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お経を唱えていて気がついた、仏教の教え
―仏教がより身近になってきたんですね。
高木:先日、12年ぐらい飼っていた猫を看取ったんです。その時の様子が、妻の出産のときとそっくりで。死と出産の様子が似すぎていて。いまこっちで息を引き取って、どこかでそのまま生まれたんじゃないかと感じたんです。ものすごく悲しかったけれど、同時にそういうものかもしれないと感じて救われた気がしました。猫を庭に埋めて弔うときに、やっぱり手を合わせるし、話しかけるんだけれど、今回はその映画の仕事もあったから、自分でもお経を唱えてみようかなって思ったんです。

高木:お経を唱えるといっても、唱え方を知らないので、映画のために作ったメロディーに好きなお経の言葉を当てて歌ってみたんです。そんな風に手を合わせて短いお経を毎日歌っていたら、徐々に「ブッタって誰?」みたいな疑問が消えていって。「自分がわかったという境地に入ってしまったら、もう後戻りできなくて、いろんな困っている人をとにかく救うんだって思いで、よし今日もあらためて生きていきますよ」っていうこと? みたいに腑に落ちたんですね。
ー唱えているうちにですか?
高木:そうです。今までは漠然と「ブッタというすごい人について行こう」みたいな内容なのかなと思っていたんですけれど、詠めば詠むほど、いや、そうは言っていないと。ただただ、自分自身の問題で、自分が向かいたいという気持ちに自然となってくる。
ーその映画音楽にもそういった経験が関係してきたと。
高木:そうですね。おじいちゃんが昔、ミャンマーとか仏教にゆかりのある地域の、現地のお経を聞かせてくれたんですけれど、その中に歌になっているものがあって。おじいちゃんも「いいやろ」って気に入ってました。いま僕が住んでいる村も「御詠歌」といって、人が亡くなったりするとみんなで歌うんですよ。ちょっと賛美歌っぽい。そんな経験が重なって、お経そのものは入れていませんが、お経にメロディーをつけるような感覚でサントラの音楽を作れました。映画音楽の仕事ならでは、と思います。自分だけのプロジェクトでは、なかなか辿り着けません。自分の祖先とようやく繋がれた。ずっとやりたかったっていうのは、そういう意味です。
