文化関係者にとっても試練の季節となったコロナ禍を経た現在。他方、それ以前から山積みとなっていた高齢化や福祉の不足、地域コミュニティの衰退などの社会的課題は、さらにその切実さ、複雑さを深めている。こうした時代に求められる、文化の姿とは何か? 今回はそんな問いを、地域のなかでしなやかに活動する2人のプレイヤーが話し合った。
1人目は、日本各地で盆踊りを現代的にアレンジした祝祭の場をオーガナイズし、2023年には地元の東京・墨田でイベント『すみゆめ踊行列』も成功に導いたスタディストの岸野雄一。そしてもう1人は、長崎県長崎市で「長崎市北公民館」「長崎市チトセピアホール」「長崎市市民活動センター ランタナ」という3つの公共施設の指定管理者を務め、行政的には異分野とされるこれらの施設の連携を模索してきた出口亮太。2人は過去にも、公共施設の新しい使い方や、公共空間と文化の関係について対談を重ねてきた旧知の関係だ。
硬直化した社会に風穴を開ける大胆な実践の楽しさから、俯瞰した立場から異なる分野をマッチングする仕組みの必要性、文化が「文化」の領域を越え出ることの可能性まで。経験豊富な2人の対話のなかに、これからの地域と公共、そして文化の課題を探る。
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コロナ禍を経て見つめ直された、「徒歩圏内」「ローカル」の重要性
—岸野さんと出口さんにはこれまで、2017年と2018年の2回にわたりCINRA.NETでお話を伺ってきました。そこでは、どこの地域にもある公共ホールでカッティングエッジなカルチャーを紹介する、出口さんが館長を務める「長崎市チトセピアホール」の斬新な取り組みや、日本の各地で画期的な盆踊りイベントを開催し、地域の実情を見てきた岸野さんの視点を通して、公共と文化、もしくは都市と地方の問題などを考えてきました。
最後の対話から6年後の現在、お2人が当時から語っていた、文化を通じた公共やコミュニティの再考の重要性はさらに高まっているように思えます。一方、時代が新しい局面を迎えているとも感じ、今日は久しぶりにお2人にいまの実感を聞ければと思います。
まずはこの間にあった大きな出来事として、コロナ禍がありますね。お2人とも人が集まる場を作る活動をされていますが、この出来事のなかでどんなことを考えましたか?
岸野:コロナ渦になって自分が最初にしたことって、自転車を買うことだったんです。僕はこれまで国内や海外のいろんな地域を回って、その場所で文化がどのように生成し、どんな状態にあるのかを見てきたのですが、それが制限されたコロナ以降、徒歩や自転車の圏内という身近なエリアのことに活動をフォーカスする良い機会だ、とポジティブに考えるようにしたんです。
岸野:コロナ渦以前からの活動で一番影響を受け、参考にしていたのが、過去にヨーロッパをDJや公演などで回った際に、自分たちを招聘してくれたスクウォッティング(放棄された土地や建物を不法占拠すること。近年は空き家の再利用プロジェクトなどにも使われる)を活動拠点とするスクウォッターたちの活動でした。
彼らと情報交換をしたり交流を持つなかで、当事者に話を聞くと、もともとヒッピーのコミューンのようなものだったスクウォッティングした建物にも、長い時間と失敗を経て培われた解決の方法やロジックがある。それを知るのが面白いんですね。とくに、本来は違法な活動だったものが、現在では行政からお金をもらって、地域の子どもの美術教室や音楽教室をやっていたり、年配の方も訪れる飲食店をしていたり、日本でいう子ども食堂のようなものから、地域の大きな音楽フェスティバルを開催していたりする事例があるんです。一見、イリーガルでアナーキーな行為に見えるのですが、いかに市民権を得て、地域に根ざした活動を行っているか、その方法論に強く影響を受けました。
—完全に公認されたものもあるんですね。
岸野:そうなんです。なぜそうなったのか、どんな失敗があったのか、どのような方法論を用いたのか、という経緯に学びがある。そして、そうした知見を自分の住むエリアでも実践するというのが、コロナ禍にしていたことです。
そのひとつとして、具体的には、「所定の手続きを踏む」ということがありますね。行政からの助成を受け、その枠組みのなかで活動することは、従来のリベラル的な価値観からは妥協に見えるかもしれない。私は大学で社会実証実験の講義を持っているのですが、学生に「道路使用許可の手続き」について説明をしたことがありました。そのときに、警察官に囲まれてヘイトスピーチの行進を行っている団体と、歩道から抗議しているプロテスターの写真を見せたときに、学生たちは、ヘイトスピーチの行進の方が正しく見える、と言うんですね。許可なく歩道を遮っている人たちの方が悪く見える、と。これは主張の内容は問わずに、構図としてそう見える、ということらしいんです。
このように所定の手続きを避けている限り、リベラルの活動はネトウヨの活動よりも相容れないものに見えてしまうということです。これはやり方を変えないといけないのではないか。それこそ石原慎太郎の初期の小説でも、ダンスパーティーを開催するのに警察署に警備を依頼しに行く描写があったりして、そうやって彼らは正当性を担保していったのだと思うのです。そういった正当性に抗っていくにはどうすれば良いのか? それは権力に馴致されるというよりも、目的に対しての方法の適正化を考えるべきだと思うのです。こうした考えから、例えば2023年に地元・墨田の隅田公園で開催した『すみゆめ踊行列』などでも、行政と交渉を重ねてイベントを作るということを意識していました。
—なるほど。『すみゆめ踊行列』の背景にはコロナ禍のそんな思考があったんですね。一方の出口さんは施設の運営者ですが、コロナ禍をどう過ごされていましたか?
出口:前回までの対談にもあった通り、自分はこれまでチトセピアホールを舞台に、長崎市でなかなか触れる機会のない尖ったカルチャーを紹介することに力を入れていて、そのことで地方にも文化の多様性を担保するということを謳ってきました。でも、コロナ禍で県境の移動ができなくなり、そういう自分の求めていたものができなくなってしまった。
出口:そのとき、ふと我に返って考えてみると、これまでの自分の活動は、結局は地方に「リトル東京」を作りたかっただけなんじゃないかという反省がすごくあったんですね。東京から最先端の何かを持ってきて、ここに小さな東京を再現したかっただけなのでは、と。
ただ、そうしたなか、2020年から「長崎市北公民館」の運営も兼任することになりまして。そうすると公民館というのは、本当に「半径何キロ」っていう世界なわけですよね。
—本当に地域のための施設というか。
出口:そう。岸野さんの話にも通じますが、「外から人を呼ぶ」ではなく、ローカルで何ができるかを考えていました。そのとき公民館という場所があったのはとても良かった。
考えてみると、公民館には大方のものが揃っています。例えば、長崎に新しい文化施設を作るにあたり取られたアンケートがあって、そこには「Wi-Fiがほしい」「展示スペースがほしい」「子育て支援の機能がほしい」「いざとなったら避難所になってほしい」などという要望が書かれている。これって、じつはすでに公民館がやっていることなんです。
だから、僕自身も2020年までは意識していなかったけど、市民が求めるものの多くはすでに公民館にあり、その打ち出し方がうまくいってなかっただけなんじゃないか、と。それに対してどんな新しい取り組みができるんだろうということが、コロナ禍に考えていたことですね。
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人をいかに巻き込むか。公民館や公園での実践
—お2人とも、コロナ禍に身近な環境への視線が変わった点が共通していますね。
岸野:そうですね。あと、これは多くの人が意識したと思うのですが、実際にフィジカルに多くの人が集まるというのは、何にせよ尊いなと気づきましたよね。現場ならではの化学反応が起こる。それは当たり前のことすぎて、一度失ってみないとわからなかった。これは、コロナ渦を経て良かったことのひとつです。ネット上でああだこうだ言い合っていても、何も進まないのが、実際に対面するとおおよその落とし所が見えてくる。これはネット上では時間的なデッドラインが無制限で、いくらでも主張を続けられるのに対して、フィジカルでは「あと1時間で帰るので、そろそろ落とし所を見つけるか」といった意識が働くからなのではないか、と思います。
出口:その意味で言うと、さきほどのホールのリトル東京的な使い方も、当然あっていいわけですよね。やっぱりホールには刺激的なもの、心が湧き立つもの、最先端のものを観にくるという側面がある。
思い出深かったのが、熊本の八代のキャバレーで坂本慎太郎がライブをやったときのことで。FRUEの人たちが主催で、会場整理のお手伝いで入ったんですけど、地方でもこんなにキレッキレな表現が観れて、それに地元の人が喜んでるって光景を目にしたときに、やっぱりこういうのが地域に必要だなと思いました。やっている側としても楽しいですしね。そして、それが「ハレとケ」のハレの場だとしたら、いっぽうのケの方にもより意識が向かうようになってきた。
岸野:わかります。僕もケの充実に力を入れてきました。イベントを開催するのって、言うなれば打ち上げ花火なんですが、それよりも日常的な風景を大事にしたかった。具体的には、公園の居心地というものを大事にしようと思ったんです。屋外の広い公園なら、コロナ渦でも人的な密集度は大丈夫だろうという思いもあり、「イベント」ではなく、個人的に公園にDJセットを持っていって、音を鳴らしていました。もちろん占有許可を申請してですが。
—それはすごいですね(笑)。
岸野:最初は、ただ机とターンテーブル、ミキサー、スピーカーを持っていって、プレイしていたんです。でも、これだと人は近寄りがたい。ただの趣味の人ですよ。そこで「閲覧自由」という看板を立てて、スケルトンのテントのようなものを周りに立ててやっていたら、すごくウェルカム感が出たんですね。その結果、声をかけてくれる人や、またやってほしいから機材を運ぶのを手伝うとまで言ってくれる人も現れました。
この経験は、「パブリック」ということについて考えるきっかけになりました。公共の空間でやっていたとしても、当人からは意識に上らない、「見えない敷居」は意外と強くあるんだな、と。そこに何も仕掛けがなければ、人は「変な人がいる」とか「自分と関係ないサークルだ」と感じてしまう。そのハードルを無くしていって、誰もが参加できますよ、みなさん見てください、聞いてくださいというふうにするにはどんな仕掛けが必要か。それを学ぶ時間でもあったんです。
さらに、そこから発想すると、いわゆる地域振興で効果を生み出すためには、「いかにコミュニティを作らないか」が大事ではないか、とも思いました。内側があるということは外側があるということなので、「内側があるように見えないようにする工夫」が必要。スケルトンのテントもそうですね。幕を張らない、ロープで仕切らないなどがポイントだと思います。
—半開きの状態というか、緩く閉じてはいるけど、完全には分かれてはいない。
岸野:そう。内と外の分け隔てがないことをスケルトンで示して見せていて。そんな風に身近な地域での実践を通して、これまで見えてなかったことがだいぶ見えるようになってきた。
出口:僕も人をいかに巻き込むかということの実験をしてきました。というのも、公民館の抱える問題には、高齢化と利用者の固定化という2つがあると言われているからです。
そこで、自分と同じ40代半ばくらいの世代が来られる公民館を作ろうと、まずは普段から自分が通っているご飯屋さんやお花屋さんに公民館講座の講師をお願いしました。ちょうど初冬だったので、講座のラインナップには、お花屋さんとのモダンしめ縄づくりや、お蕎麦屋さんとの年越し蕎麦づくり、独立系書店の店長さんとの冬をテーマにしたブックトーク、長崎県金融広報アドバイザーによる子ども向けの「お年玉から考えるお金のはなし」トーク、地元のアーティストによるホールの照明機材を使った光のワークショップなど、幅広い内容を揃えました。そしてそれを、運営している3つの施設共通の広報誌『Drie』に「北公民館の冬じたく」というオムニバス講座として掲載。近隣の小学校にわっと撒いたんです。
出口:いくらネット時代と言えど、子どもが学校でもらったチラシってリーチ率100%で親に届くんですよね。それで、子育て中の40代の人たちがたくさん来てくれるようになって。来てみたら、さっきの話で、意外と公民館にはいろいろ揃っていると気づくわけです。
—公民館を知ってもらう第一歩になったんですね。長崎市北公民館は、そうした一連の親しみやすい講座の開催や、その広報誌やインターネットを利用した広報活動などが評価されて、2022年に文部科学省の第75回優良公民館表彰の「優秀館」にも選ばれました。
出口:嬉しかったですね。本当にできることがたくさんあると思っていて。
あと、その講座について思っていたのは、利用者だけでなく講師の人も新しい世代にしていきたいということでした。公民館の高齢化と固定化という問題は、裏を返せば、余暇の時間が増え、公民館が活況を呈した高度経済成長期の頃のコミュニティがいまも続いているということです。その頃の先生と教え子が一緒に歳を重ねている。それはそれでもちろん素晴らしいんだけど、次の世代との関係も作らないといけないと考えているんです。
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「縦割り」を越境する試み。問題意識を共有できる人をどうマッチングさせる?
—ところで、出口さんはこれまで触れたチトセピアホールと長崎市北公民館のほかに、2023年度からは「長崎市市民活動センター ランタナ」の指定管理者もされています。このように複数の施設を横断して運営することにはどんな可能性があるのでしょうか?
出口:そもそもこの3つの施設は、行政的には異なる管轄なんですね。公民館は市の教育委員会の生涯学習企画課、ホールは文化振興課、市民活動センターは市民生活部の市民協働推進室というところが管轄になっている。生涯学習、文化振興、市民活動と分野がバラバラです。ただ、これは管理側、行政側の論理であって、実際に利用する市民としては、同じ公共施設ということで区分けは関係ないはずです。
例えば、市民活動センターで活動する市民団体の活動内容が文化関連だったり、生涯学習としての習い事サークルだったりもするし、実際これまでも公民館としてそうした市民団体とお付き合いをしたこともあります。また、市民活動というと、直接的な社会貢献活動のようなものを思い浮かべがちですが、文化的な団体だって、将来的には地域の文化環境を良くするという意味では社会貢献ですよね。
出口:そのように、もともとこの3施設で行われていた活動は重なりあっていたし、重なっているのなら、ある施設で蓄積されたノウハウが別の場所でも生かされた方がいい。自分たちならそのネットワークを担えるのではないかというのが、3施設を運営するにあたって考えたことです。よく、物事をいろんな角度から見ることを「複眼的」と言いますが、逆に「単眼的」に、同じ視野のなかでいろんな団体を見ることの強みもあると思うんですね。
—面白いですね。出口さんには事前に、一般財団法人地域創造が実施した、地域と文化芸術の媒介者に関する調査報告書(「変化する地域と越境する文化の役割」2022年)を共有していただきました。そこでも、従来は「文化芸術」と「教育」や「福祉」などの分野が独立して存在していて、その「つなぎ役」がいたのに対し、現在ではそうした諸領域がもはや地続きに存在していて、越境的な活動が行われていることが触れられていました。
出口:そうなんです。複数の領域の「不可分性」と「越境」は、近年の社会的課題へのアプローチを考える際のキーワードです。例えば「教育」を考えても、教育委員会だけで済む話ではなく、子育て支援や障害者福祉にも関わる話でしょう。ならば、領域や団体を超えて協働した方がいい。それはみんなわかっていて、あちこちで叫ばれている。だけどそれを行政に持ち掛けても、縦割りもあって難しい、というのが現状だと思います。
ただそれって、そこまで大きな話にしなくても、街のなかで同じ問題意識を持った話が合う人がいればいいんだと思うんですよね。実際、アートをやっているけど、アートだけではなくて子育て支援のこともやりたいというような若い世代って増えている気がする。岸野さんの公演でのDJも、お手伝いしてくれる若者が現れたわけじゃないですか。
岸野:そうですね。ただ、DJだけをやりたいっていう子もいますね。設営とか撤収も手伝うとなると、大体3分の1に減っちゃうし、事前の準備を含む運営となるとさらに減ってくる。ただ、それでも、普段から手伝ってくれる人が1年間で2〜3人見つかれば、全然やっていけるんですよね。自分の人生の経験上、やる人はやるし、やらない人はやらない、なんだかんだ理由をつけて。やらない人に無理やり、やれとは言わないですよ。
結局、こういう地域活動ってボランティアになりがちなんです。それは結局、続かない。最初は投げ銭をしたんだけど、これも続かない。そこで継続させるにはどうすれば良いか考えて、行政ではなく観光協会や区の商店街連合といった団体にアプローチしたんです。すると、そういうところの人たちは公園にキッチンカーを出すことはできるけど、公園に人を呼ぶコンテンツがないと。コンテンツを用意してくれたら予算を出すということで、それをDJの子たちに配分してやりくりしたんです。
出口:活動をするとき、コンテンツはあるけど予算や場所がない人と、予算や場所はあるけどコンテンツがない人がいるという話ですよね。そういうお互いの不足を埋め合うようなことが公民館でも自然にできたらいいなと思っていて。蕎麦屋さんやお花屋さんと、公民館の事業をつなぎ合わせるような、ローカルなつなぎ手になることを心掛けています。
岸野:そのマッチングのシステムがいまのところはないから、実践でやっていく、やってみるということでしかないんですよね。最初の話ではないけど、初めの2年ほどはゲリラ的にやっていたんです。それこそ無償で。でも、これだと文化的に成熟しないと思い、公的に許可をもらってやるようになった。そしたらその活動を観光協会が見ていて、「あいつらが来ると公園に人が集まる」という実績になり、予算も組めるようになったということなんですね。
出口:マッチングのシステムがないというのは、本当にその通りですね。例えば、市民活動センターにはいろんな団体の活動紹介ファイルが並んでいるんです。「環境問題」の団体とか「街づくり」の団体とか、そのそれぞれにはタグが付けられるんだけど、これとこれを組み合わせたら面白いのにとか、問題が解決するのにというのは、そのファイルの背表紙を眺めている相談員や職員の頭のなかにしかないわけです。
だから、いくらタグ付けとか検索のシステムが発達しても、人と人を引き合わせるのは最終的にはマンパワーでしかないところがあって。面倒臭い人もいるけれど、実際に多くの人と顔を突き合わせて、カタログを頭の中に蓄積させて、ぶつけるしかないんですよね。
岸野:そうですね。だから、システムがないと言ったけど、じつは人がシステムになりうるわけですよね。お節介おじさんみたいな感じで、それがやりたいなら、持っている人がいるよと媒介する。それを実践しているところはあります。そのためには「現場を作る」というのが一番なんです。現場で実際に人と会うのが、どんなファイリングやリストよりも役に立つ。
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従来の枠組みを壊すのではなく、柔らかく更新する絶妙な役割の担い手
—さきほど岸野さんから、「内側=コミュニティを作らないようにする」というお話がありましたが、そのとき、地域における人と人の関わりについてはどのようなイメージを持たれているのでしょうか?
岸野:よく人から「NPOを作らないんですか?」とも聞かれるんですが、さきほど話した理由でいまのところそれは避けています。私自身もリーダーや発起人というかたちを避け、単なる町のお祭り男というスタンスを貫いています。
「コミュニティを作らない」という話に戻ると、じつは団体やグループのかたちにして運営すると、進みやすいという面もあるんです。ただしそのやり方は持って4〜5年なんですね。たいてい規約を厳密化して抑圧的になっていったり、ややこしい問題が起きたり。外側から「ああ、あの人たちね」と認知されるほど、形骸化してしまいます。ですので、プロジェクトごとに参集離脱が可能な相互扶助の連絡網、というかたちを採っています。プロジェクトごとに目的を達成したら、その都度、解散する。
もちろん外部からの人たちにも開かれていますが、結果的に、地縁に近い人たちが継続することが多い。それは結果に過ぎないんですね。地域によっては、町内会などのフレームがあらかじめあったりする。そことの関係を築きながら、コミュニティではない参集離脱が可能なシステム、オルタナティブなフレームを用意していく、ということですね。
—少し飛躍するようですが、それで言うと、2022年の『ドクメンタ15』(※)で、ディレクターを務めたインドネシアの「ルアンルパ」が地域の文化的な営みを俎上に載せていましたね。
ルアンルパはジャカルタを拠点にするコレクティブで、彼らが『ドクメンタ15』で提示したコンセプトが「ルンブン」、インドネシア語で「米蔵」を意味する言葉です。これは地域共同体でシェアする米蔵で、そこに貯められたお米はみんなの共有資源になる。ルアンルパはこのローカルな仕組みをドクメンタに実装し、「NO ART MAKE FRIENDS(アートではなく友だちを作ろう)」をスローガンに型破りな企画をして話題になりました。
地域のなかにすでにある仕組みへの着目や、強固ではなく緩やかに何かをシェアする人と人の関係など、岸野さんの実践はこれとつながる部分がありますね。
※ドイツのカッセルで5年に一度開催されている、世界でもっとも影響力のある国際美術展のひとつ。毎回1人ないし1組のディレクターが全体のテーマや作家の選出を行う
岸野:僕の実践はアートではなくて、あくまで日常の延長線上にあるものですが、自分でもそれに対して近いことをしているという感覚はあります。
地域に昔からある風習や風土には、悪い面も良い面もあります。悪い面としては、新しい民主主義のかたちを阻害したり、個人に対する抑圧になることがある。一方、地縁のなかでお互いに信頼関係を築き、共同で社会を運営する感覚は良い面です。それを時代に合わせたかたちでアップデートして、いまの社会の合うものにしていけないだろうか、と。
僕がずっとやっている、地域のお祭りを現代的にアップデートする活動もそうしたもののひとつです。これをやると、なんで昔からのお祭りもあるのにべつのお祭りをやるんだという意見が出ることもある。でも、そこであえて昔からのお祭りを担ってきた人たちにも協力を仰いで、参加してもらう。新しいものを立ち上げるのではなく、すでにあるものと協同できるやり方を考えるんですね。
岸野:そして、さらにそれを町内会というフレームではなく、区の事業としてやったのが『すみゆめ踊行列』です。ここでも、もちろん町内会の方々に協力を仰ぎました。町内会の活動というのは、とくに新住民などはなかなか参加するのに躊躇われますが、この枠組みであれば、外部からも人を呼んできて一緒に活動ができる。そのことで地域が非常に民主的な場になると思うんです。
出口:そうした岸野さんの活動を通して、さっきの観光協会の話のように、従来の固定的な枠組みを超えて、何かと何か、誰かと誰かが出会ったりする。そこが面白いですよね。僕が指定管理者としてやりたいのも似たようなことで。町内会や行政の管轄など、旧来の仕組みでは賄い切れない、時間がかかることが、民間の指定管理者ならスピーディーに担える部分もある。それは結局、市民にとって一番リターンがあることだと思うんですね。
—指定管理者制度というと、そのネガティブな面が注目される機会も多いですが、じつはそうした利点も持ちうるのだと。
出口:そうですね。
岸野:結局、指定管理者も人による、ということですよね。僕は出口さんとは社会的な立場は違うけれど、向いている向きは同じだなと感じます。
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自主性を重視するからこそ、「建築家のようにではなく、庭師のようにデザインする」
—お話を聞いていると、さきほど出口さんが仰った「不可分性」と「越境」がキーワードという指摘が響きます。岸野さんのようにそれをしなやかに実践できる方もいれば、必要を感じながらもその手前でもがく人もいる。それがリアルな現在地なんだな、と。
出口:最近、若い世代で地方公務員の離職率が増加しているというニュースもありましたが、実際にみなさん非常に忙しいとは思うんです。
岸野:その忙しさのなかで、出口さんはよくやっているね。
出口:いえいえ。でも施設を運営していて思うのは、ガチガチに決めすぎないことです。完璧な立て付けを作るのは代理店とかの方が上手いんだろうけど、僕は最近は、最初だけコーディネートして、あとはそちらで仲良くやってくださいというのを大事にしています。
—手を離すというか。
出口:そう。たしかブライアン・イーノが、建築家のようにではなく、庭師のようにデザインしようということを言っていて。つまり、完成品を出すのではなく、最初だけデザインして、あとは植物の成長に合わせて剪定したり軌道修正をしたりすればいいと。たしかにホールの場合はある程度パッケージされたものが必要だけど、公民館や市民活動に関しては途中で手放すことが大事だと思うんです。どうせ思い通りにはならないですからね。
岸野:そりゃそうですよ。僕も公園のDJは自分の趣味の世界を作っているわけではない。ヒップホップを流す子もいれば、萌え系のアニソンを流す子もいる。それでいいんです。流石に公園にハーシュノイズとか流す子がいたら、「ちょっと考えようか」となりますけど。
—客観性も大事だぞ、と(笑)。
岸野:客観性というよりも公共性ですよね。そこは伸びすぎた枝なので、ちょっと整えて。自分の趣味的な範疇ではハーシュノイズは大好きなんですけれども、公共空間は自分の趣味性を発露する場所ではない、ということが、実際にやってみると分かるんですね。反応がダイレクトにきますから。ですので、一度やってみてもらう、体験してもらう、というかたちにしています。個人の表現自体には何の制限も加えたくないですから。
さらに言うと、音楽で街をジャックするという考え方は、現在では有効性を欠いているとも思います。地元の音楽フェスで「俺たちのロックで爺さんたちをガツンと言わせてやろう」と50代のおっさんが言ってたりするのですが、若者たちは「もうちょっと静かな場所に移りましょう」と後退りしていなくなるだけです。現在のように趣味嗜好の小さな島宇宙が無数に存在し、それらが交わらない世界では、他者の意識変革を目指すのは音楽の役割として向いていない、と考えます。興味を持ってもらうとしても、アプローチの仕方や別のフレームづくりを考えないと。ネット空間では簡単にできる「同好の志を募る」というのが、公共空間ではいかに困難になるか、そのことがあらわになるのが興味深いですね。
出口:枠組みだけ作って、あとは自主性に委ねるのが良いのかなと。それで言うと、2023年末に市民活動センターがコーディネーターになり、子どもの貧困問題を扱うNPOやボランティア団体と、障害者の方や障害者支援施設、子ども食堂が集うクリスマス交流会を長崎市役所を会場に開催したんです。これも個別の団体からクリスマスに何かしたいという情報があって、どうせならみんなでやってみようと実施したものでしたが、子育てや教育、障害者福祉のような分野がゆるい枠組みで交わる場が生まれて可能性を感じました。
—そのきっかけがクリスマスというのもいいですね。それなら多くの人、いろんな属性の人が気軽に参加できる。
出口:そうなんです。その一つひとつは小さな活動かもしれないけど、こうした試みが新聞やSNSなどで広がれば、個別の活動を知ってもらうきっかけになるかもしれない。
というか、社会ってそもそもいろんな人が混在している場所だよなと思うんです。障害のある人もいるし、貧困の家庭もある。それを、貧困の家庭は生活福祉課で見ましょうとなるところに一種の限界が生まれてしまう。だったらそれらをゆるくつなげてみることができないか。最近はそうした中間支援的な活動にも力を入れていきたいと考えています。