちと、もうぜんぶ放り投げたいという気持ちと、諦めたくないという思いと、ただの屁理屈と、その他もろもろが雨みたいに降ってくる。小雨くらいならいいんだけど、ゲリラ豪雨みたいなときもあって、あれは困るよね。

さて、「晩ちゃんとライブに行きたい」とみらんちゃんに言われて、わたしが笑っているばかりだったのは、せっかくの楽しいライブがわたしのせいでいつもより楽しめなかったらいやだなと思ったからです。わたし如きにライブの楽しさを削るような力はない、とも思うのですが、「さまざまなコンディションのひとつ」に「一緒にみるひとの感じ」が含まれるのだとすれば……という気持ちがあって、しかしこれを1から10まで説明するのは長すぎるしうざすぎるので、ふふふと言っていました。ふふふ。すみません。

話は変わりますが、昨晩! ずっと書いていたもの(「vol.1 どうしても乗り越えたい冬」from小原晩 #2参照)が書き終わりました。思ったよりも晴れ晴れとした気持ちではなく、腹の底は重いままなのですが、まあよしとして。
朝起きて、お化粧もせずに、バスに乗って、前住んでいた街まで花を買いに行きました。もうチューリップの時期は終わってしまったので、店員さんと話しながら小さい花束を作りました。

うれしくてうれしくて「いやあ、ずっとやっていたものがとりあえず、まあ、はい、終わりまして、終わったら花を、はい、買おうと思ってましてね、あっはっは、やっとこれました、あっはっは」と聞かれてもいないのに自分しゃべりをしてしまいました。思い出すと恥ずかしい。ぽ、となる。帰りのバスは乗り間違えて、全く知らない街で降りました。仕方がないので歩いて家まで帰ると、猫を抱いて散歩しているおばあさんを見かけました。ちょっと得をした気がします。

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