INDEX
Chapter2.「行動」 都市に対してどう絡んでいくか?
3階では映像作品に注目したい。ちなみに、2階から3階への移動の間にも作品鑑賞のチャンスがあるのでお見逃しなきように。

非常にソリッドな仕上がりで見応えがあるのは、左手の映像作品『untitled』である。車の行き交うトンネル内を無表情に歩く人物を映した4分半ほどの映像で、人物は肩を壁に擦り付けながら進んでいく。すると積もった排気ガスのススがそこだけこそぎ落とされ、人物のTシャツは真っ黒になり、壁には歩いた軌跡が肩の高さで一本のラインとして残る。表現方法は違えど、街に自分の跡を残すという意味ではこれもグラフィティである。
解説には「身体によって都市をスキャニング」するとあったが、なるほど対象を確認しようとするなら、そこには接触が必要だろうし、そこにはその痕跡が必ず存在する。観ているうち、アーティストがなぜ都市に介入するのか、なぜストリート(公共空間)を舞台にしたアートが存在するのか、スッと腑に落ちたような気がした。それは自分の周りの世界を知覚し、理解するために必要なことなのだ。
「視点」を持つことで都市の変なディテールに気づけば気づくほど、都市の訳のわからなさ、情報量の多さに呆然となる。自分が立っている場所のことがよく分からない状態は、とても不安なものだ。知らない町に引っ越した時にまず近辺をあてもなく歩くように、しっかりと立つためには都市に自分から関わって、少しずつでも旗を立てていかなければならないのだ。そう考えると、ストリートアートってなかなかに切実である。

奥に進むと、さらに映像作品が並ぶ。『empty spring』、空っぽの春と名付けられたこの作品では、2020年4月の緊急事態宣言で誰も人がいなくなった渋谷の街が映し出されている。

けれど本作はただの記録映像ではない。人がいない渋谷の各所で、ポルターガイスト現象(?)が起こる様を写しているのだ。三角コーンは横断歩道を渡り、自販機横のゴミ箱は缶を吐き出す。明らかに引っ張っている仕掛け糸が見えているので、リアルな心霊現象として驚かせようという映像では勿論ない。ただ、ロケは渋谷のスクランブル交差点やPARCO前などの複数箇所に及んでおり、時間帯も真っ昼間だったりする。無人状態がおよそ想像できない都市空間で、思いっきり手動のポルターガイストが起こっているのである。つまり、これはCGではない。本作は「誰もいない街で、もし無機物たちがひとりでに動き出したら……」という発想を面白がるものではない。むしろナンチャッテ怪奇現象の背景に、実写とは信じられないような異常な状況がある、そこに背筋を寒くするべき作品なのだ。