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演劇要素があるから実現できること
中島:岩井さんのさっきの『て』の話で「治療」という言葉が出ましたが、最初から自分を治すために『て』を作ったわけではないわけじゃないですか。結果的に治療だった、というのがいいんだなと思いました。私も興味を持って学んでいる、フィンランドのオープンダイアローグ(※)という実践では、みんなで集まって対話を重ねることを「対話のための対話」と言っていて、治癒は副産物みたいに言われているんです。
※フィンランド西ラップランド地方で生まれた地域精神医療のアプローチ。ひととの繋がりの中で「対話」を続けることで、投薬や入院を極力回避するという特徴がある。
岩井:あ、そういう風に言ってるんだ。それじゃん。
中島:でも私は「対話のための対話」って、いざやるとなると結構難しいなとも感じていて。どうしても、「話をきいたからには良くしないと」「この人たちは私のために集まってくれたから、良くならなきゃいけない」といった義務感やプレッシャーを、お互いに感じちゃうこともあると思うんですよ。でも劇だったら、これは作品作りのためだから、と思えるし、「当事者研究」だったら、あなたの経験は他の人にも役立つので、ぜひ一緒にやりましょう、みたいになる。

ーみんなで誰かの体験話を前に「どうしようか」と一緒に考えることで、「良くならないと」みたいな義務感が生まれにくいということですか?
岩井:めちゃくちゃ生まれにくいと思う。実際、全然そこに触れないもん。劇をやって「私どう見えてた?」という方向になるというか。
中島:本当にそう。BaseCampでも、演劇要素が強まる前の「当事者研究」をやっていた頃は、私もBaseCamp職員として、みんなに最終的に何かお土産を持って帰ってもらわないといけない、という気持ちが出ちゃっていたんです。でも演じたりするとそれだけで楽しいから、そこまで何かを持って帰ってもらわないと、と思わなくなりました。
ーみなさんが各々、勝手に持って帰るというか。
岩井:そうそう。でも『ワレモロ』の公演も、ワークショップに参加した人が作品作りを通してその体験を乗り越えなきゃ、という方向に行きかけた時があって。そうすると全然楽しくなくなるし、これは順番が違うって生理的に思いましたね。今は公演としてやった方がいい企画なのかが分からないから、しばらくはワークショップだけだな、という状態です。
ー「当事者研究」と『ワレモロ』はかなり近いところにあると思うんですが、中島さんは『ワレモロ』をどのようにご覧になってますか?
中島:みんな『ワレモロ』の場では自分の体験を話せるんだと思うんですけど、日常生活ではあまり自分のことを喋っていないんだなとすごく思うんです。だから、岩井さんが『ワレモロ』の中でもそういう話をしてた気がするんですけど、「『ワレモロ』があるから、また次ひどい目にあっても、『ワレモロ』に行こう」という流れが生まれるというか。
岩井:現実に耐性がつくよね。
中島:はい。「そこに行って話そう」という場があるのはすごくいいなと思っているので、そういう場がもっといっぱいあるといいですよね。あと、岩井さんはワークショップで「こういう感じでやってみよう」と演出してくれるんですよ。自分たちだけだと、ただやってみるだけなんです。そこで岩井さんが色々と言ってくれることで、自分の話だけど少し距離ができるんですよね。
岩井:それは、劇場と稽古場の中で演出家だけやっていたら、気付けないことだったと思います。劇場や稽古場じゃない、演劇と関係ないコミュニティで、ワークショップをやると「私たちじゃ思い浮かびませんでした」みたいなリアクションが来るのが面白いですよね。稽古場では演出家が場面をコントロールするのは普通のことだから、そんなリアクションはないんですよ。