「真のインディーシーンの確立とサポート」を掲げるライブイベント『HELLO INDIE 2025』が7月13日(日)に仙台PITで開催される。カナダ留学からの帰国後、『ARABAKI ROCK FESTIVAL』の制作を行っていた佐藤恭が2014年に立ち上げた『HELLO INDIE』は、単体では仙台でライブをすることが難しいインディーのアーティストを集めたイベントで、今年は15年ぶりの来日となるカナダのDO MAKE SAY THINKをはじめ、LITE,downy、トクマルシューゴらが出演。コロナ禍を経て、5年ぶりの開催となった前回からはPay What You Canという投げ銭制を導入し、より多くの人が来場しやすい環境が整えられている。
これまで佐藤がメディアで『HELLO INDIE』の理念について語る機会はほぼなかったが、今回HIP LAND MUSICの山崎和人との対談が実現。『HELLO INDIE』の常連であるLITEやThe fin.のマネージャーとして出会い、現在ではデジタルディストリビューションサービスのFRIENDSHIP.と共同で出演者のオーディション企画やブッキングのサポートも行う山崎は、イベントを初年度から見つめ続けてきた盟友的な存在だ。そんな2人の関係性だからこそ伝わってくる、佐藤の深い音楽愛と人間味、『HELLO INDIE』に対する妥協のない想いをぜひ感じてもらいたい。
INDEX
学生時代のトロントでの出会い。スフィアン・スティーブンスやDO MAKE SAY THINKとも
ーまずは『HELLO INDIE』が始まった経緯を伺いたいのですが、そもそも佐藤さんは20代の頃にカナダに留学をしていたそうですね。
佐藤:22歳から26歳までカナダのトロントにある専門学校に行って、マネジメント、プロモーター、レーベル、レコーディングエンジニアとか、音楽業界に関することを一通り勉強しました。そこの同級生にはアーティストもいて、彼らからトロントのインディーシーンを教えてもらい、まだ売れる前のスフィアン・スティーブンスや、Three Gutっていうレーベルに所属していたRoyal CityやConstantinesのライブを観て、そこからトロントのインディーシーンにどハマりしました。今回の『HELLO INDIE』もそうなんですけど、向こうにはPay What You Can(※)っていう投げ銭のシステムがあったので、お金のない学生でもいろんなバンドを観ることができたんです。
※入場にお金はかからず、自分で決めた金額を支払うことができる仕組み。カナダなど、貧富の差が大きく主流となっている。

1977年生まれ。2004年から『ARABAKI ROCK FEST.』に携わる。国内外のブッキング、全体の運営統括を経て、2013年株式会社クールマインを設立。同時に、国内外の芸術家やミュージシャンのツアーやフェスティバルブッキングを、アジア諸国でサポートするプロジェク『INDIE ASIA』を立ち上げ、Andy Shauf、Joan Cornella、KYLE DIXON & MICHAEL STEIN、William Basinskiなどの日本公演を担当。『HELLO INDIE』や肘折国際音楽祭などの異色のフェスティバルの主宰も行う。
ー今年の『HELLO INDIE』に出演するDO MAKE SAY THINKもトロントのバンドですよね。
佐藤:トロントのインディーシーンを掘り下げていく中で、いろんな友達を介して、DO MAKE SAY THINKのアートワークを手掛けたり、写真を撮っている仲間とも知り合いました。まだBROKEN SOCIAL SCENEがブレイクする前のArts & Craftsも投げ銭制でイベントをやっていて、そこにも行きましたね。学校を卒業してからは半年くらい同級生のバンドを手伝って、キャンパスラジオにプレスリリースを送ったりしてました。
ー帰国後は『ARABAKI ROCK FESTIVAL』を制作している会社に就職をしたんですよね。
佐藤:そのとき心の中で決めてたのは、「いつかDO MAKE SAY THINKを日本に呼ぼう」ということだったんです。そうしたら、たまたま僕の上司が洋楽も好きな人で、他のフェスと差別化を図る意味でも、海外のアーティストを呼ぼうということになって。しかも、『フジロック』のSMASHとか『サマソニ』のCREATIVEMANが呼んでないような、ポストロックとか、エクスペリメンタルとか、そういうバンドをブッキングし始めて、その流れで山崎さんとも知り合い、LITEを呼んだりしたんです。

ー実際にDO MAKE SAY THINKは2008年に初来日をして、『ARABAKI』に出演をしていますね。
佐藤:そのときすでに1万人以上入るフェスになっていて、5ステージくらいあったので、ステージにある程度色をつけないとたくさんの人に観てもらえない気がして。だからその日のDO MAKE SAY THINKが出るステージにはtoeやMONO、SPECIAL OTHERSを並べて、たくさんの人に観てもらえました。
その会社を卒業した後に、今後何をしたいか改めて考えたら、自分が本当にかっこいいと思うアーティストだけを集めたイベントをやるのが、自分の進むべき道かなと思って、それで『HELLO INDIE』を始めたんです。最初は仙台のライブハウス4会場を使ったサーキット形式でした。

ー山崎さんは当時の『ARABAKI』に対してどんな印象を持っていましたか?
山崎:異色というか、尖ったラインナップのフェスという意味で、すごく目立ってましたよね。DO MAKE SAY THINKやtoeもそうだし、違う年にはROVOが出たりしていて。
佐藤:高木正勝さんやあらかじめ決められた恋人たちへを呼んだりもしてましたからね。
山崎:いい意味での違和感があったというか。
佐藤:振り返るとそうですよね。他のフェスではあんまり見ないようなラインナップだった。
山崎:で、恭さんのことも人を介して紹介してもらって、話をしたら同い年で。
佐藤:子どもも同い年。
山崎:そこで意気投合しましたよね。

1978年生まれ。2003年よりライブハウス「新宿MARZ」店長 / ブッキングマネージャーを経て、2009年に株式会社ヒップランドミュージック・コーポレーション入社。現在はLITE、The fin.、toeなど、国内外で活躍するアーティストのマネジメントを担当している。また、2019年5月には、デジタル・ディストリビューションとPRが一体となったレーベルサービス「FRIENDSHIP.」を立ち上げ、インディーアーティストの活動をサポートしている。
山崎:実際にLITEが初めて『ARABAKI』に出たときもたくさん人が集まってて、仙台は音楽好きが多いんだなって思いました。あ、話が前後しちゃいますけど、その年がちょうど2011年、震災の年だったんです。
佐藤:夏に振り変えてやったときか。そのとき震災のコンピレーションを作って、日本のアーティストからも楽曲提供をしてもらったし、それこそDO MAKE SAY THINKとか、STARSとか、カナダのアーティストからも楽曲を提供してもらったりして。あと奈良美智さんにアートワークを描いてもらいました。

山崎:そこで結構深く関わって。
佐藤:なので、『HELLO INDIE』をやるときも最初に山崎さんに相談した記憶があります。