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戦争によって役割も変化。映画館は社会を映す鏡だった
―2014年に閉館して10年以上経った今でも語り継がれている場所ですが、バウスシアターの特異性はどんなところにあったと思いますか?
甫木元:『爆音映画祭』をやっていたのが、この映画のプロデューサーでもある樋口泰人さんなんですけど、元々評論家の方なのでその作品に対する批評も込みで調整して上映されている気がしていました。だって本当はやっちゃダメじゃないですか。本来の音量から上げたり、イコライザーをいじったり(笑)。だからお客さんはもちろん、作り手側も新たな発見や再認識ができる場所だったと思います。

甫木元:あと、爆音上映という名前だけ聞くと大きな音という印象だと思うのですが、静かな映画を爆音上映で観る時一番発見がありました。
―映画の上映以外にも、演劇、音楽、落語などいろんなことをやっていた様子が映画の中でも描かれていますよね。
染谷:お兄さんのハジメ(峯田和伸)がイントナルモーリっていう騒音の出る楽器を持ってきてみんなで演奏するんだけど、全然お客さんには伝わっていないというシーンが前半にありました。そんな感じでただ映画を流す場所だけではなくて、面白そうなことはやってみようっていう姿勢が戦前から常にあって、それが特有の色をつけていったんだと思います。

甫木元:映画館というより、本当の意味で「劇場」だったんですよね。演劇もやっていましたし、音楽ライブもやっていた。場所の役割に定義づけをせず、色んな人にとって自分もここに居ていいんだと思わせてくれる受け皿であり、遊び場として存在していた。まあ、緩かったっていうだけかもしれないですけどね(笑)。
―劇中では戦前に無声映画上映を行っていた「井の頭会館」で、ハジメとサネオの兄弟が働きだすところから始まり、終戦後に「ムサシノ映画劇場(M.E.G.)」が設立される。そしてそこからリニューアルした「吉祥寺バウスシアター」が閉館する日までの約90年にわたる歴史が描かれています。なぜここまで長く続いたんだと思いますか?
甫木元:本編はだいたい中間地点の60分くらいで終戦を迎えるんですけど、そこで内容的にもレコードのA面とB面みたいに流れが変わります。世界史的な背景として、戦争によって映画館の役割が移り変わっていったんですよね。戦前は単純に新しいエンターテインメントとして登場した映画を流す場所。それが戦争状態になっていくにつれてプロパガンダに利用されるようになったり、一方で状況を伝える報道の映像を流す場としても機能していたので、本当にお客さんがいっぱい来たようです。

―一家に1台テレビが来る前の時代ですよね。
甫木元:映画館は社会を映す鏡だったし、激動の流れを見続けてきた。そんな場所を守ってきたサネオさんと、それを2代目として引き継いだタクオさんの想いは簡単に想像できないものですね……。でもとにかく社会の変化にどう対応していくかずっと考えていたんだと思います。
