都会の喧騒から遥か遠く離れた里山に暮らし、自然との対話のなかで音楽を生み出し続けている音楽家・高木正勝。そんな彼が「これは絶対にやりたい」と思ったという重要な作品が、映画『光る川』だ。
高度経済成長期の日本。山間の集落で暮らす少年は、村にやってきた紙芝居屋の演目で、その地方に古くから伝わる、ある物語を知る。里の娘・お葉(華村あすか)と山の民である木地屋の青年・朔(葵楊)の悲しい恋の物語だ。その話が、数十年に一度、村を襲うと言われている大洪水と深い関係があることを知った少年は、大雨の夜台風が迫る日の明け方、ひとりある行動に出るのだった。
同作を監督したのは、『アルビノの木』『リング・ワンダリング』で国内外で注目を集めてきた金子雅和。奥深い森の神秘や、悠久の川の流れに魅せられ、それらのものと人間の繋がりを、独自のスタイルで描き続けている映画監督だ。ほぼ同世代である彼らの出会いは、この映画のなかに、果てはお互いの創作意識のなかに、どんな影響をもたらしたのだろうか。
「すべての表現は私小説だと思う」――そんな高木の言葉から、徐々にひも解かれてゆく映画の『光る川』のバックストーリー。高木正勝と金子雅和。表現方法は異なれど、同じく川の流れをさかのぼってゆくように、自然の中へと身を投じるようになった彼らのシンクロニシティについて語り合ってもらった。
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「劇中で役者さんが演奏する音楽をつくるのは初めて」(高木)
―まずは、映画『光る川』の音楽を高木さんに依頼することになった経緯から、お話しいただいてもよろしいですか?
金子:もともと自分は、高木さんの本当に初期の作品から聴かせていただいていて。ずっといつかご一緒したいと思っていたんです。それで今回『光る川』の脚本ができたとき、この作品の音楽は、是非高木さんにやっていただきたいと思って、「こういったお話に、ご興味ないですか?」と連絡しました。
―「是非高木さんに」と思った理由は、どのあたりにあったのでしょう?
金子:自分のこれまでの作品――『アルビノの木』(2016年)や『リング・ワンダリング』(2020年)も山や川がモチーフになっていたんですけど、特に『光る川』は「里山」を舞台に展開していく物語なので、高木さんの田舎で暮らしながら制作されているというスタイルが――これはこちらの勝手な思いではあるんですけど、この作品とマッチするのではないかと思いました。
―オファーを受けて、高木さんは、どんな反応を?
高木:自分がずっとやりたいと思っていたことが、いろいろできそうだなって思ったんです。たとえば、完全な時代劇ではないですけど、古い日本の姿を描いたものに、音楽をつけられること。あと、草笛を吹くシーンがあるじゃないですか。その草笛のメロディをつくってほしいというのが、最初の段階からメインの話としてあって。劇中で役者さんが演奏する音楽をつくるのは初めての経験だったんですけど、ずっとやりたかったことでもあったんです。
―劇中の音楽を作りたかったのは、どうしてでしょうか。
高木:そもそも映画音楽は「どこで誰が鳴らしているのか」という問題があるじゃないですか。その意味で、本来は劇中で登場人物が実際に楽器を鳴らしている状態が理想的だと思うんです。

音楽家 / 映像作家。1979年生まれ、京都府出身、兵庫県在住。長く親しんでいるピアノを奏でた音楽、世界を旅しながら撮影した“動く絵画“のような映像、両方を手掛ける。NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』、映画『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』『未来のミライ』『違国日記』などの音楽を手がける。近作は、山村にある自宅の窓を開け自然を招き入れたピアノ曲集『マージナリア』、エッセイ集『こといづ』。
―「映画音楽」とひと口に言っても、いろいろなつけ方がありますよね。
金子:今回は、環境音と高木さんにつけていただく音楽とが、自然に調和する形がいいんじゃないかと思っていました。山の中で聞こえる音だったり、川の流れる音、あるいは職人たちが作業している音だったり、いろんな環境音も、登場人物たちと同じように大切なものだと思っていて。
自分の他の作品もそうなんですけど、音楽が物語をリードしていくようなものではないので、高木さんには「とりあえず、オープニングとエンディングには、音楽がほしいです」ということをお伝えして。あとは、先ほど高木さんがおっしゃった通り、今回の映画は、草笛の音色がいちばん印象に残ることが大事だと思っていたので、そこを主旋律にしていただいて……ということを伝えました。

1978年東京都出身。青山学院大学国際政治経済学部卒。2016年、初長編監督作『アルビノの木』が第6回北京国際映画祭の新人監督部門で正式上映、全国公開。2021年、長編2作目となる『リング・ワンダリング』を完成。長編3作目となる『光る川』で第62回ヒホン国際映画祭ユース審査員最優秀長編映画賞などを受賞。
―高木さんは、どのあたりを手掛かりとして、音楽をつくっていったのでしょうか。
高木:音楽がついてない状態で見ても「音楽を奏でるという意味ではきっとここが重要なシーンになるだろうな」という箇所が、ほとんどの映画にあって。映画によっては、それが本編ではなくエンドロールだったりもするんですけど、そのシーンをつかむことが、自分にとっては、まず重要で。それをつかまないと、他の部分がガタガタになってしまうんです。だから、大体の場合は、まずはそこから手をつけていきます。
今回はオープニングとエンディング、草笛のシーンの3つだと思いました。でも草笛のシーンって、完成したものを観るとすごく大事なシーンだとわかるんですけど、最初に脚本をいただいた段階では、草笛の音がどう大切なのか、ちょっとわかりにくいんですよね。それをつかみかねていたときに、金子監督とちょっと長めにお話させていただく機会があって。そこで監督のほうから「円空」の話が出てきて……。
―ん?
高木:江戸時代に「円空」という、生涯にわたって12万体の仏像を彫ったと言われている人がいて……。
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ヒントは江戸時代の仏師、「円空」の逸話
金子:まさに、この映画の舞台である岐阜県の長良川のあたりの出身の仏師です。彼は子どもの頃、長良川の洪水で亡くしてしまった母親の魂を鎮めるために、日本中を旅しながら、膨大な数の仏像を彫った人物なんです。実際、長良川流域のあちこちに、彼の逸話がたくさん残っていて……それが1600年代の話なんですけど、この映画に登場する紙芝居の中の世界というのは、実は円空が生きていた頃という設定なんですよね。

―あ、そういうことだったんですね。
金子:はい。この映画は『長良川 スタンドバイミー 一九五〇』という原作小説があって、原作者の了解のもと、ほとんどオリジナルと言っていいぐらい自由に脚本世界を広げたんですけど、その原作は作者の方の思い出がベースになっている私小説なんです。そういった話をさせていただいたときに高木さんが「すべての表現は私小説だと思う」とおっしゃって。音楽でも映画でも、すべては私小説だと自分は思っているけど、この映画は金子さんにとって、どういう物語なんですかと。かなり直球の質問が、いきなりきて(笑)。
―そうですね(笑)。
金子:そこで、僕のほうから2つお話をさせてもらったんです。ひとつは、円空の人生についての話です。僕はもともと円空に興味があったんですけど、たまたま今回、長良川で映画を撮ることになったときに、やっぱり円空の逸話が、この地域にはすごく多いなっていうのを改めて感じて。映画の中に「木地屋」という、各地を旅して回る木工職人の集団が出てきますけど、円空の父親は、木地屋だったという説もあって。そういったところから、今回の物語を発想していきました。

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制作に反映された、それぞれの幼少期の物語
金子:もうひとつは、自分自身の話ですよね。ちょっと僕の話が長くなって申し訳ないんですけど……。
―いえいえ。続けてください。
金子:はい。この映画の中で、お父さんとお婆ちゃんが、世代的な価値観の違いで対立しているんですね。思い返してみると、僕が子どもの頃、自分の父親と祖父もあまり仲がよくないようにみえました。――東京の話ではあるんですけど、祖父は代々農業をやっていて、父親の世代はそういった第一次産業ではなく、これからは第二次、第三次産業だっていう時代で、農家を継がなかったんですね。
それで、晩年に祖父が病気になって……そのとき祖父が「多摩川の源流の、小河内の水を汲んできてほしい」って、父に頼んだんです。祖父が農業をやっていた地域では、農地に水を運んでくれる多摩川に対する民間信仰があって、多摩川の源流の水を飲めば、どんな病気でも治ると言い伝えられてたんですね。子どもだった自分には仲がよくないように見えていた二人ですが、父親は祖父の願いを素直に聞いて、多摩川の源流に水を汲みに行ったんです。……結局、祖父はそのまま亡くなってしまうんですけど、その一連の出来事が、自分の中ではすごく印象に残っていて。そこから、今回の物語を発想したところがあるんです。そういう意味で、この物語も、自分にとっての私小説というか、自分の何かを描いていることになるのかもしれないというお話を、高木さんにさせていただいて。
―なるほど。その話を聞いて、高木さんは、どんな感想を?
高木:前回のインタビューでもお話させていただいたように、僕のひいおじいさんが、それこそ岐阜のほうから京都にやってきて、壊れかけたお寺を再興した人で。だから仏教は生まれたときから身近だったけど、近すぎるがゆえに、あんまり向き合ってこなかったんですよね。
だけど金子さんから円空の話を聞いて、僕なりに円空のことをいろいろ調べたりしながら、ようやく仏教のことを勉強するようになって。ここからいきなり草笛の話になるんですけど、木地屋の彼が、なぜ草笛を吹くのかって、恐らくお母さんに歌ってもらった子守歌を、彼は草笛で吹いているんじゃないかと思って。仏教はインドで始まって、中国を経由して日本にきたわけですけど、彼が生業としている「木地屋」の文化も、大陸からやってきたものらしいんですよね。だから、彼が吹く草笛のメロディは、必ずしも日本っぽいものではなく、むしろそこに混ざり切らずに残ったものというか、どこか大陸の雰囲気を残したものなんじゃないかって思って。それで、いわゆる日本的な五音階――ヨナ抜き音階とか言いますけど、そうではなくて敢えて四音階でつくってみたりして。
―あの草笛のメロディには、そんなサイドストーリーがあったんですね。
高木:そうなんです(笑)。それこそ、先ほど監督がおっしゃってくれた話とかも、映画を観ているだけではわからないじゃないですか。僕はそういうものがないと音楽が――つくれないことはないんですけど、自分自身が面白くないんですよね。なので、今回の映画は、そういう意味で自分の興味を満たしてくれたし、いつか向き合いたかったことに取り組めたことが、すごく良かったんですよね。

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「この映画は、人間だけの話ではない」(金子)
―前回のインタビューで、高木さんが、この映画の「裏テーマには仏教があって」と言っていたことの意味が、いまのお話で、ようやくわかりました(笑)。
高木:そうですよね(笑)。この対談のために、久しぶりに『光る川』を見直したんですけど、ラストのシーンのことを、忘れていて。最後、川から葉っぱが流れてきて終わるじゃないですか。そのシーンを観て改めて思ったんですけど、川の上流から葉っぱが流れてくるというのは、ある意味自然から返答をもらったということであって……そこが、この映画の素晴らしいところだなって思って。

―どういうことでしょう?
高木:どう説明したらいいかな……そう、僕は昨日も、部屋の窓も開けて、カエルと一緒に演奏していたんですけど、ただカエルと一緒に演奏することって、誰にでもできるんですよ。でも、カエルに許されるような演奏は難しくて。カエルのほうも僕の演奏を聴いてくれている感じ、僕の演奏に対してカエルから返事をもらえるようなことが、ときどきあるんですよ。それと同じように、自然のほうから何か返事がもらえる、ということを描けるのは、素晴らしいと思いました。
金子:ありがとうございます。『光る川』というタイトルの通り、この映画では川もひとつの登場人物であり、それこそ木地屋がつくった「お椀」も、ひとりの登場人物であるというか――先ほど環境音の話をしましたけど、この映画は、人間だけの話ではないんですよね。

金子:いまの高木さんのお話を聞いて、ひとつ思い出したことがあって。ちょうど1年ぐらい前に、高木さんが『FESTIVAL FRUEZINHO 2024』(2024年7月)で『光る川』の曲を演奏してくれたんです。僕もその演奏を観に行かせていただいて。会場だった立川ステージガーデンは半分室内、半分外みたいなホールなんですけど、高木さんが演奏を始めると、外でカミナリが鳴って、激しい雨が降り始めて。まさに、先ほど高木さんがおっしゃったように、カミナリと雨と一緒に音楽が盛り上がっていくというか、まるでセッションみたいで。それに自分は、ものすごく感動したんですよね。打ち合わせで高木さんがおっしゃっていたことが、その演奏にすべて集約されているような気がして……自分としては、そこで全部腑に落ちました。
―なるほど。
金子:もうひとつ言うならば、自分は大体いつも、山とか川で作品を撮っているんですけど、この場所がいいな、ここで撮りたいなと思っても、すぐにはカメラを回さないんです。ここがいいと思ったら、時間や日にちを変えて、何回もそこを訪れるようにしていて。そういう場所って、その場所自体にすごく力があるから、容易に撮らせてもらえないような感じがあるんですよね。だけど、何回も通っているうちに、「そろそろ撮ってもいいよ」って言ってくれるように思える瞬間があって。自分の映画づくりのスタイルとして、そうなるまでは撮らないようしています。
―高木さんは京都出身で、金子さんは東京出身――必ずしも自然豊かな場所で生まれ育ったわけではないと思いますが、そんなほぼ同年代のおふたりが、いまこうして自然の中に入って作品づくりをしているのは、ちょっと興味深いことだと思っていて。そのあたりについては、ご自身としては、どのように考えていらっしゃるのでしょう?
高木:僕は京都の中でもいわゆるニュータウンと呼ばれるようなところの団地で育っていて。山を切り開いて新しく住宅地にしたようなところだったので、文化がなかったんですよね。お祭りはあったけど、その場所に代々伝わるようなものではなかったというか。
そういう場所で生まれ育って……そう、さっき「すべての表現は私小説だと思う」という話がありましたけど、やっぱり多くの人は、自分の人生を解き明かそうとして、作品をつくっていると思うんです。少なくとも自分の場合はそうで、作品をつくっている最中に、自分の人生のことが少しわかってくるというか、わかる過程で作品ができるというか。
僕は幼少期から、映画とか音楽とか、あるいは絵とか文章も含めて、何かが生まれることに対してずっと興味があったんですよね。自分の場合、どうしてもそこに向かってしまうというか、いまこうして田舎に越して暮らしているのも、その源流に近いところに向かっているという気がするんです。さっき金子監督が第一次産業っておっしゃっていましたけど、農業とか林業とか漁業は、すごく源流に近いんですよね。自然の中から、泉のように湧き出しているものというか。なので、つくるということに魅せられた人は、そこにたどり着かざるを得ない気がするんです。そこから出てきているものを、紛れもなく美しいと思うなら、そこから何かを学びたいというか、それに近づくようなものをつくりたいっていう。
金子:自分が生きてきた足元であり源を探っていくと、結局はそういうものに繋がっていきますね。僕も以前は、自然は自分にないものというか、ある種のあこがれなのかなって思っていたんですけど、『光る川』で自分の祖父が農業をやっていたというルーツがあるから自然に惹きつけられ続けているんだ、ということに気が付きました。自分が育ったところは、一応東京なんですけど、僕が生まれる数十年前は、全部農地だったらしいです。
―面白いですね。おふたりとも、川の上流へ上流へとさかのぼるように、都会から田舎に身を投じていったというか。
金子:そうですね(笑)。『光る川』のキャッチコピーが、まさに「川を、時を、さかのぼっていく――」で。それは、人々の暮らしの源流であり過去であり、そしてまた、自分自身の源みたいなものに近づいていくってことなのかなって思っています。
