『カンヌ国際映画祭』の最高賞「パルム・ドール」に輝き、女性監督史上3人目となる最高賞受賞者を生み出したのが、映画『落下の解剖学』だ。『ゴールデン・グローブ賞』でも2部門の受賞を果たし、きたる『アカデミー賞』にも、フランス映画として作品賞を含む5部門にノミネートされているなど、その勢いは、とどまるところを知らない。
また、フランス本国で公開3週目にして興行収入1位を獲得したという事実が示すように、賞レースに強いだけでなく、多くの観客の心に届く内容を持つ作品でもある。本作『落下の解剖学』は、どういう点がそんなにも賞賛され、人の心を打つのだろうか。ここでは、そんな本作が描いているものが何なのかを考えていきたい。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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『アカデミー賞』5部門にノミネート。多くの観客の心を掴んだ物語の概要
物語の発端となる場所は、ドイツ人作家サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)の夫サミュエル(サミュエル・セイス)が生まれ育った、フランスの人里離れた雪山の山荘だ。夫婦は息子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)、そして1匹の犬とともに、そこに住んでいる。
ある日、息子のダニエルが散歩から帰宅すると、父・サミュエルが頭から血を流し、自宅の前の地面に横たわっているところを発見する。ダニエルには交通事故による視覚障がいがあったが、わずかな視力で父親の倒れている姿に気づいたのだ。山荘の中にいた母・サンドラは、ダニエルの声を聞いて駆けつけたが、夫はすでに息を引き取っていた。
警察による検死の結果、死因は頭部の外傷だと結論づけられる。おそらくは屋根裏から外へ落下し、頭を物置の屋根に打ちつけた後、地面に倒れ込んで絶命したと考えられるが、問題は、過失で落下するとは考えにくい環境だったということだ。ならば残された可能性は、自殺か他殺、ということになる。そしてもし他殺であれば、そのときに山荘にいたサンドラ以外に犯行は不可能なのだ。
取り調べのなかで次第に疑惑の目が向けられたサンドラは、殺人罪で有罪になることを避けるため、親交のある弁護士のヴァンサン(スワン・アルロー)とともに、夫の死因が自殺だったことを証明しなければならなくなる。しかし、サンドラにとって不利となる証拠が発見され、夫婦にまつわる秘密や嘘が、裁判で次々と明るみになっていく。果たして、裁判のゆくえと、サンドラの運命はどうなるのか……。
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サンドラとサミュエルの夫婦関係。裁判の過程で明らかになる、隠された非対称性
このように法廷劇となっていく物語を追っていくなかで、観客は夫婦の隠された対立を知って、サンドラに疑念を持つことになるかもしれない。真相を知らされていない観客もまた、裁判のやり取りに翻弄されることになるのである。この疑惑の主人公をめぐり、二転、三転していくスリリングな展開は見事という他なく、全体にエンターテイメントとしての魅力が横溢していることは間違いない。
そして裁判のなかでも焦点となっていくように、我々観客が気になるのが、「サンドラとサミュエルとの夫婦関係が、どのようなものであったのか」という情報だ。

対立の原因の一部として明らかになるのは、夫婦間の「格差」と「役割分担」についての問題である。教職に就いている夫は、文学の才能がありながら、いまだその道では成功せず、先に作家として名を挙げている妻のサポートにまわり、子育ての負担をより多く引き受けている。さらには、サンドラに仕事のアイデアを提供していた事実もあるのだ。こういった「非対称性」が示すモラルの欠如が公のものとなることで、彼女は裁判で窮地に立たされていく。
だが一方で、このような負担というのは、これまで多くの場合、男性が女性に対して与えていたものだったのではないだろうか。フランスのベルエポック時代を代表する女性作家を主人公にした伝記映画『コレット』(2018年)でも描かれていたように、その頃文学を志していた女性は、男性作家のゴーストライターを務めることで名声を奪われてしまうケースがあった。また、現在よりも家事や子育てなどの「ジェンダーロール(性別の役割)」に縛られていて、活躍の機会がより制限されてもいた。

現在までに、そういう女性の苦境は少しずつ変化していっている。本作の監督ジュスティーヌ・トリエをはじめ、近年女性の映画監督が評価されるケースが増えているように、監督業においても、やっと女性が正当な扱いを受けるようになってきた。こういった女性たちの社会進出や自立が本格的になってくると、ヘルパーなどを雇わない限りは、これまで女性の役割となることが多かった家事をパートナーがより多く引き受けることが自然なことになるはずだ。サミュエルは、そんな忙しい日々のなかで創造性を奪われ、自分のやりたいことができないことに強い不満を持っていたのである。
確かに、この問題においてはサミュエルには同情されるべき点が多々あるだろうし、そういった役割を押し付けていたサンドラに改善すべき点があったのも確かだろう。だからこそサンドラは、裁判のなかで人間性を追及されることとなる。しかし、この夫婦の性別がもしも逆だったならば、果たして裁判でサンドラは不利な状況に立たされただろうか。この疑問こそが、本作の重要なポイントになっているように思われる。
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本作があぶり出すもの。女性が活躍できる社会で、それでも直面する不公正
トリエ監督の過去の長編では、ジャーナリスト、弁護士、心理療法士と、自立した社会的地位のある女性がそれぞれの作品の主人公となっている。その視点から見れば、彼女が描きたいのは、女性の自立やチャンスを広げることというより、「女性が活躍できるようになってきた時代のなかで、現実にどのような苦難に直面するのか、不公正な部分があるのか」という、より新しいフェーズの課題なのではないか。
そこでは、女性がいつでも「正しい」存在である必要はない。男性と同じように悪事もはたらくし、配偶者を裏切ることもあるだろう。それも含めて、男性と同程度に裁かれ、非難されればよいはずである。しかし往々にして、世間からは女性の悪事はより苛烈に追及されているのが実情といえるのではないだろうか。
男女が公平な立場になること自体について現在では、たとえ保守的な意見を持っていたとしても、否定する者は少なくなってきている。しかし、女性が少しでも男性の上に立ったり有利になったりする場合には、拒否感を表明する者は多い。そういうシチュエーションを作ることで監督は、社会が女性の地位向上のために譲歩しているように見えて、まだまだ権利の獲得は限定的なところにとどまっているということを、具体的な構図で見せているのだと考えられる。

本作『落下の解剖学』について監督は、「社会的な意見を一方的に発信することはしたくない」と、テーマの明言を避けている。だが一方で、本作で描かれる夫婦の対立関係については、「カップル同士の確執を超えて、男女そのものの戦いになっている」とも語っている。つまり本作は、同じく『アカデミー賞』で「作品賞」を争っている『バービー』(2023年)のように、社会における性別の問題を俯瞰して考える部分もあるということなのだ。
検事(アントワーヌ・レナルツ)やサミュエルの精神科医など、サンドラを厳しく追いつめていく男性たちは、彼女が夫を苦しめていたと主張し、「夫の成功を望んでいなかった」と発言すらする。しかし、そう思っていたのは、じつは夫側ではなかったのか。
こういう感情は往々にして、「稼いで女を養うことが男の甲斐性なのだ」という、これまでの社会的な慣習や先入観がベースになっているところがある。1970年代アメリカの家庭を描いた、近年のアニメシリーズ『FはFamilyのF』でも、職を失いながらも家父長制にしがみつく中年男性が、自分の妻が社会的な成功をつかみそうになったとき、失敗することを願ってしまうという屈折した心理が描かれていた。その意味では、夫のほうも、古い価値観が継続する社会からの圧力に苦しんでいた部分があるといえよう。
サンドラは、このような価値観が残存しながら女性の進出も進むという社会背景のなかで、男性側の「バックラッシュ(揺り戻し)」に遭うのである。そう考えると、この裁判はまさしく、現在の女性と男性による代理戦争の様相を見せているといえよう。また、同時に主人公サンドラが「外国人」「バイセクシャル」など、フランスにおけるマイノリティーであることも考慮に入れるべきだろう。
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トリエ監督が、夫婦の息子ダニエル役に託した希望
本作は、そのタイトルの通り、ある人間の落下の原因を「解剖」する内容となっている。そして、腑分けしていくと、現代におけるジェンダーの問題が密接にかかわっていることが、裁判というフィルターを通すことで、詳細にわかってくる。つまり1人の人間の死が、この社会の姿をまざまざと映し出すのである。その点においても、本作の脚本は圧倒的に優れているといえる。
弁護士のヴァンサンが劇中で述べている通り、じつは本作は、「真実そのもの」は焦点とはならない。そもそも、裁判のなかで完全無欠な真実が再現されたことなど、有史以来なかったはずである。あくまで裁判は、法律や判例を基に、揃った材料のなかで「妥当とされる真実」を明らかにするものである。そして現実の裁判における判決が真に正しかったかどうかは、少なくとも当事者以外にわかる者はいないはずだ。だからこそ、判決に先入観や、歪んだものの見方が影響することは、なおさら避けなければならない。

目の前の人間を、どれだけ先入観を取り払って、社会の規範やステレオタイプに当てはめずに判断することができるか、ということは、裁判に限らず、あらゆる場面で重要な姿勢である。ここもまた、本作を鑑賞する上で必要な視点だろう。
しかし、ここでおこなわれる、密かに男女の代理戦争となっている議論については、もしサンドラが勝っても、社会全体の不公平を解消してくれるはずはない。なぜなら、この裁判はあくまでサンドラの罪の有無、刑罰の重さを決めるものに過ぎないからだ。無罪になったとしても、バックラッシュは依然として勢いを保ち、社会にはびこる古い価値観が洗い流されるわけでもない。結局のところ立場の弱い側が、労力と時間を無意味に浪費することになるのである。
そんな不毛な闘いをも強いられる状況のなかで唯一の希望として描かれているのが、夫婦の息子ダニエルだ。彼は視覚障がいを持ちながらも、他の大人たちが持っているような偏見や価値観に大きく左右されず、しっかりと世界を「見る」力がある。両親をともに愛しながら、現状ある材料のなかで可能な限り妥当な真実へと、議論を導こうとする。サンドラに有利に運ぶにせよ、不利に運ぶにせよ、そういった「ものの見方」こそが、現在や、これからの未来に必要だと、本作『落下の解剖学』は示しているのではないか。

『落下の解剖学』

2024年2月23日(金・祝)公開
上映時間:152分
配給:ギャガ
監督:
ジュスティーヌ・トリエ
脚本:
ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
出演:
ザンドラ・ヒュラー
スワン・アルロー
ミロ・マシャド・グラネール
アントワーヌ・レナルツ
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