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演劇を成立させるための音楽ではなく、楽しい音楽がある演劇
―今回、9月20日から9月29日 まで『リビングルームのメタモルフォーシス』の再演が東京芸術劇場のシアターイーストで行われますが、中村さんは実はドイツのハノーファーで初演をご覧になっているんですよね。ご感想は?
中村:まず、ヨーロッパで聴く弦の音ってこんなにいいんだって驚きました。日本は湿度が高いので、弦楽器の鳴りが全然違う。ドイツは空気が乾いていてよく鳴っていて……。作曲は日本の方ですよね?
岡田:作曲家は日本人の藤倉大さんです。住んでいるのはロンドンですけど。
中村:曲も日本では聴いたことのないアプローチの仕方で、弦の音の上に演劇があるのが衝撃的でした。それをドイツ人と観ているのも面白かったし、なんだか夢を見ているみたいでした。日が長いから公演が終わってもまだ外が明るくて、終演後にドイツ人とラーメンを食べたんですけど、「岡田さんの演劇の説明をしてくれ」ってめちゃくちゃ言われて。「日本語でも説明が難しいんだけどな」と思いながら(笑)、話しました。

―今回、音楽劇というふれこみではありますが、音楽と演劇の両立の仕方がかなり特異ですよね。両者が等価で並列な形で共存している。そして、藤倉大という、(肉声という意味ではなく)独自の「ヴォイス」を持った作曲家による音楽の存在が大きい。
『リビングルームのメタモルフォーシス』は、そういう題名の音楽劇というより、そういう名の冠された何か、音楽と演劇の拮抗からなる何か、なのです。ただ、そんなこと言っても通りが悪い。イメージしてもらえない。なので不承不承、音楽劇、と呼ばれることに甘んじている次第です。こういうのは、時間がかかるものです。何十年とかかるかもしれない。チェルフィッチュは(きっと、藤倉大さんも)待つつもりです。待つしかないので。こつこつとやるしかないので。東京公演もそのこつこつの一環です。お客さんに見てもらうことによって世界を変容させることによって。
岡田利規(演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰)東京公演に向けてのコメント(2024年8月執筆)
岡田:そうですね。これは藤倉さんも共感してくれたことなんですけど、そもそも演劇を成立させるために音楽って必ずしも必要ではないんですよね。それは僕にとって、すごく重要なことなんです。つまり、音楽がないと成立しないんです、だから音楽で助けてください、というスタンスではないんですよ。


岡田:そして、音楽に助けられるわけではない演劇があるとしたら、それは音楽がない演劇ではなく、楽しい音楽のある演劇になる、と思っていて。そう考えた時に、どんなミュージシャンとやれたら面白いか考えると、やはり、今おっしゃったように独自のヴォイスを持っている人なんですよね。そして、ミュージシャンだけじゃなくて、衣装家も照明家も独自のヴォイスを持っていてほしいと思う。協働する全ての人にその言い方は当てはまることなんです。
―普通、演劇から「じゃあ音楽をまるまる取りますね」って言っても、大体のものはそれで成立しますよね。
岡田:そうですね。成立しますね。
―でも『リビングルームのメタモルフォーシス』はそれでは作品として成り立たない。
岡田:そうです。藤倉さんの作曲した音楽がもし抜けたら、この作品ではなくなってしまう。そうやって音楽と演劇が拮抗している、並置されているような作品だから、本当は「音楽劇」という名称に納得しているわけではないんです。ただ便宜上、わかりやすくするために音楽劇と呼んでいます。
舞台上でなにかが起きていて、それを観客が観ている、という意味では演劇でも音楽でもあるんだけど、他の演劇とはそもそもの受け止められ方が全然違うと思う。例えば、僕は音楽を聴くときには何も考えないんです。何かを考えちゃうと音楽を聴けない。だけど、演劇を観るときはすごく考えている。
