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好きじゃない仕事にも、参加する理由
ー少しお話しが戻りますが、小さい頃は、おじいさんのやっていることをどのように捉えてらっしゃったんですか。
高木:法事とかあるたびにお坊さんが40人ぐらい集まるんですよ。子どもながらに苦手だなと感じるものもあったのですが。いいな、すごいなと感じるものもあって。
―どんな部分だったのでしょうか。
高木:大人数で声を出すので毎回コンサートみたいになるんですね。40人が集まってお経を唱えたときの迫力というか……みんな同じメロディーをそれぞれの声の高さで唱えるんです。西洋音楽だったら、ラの音みたいに絶対的な基準があって、その中で音を外すと音痴になるじゃないですか。だけど40人がみんなそれぞれの生まれ持った音の高さでひとりで練習してきた通りに歌う。もちろん40人集まった人、それぞれと影響し合いながら。それは整理された音の重なりじゃなくて、山で聞く鳥や虫たちの歌の重ねと同じ豊かさを感じます。
その音を僕も楽しんでいて、その間だけ、極楽がここにあるんじゃないかと感じるような。ぼんぼりが回っていて、キンキラに飾られていて……お経がうまくいっている間だけ極楽っぽくなっているような時間ですね。それが「いいぞ」って、自分もこういうことしたいなと思っていました。
ーそれをストレートにお寺を継ぐということではない方向で実現したいと思われたんですね。
高木:そうですね。お寺は人が亡くなったら行く場所ですが、困ったことがあったら相談しに行ける場所でもあって、ずっと門が誰かに開いているのもいいなと思って。僕も形を変えて、そういうことをしたいなと。だから映画音楽をやろうよって誘われるときも、わざわざ公園みたいにしたくなるんだと思います。(※)
※編注:本インタビューの前編で高木は「映画はみんなで公園を作るみたいなもの」と語っていた。

ーお寺も公園も誰にでも開かれている場所ですね。
高木:そうですね。だから自分が関わるときは何でも公園を作るつもりで参加する。個人がやりたいことよりも、それぞれ生まれも育ちも違う人たちが集まっている状況を使って、極楽みたいなものが垣間見えたら。ことが終わっても、元気になって、次の1日を始められるみたいな。
だから時には僕が得意そうじゃない仕事も頼んでもらえたりするんですけど(笑)、僕が起こしたいことは一緒なので、得意じゃないことでもできるかなって思っています。
―好きかどうかは仕事を受けるかどうかにはそこまで影響しないんですね。
高木:好きな人ばかりが集まって作るのは、楽しいと思いますが、必ずしも仕事でやらなくてもいいかなって思います。やりたいことが毎日いっぱいあるので、うーん、これをやるのかって悩みますけれど、やると決めたら心を開いて全部受け止めたいですね。それでこちらの素直な思いも届けて、最後に忘れていた扉が開くのは、自宅で勝手にやっている「Marginalia」も、映画音楽も一緒だと思っていて。多分僕はこのやり方しかできないのかなと。