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すべてのものには異なる要素が同居する。一見異なるものにもつながりがある。金子監督の根源的なまなざし
ー劇中、ぬいぐるみの視点がごく自然のことのように取り入れられていたことも記憶に残っています。過去作の『散歩する植物』(2019年)や『眠る虫』(2020年)でも人間以外の存在に意識を向けてきた金子監督らしい演出だなと。
金子:たしかにぬいぐるみの視点については、取り入れようとしたというより、カメラ割りに「ぬい視点」がある前提で話を進めていましたね。カメラマンの平見優子さんと打ち合わせをしたときも、自然と「『ぬい視点』はどうしようか」という話が出ました。平見さんとは前作の『眠る虫』でもご一緒しているので、共通の認識があったのだと思います。
ー映画にはぬいぐるみを洗うシーンが複数回ありますが、あれらの場面は原作には存在しませんよね。
金子:あれは自分の体験に基づいたアイデアなんです。私の家にはラザロという犬のぬいぐるみがいるのですが、ラザロは出会った当初、すごく汚くて。なので自分で洗ってみたら、ふわふわの塊が、急に石みたいに重くなったんです。そのことが記憶に残っていました。
映画のタイトルにもある「ぬいぐるみとしゃべる」行為も、言葉だけ聞くとふわふわしているイメージですが、じつは気持ちがズドンと落ちるようなニュアンスも含んでいて。ぬいぐるみを洗うシーンで、そうした要素を表現できるのではないかと考えました。また、ぬいぐるみのケアをするシーンを加えたかったのもあります。
ーなるほど。
金子:あとは自分のなかに、すべてのものは表裏一体だし、異なる側面があるという意識があるんです。ふわふわで軽いぬいぐるみが石のように重くなることもそうですし、過去作の『眠る虫』には、夜行バスが「しゅんっ」と小さな虫になって飛んでいくシーンもあります。そのように、一見まったく違うもの同士に思わぬつながりを見出すのが自分は好きで……というか……そういう感覚を「知って」いて(笑)。
ー金子監督のなかにはもとからインストールされていた感覚だったんですね(笑)。
金子:言葉にするのが難しいのですが、どんな物体にも人間にも、真逆の要素が同居していると思うんです。生まれることと死ぬことも、どこかで全部つながっている。そういう感覚も映画で表現したいと考えていました。


ーその感覚につながるかどうかわからないですが、自分は水中のぬいぐるみから気泡が出ている様子を観て、ぬいぐるみを洗う行為はまるで「洗礼」のようだなと思っていました。古い命を捨てて、新しい命を授かるような。
金子:後半、七森が実家から帰ったあとぬいぐるみを洗うシーンでは、まさにそんなことを考えていました。ぬいぐるみだけでなく、七森自身も自分がまとっている嫌な部分を洗い流しているんです。
ぬいぐるみを洗うシーンには、ほかにもさまざまな意図を込めていました。あるシーンでは登場人物たちのささやかな連帯を表現できればと考えていましたし、純粋にぬいぐるみをじっくり観察する時間になればいいなとも思っていましたね。
