911以降に強まった権力への不信と政治的危機感は、スティーブン・スピルバーグ作品のトーンを変容させてきた。特に2010年代以降、青空の広がりは失われ、暗がりや室内を舞台にした現実的な問いかけが前面に現れるようになる。
最新作『ディスクロージャー・デイ』は、そうした近年の思考と演出手法が色濃く反映された1作だ。隠蔽と開示をめぐる政治スリラーの系譜を追いながら、本作がスピルバーグのフィルモグラフィーにおいてどんな作品として位置づけられるのか、この作家を長年追い続けてきた映画評論家 / 研究者の南波克行が綴る。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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スピルバーグにとっての「ディスクローズ」
2026年9月11日。ニューヨークの同時多発テロから25年目のこの日、こんなBBCニュースを目にした。
「911攻撃直後の大気汚染。ニューヨーク市民は『うそをつかれていた』マムダニ市長が文書公開」(※)。
報道によるとツインタワー倒壊後、大気からアスベストが検出される。しかしそれに伴う3千人以上ともされる健康被害で、市民からの告訴を恐れた市および連邦当局は、その事実を隠していた。その資料を市長がディスクローズ(開示)したという。
※9/11攻撃直後の大気汚染、ニューヨーク市民は「うそをつかれていた」 マムダニ市長が文書公開(BBC News JAPAN)
https://www.bbc.com/japanese/articles/crm94ek72l8o
このように権力は嘘をつき、情報を隠す。スピルバーグは、そのことにしばしば強い懸念を示して作品を作ってきた。『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017年)はその代表だ。
ベトナム戦争は米国の敗戦不可避とする報告書があるのに、戦争責任を恐れた政権はそれを隠した。そんな「大統領の陰謀」を、政府の妨害に屈せず、新聞社がディスクローズした実話に基づいている。

『ディスクロージャー・デイ』は、この流れをくむ政治スリラーだ。今や政府は資本と結託し、地球に落ちた宇宙人の情報を隠している。主人公たちは彼らを出し抜き、情報公開するための逃避行をする。
地球外生命体はスピルバーグの少年時代からの夢であり、彼の心の財産のひとつだ。だから「宇宙人の情報」とは、市民の財産、生命にかかわる重要事項のメタファーであり、権力に奪われてはならないものの象徴とも言える。
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『リンカーン』を境に、増していく暗さ
「911以後、私の映画はより暗くなっていった」(※)と、権力への危機感を募らせるスピルバーグの発言は、『宇宙戦争』(2005年)や『ミュンヘン』(2005年)が裏付ける。
※Steven Spielberg Reveals Darker Film-making Following 9/11 Events(HUFFPOST)
https://www.huffingtonpost.co.uk/2012/01/11/steven-spielberg-war-horse-dark-films-9-11_n_1198551.html
本稿では、そんなスピルバーグの懸念がさらに深まる2010年代以後、それも『リンカーン』(2012年)からの作品に着目したい。というのも、ここからある1人の女性が、スピルバーグの新たなプロデューサーとして加わるからだ。クリスティ・マコスコ・クリーガーである。
1970年生まれの彼女は、大学で社会学を修めた後、1994年にスピルバーグ率いる映画製作会社アンブリンに入社。広報部に籍を置くが、翌年にホロコーストの記憶を継承するショアー財団に異動となる。実績が認められて1997年にはアンブリンに復帰。ここで初めてスピルバーグのアシスタントになる。この経歴からも、彼女がスピルバーグ作品に政治的な要素の強化をもたらしたことが推察される。
転機は2012年。プロデューサーとして、長年スピルバーグを支えたキャスリーン・ケネディが、ルーカス・フィルム社長に就任する。ジョージ・ルーカスが会社をディズニーに売却したことに伴う転身だ。このときケネディを引き継ぐように『リンカーン』の共同製作に抜擢され、以後スピルバーグの右腕となる(※)。
※Spielberg’s SECRET WEAPON
https://producersguild.org/wp-content/uploads/2023/06/Kristie-Macosko-Krieger.pdf
クリーガーの参画と本稿の考察に、どれだけ因果関係があるかはわからない。しかしトランプ政権発足で、製作を急ぎたいスピルバーグの意向を受け、『ペンタゴン・ペーパーズ』を、わずか数カ月で完成に導いた彼女の機動力は、スピルバーグの構想をより解像度高く実現する、大きな力となったことは間違いないだろう。
そして、その『リンカーン』以後のスピルバーグの画面から決定的に消えたもの、それは人が空を見上げる姿なのだ。『未知との遭遇』(1977年)や『E.T.』(1982年)、『ジュラシック・パーク』(1993年)など、憧れと感動を込めた見上げる眼差しが今やない。スピルバーグの「私の映画はより暗くなった」という言葉の真意はここにある。
見上げる行為が、どこか禍々しいものに変わった。あの日ニューヨーク市民の多くは、きっと倒壊するツインタワーを見上げていただろう。そのイメージは『宇宙戦争』(2005年)で、人間を殺戮するトライポッドを見上げる姿に転写されたはずだ。
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暗さの要因は、見上げる青空の喪失
同時にスピルバーグの背景に空、特に夜空が広く映し出される機会も減った。鉄条網を引きずって軍馬が疾走する、『戦火の馬』(2011年)の後景に輝く満月は、その最後の名残りだったろうか。
驚くのは『リンカーン』だ。清澄な青空が画面に大きく広がるから、それを誰かが見上げるかと思いきや、リンカーンの息子(ジョせフ・ゴードン=レヴィット)が空など見もせずに、見下ろすのだ。するとそこには大きな穴が掘られ、戦死者の手足が投げ込まれている。
この原型は『シンドラーのリスト』(1995年)で、虐殺の犠牲となる「赤い服の少女」を、小高い丘の上から見下ろすシンドラー(リーアム・ニーソン)だろう。
リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)によるラストの演説も、位置的に彼を見上げる者もいるとはいえ、すり鉢状の会場はむしろ聴衆がリンカーンを見下ろす位置関係になっている。
以後スピルバーグは、とにかく室内にこもるようになる。それは議論の場であり、議会の場であり、裁判の場であり、ともあれ対話空間だ。
『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015年)ではここに拘置所も加わる。人質交換の交渉に赴く冷戦下のベルリンに、見上げる空など期待するべくもない。それどころか、列車の窓から見下ろす「壁」では悲惨な殺戮を目にしさえする。情報開示の是非をめぐる『ペンタゴン・ペーパーズ』のドラマは常に室内で起こる。となれば視線は常に下を向くことは自明である。『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(2016年)でさえ、少女にとって巨人は決して見上げるべき、雄々しい存在ではなかった。
高低差を多用する『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)では、トニー(アンセル・エルゴート)にとってマリア(レイチェル・ゼグラー)は確かに見上げる対象だが、その視界は常に金網や鉄柵で阻まれている。彼ら二人きりの結婚式では、教会の祭壇でさえ見上げられることはなく、あくまで目線の高さが維持される。ステンドグラスの光による、画面の横一線に走る青白いフレアが、2人が歌う“ワン・ハンド・ワン・ハート”と共に、手と手をとりあい共に生きたいという願いを象徴した。