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「如何者=異化者」たちのたしかな自由が、自律的に自立していた
自由な自分でありたい。それを誰もが願っている。だがまっすぐにそれを求めるだけでは他者との関係に角が立つ。だから思い悩む。そんな逡巡と躊躇が極限化しつつあるのが今日の日本、世界の状況と仮定するならば、磯崎が構想し、様々なプロセスを経て実現したこの「祝祭の広場」は、きわめて稀な場所と言えるだろう。
追悼のスピーチでダースレイダーは、2019年に法政大学で開催されたシンポジウム「東京は首都足りうるかー大都市病症候群」でのエピソードを語った。建築界の『ノーベル賞』とも呼ばれる『プリツカー賞』を受賞した磯崎の壮行会でもあった同イベントのために、ダースレイダーは磯崎から原稿の代読という奇妙な依頼を受けた。

ダースレイダー:磯崎さんの原稿に、本物と偽物のあいだにある「これはいかがなものか?」という「如何者(いかもの)」の概念に触れている部分があって、そこを朗読してほしいとのことでした。僕はこの「如何者」というアイデアが気に入っています。まさにヒップホップがそうだからです。
音楽なのか? 「いや、いかがなものか」。喋りなのか? 「いや、いかがなものか」。リズムしか鳴ってないんだけど? 「いや、いかがなものか」。
ヒップホップというのは非常に「如何者」で、どこかに属しそうだけど、何かであると言った瞬間にそこから外れていく。つまり完成したイメージを抱きにくいものがヒップホップであり、しかしその周縁的な部分にこそ面白いものがたくさん詰まっている。それは磯崎さんの悪戯っぽいところ、わくわくするものを求めた人物像に近いのではないか。
本物でなく、偽物でもない。しかし常に問いを投げかける存在としての「如何者」。それはおそらく「異化者」のダブルミーニングとして潜在的に磯崎やダースレイダーに理解されていたはずだ。そして言うまでもないことだが、この追悼イベントや『ワーグナー・プロジェクト』に参加したラッパーやアーティストやスケーターや文筆家は、それぞれに社会や地域のなかで疑問や違和感を抱き、それぞれの方法で「異化」してきた者たちだろう。
大分出身・在住のラッパーとして地元から絶大な信頼が寄せられるケンチンミンは、今回の追悼イベントで“この街で生きてる”を披露した。同曲はホームである大分について歌う名曲だが、これが歌われるまでにケンチンミンが見聞きし経験した「異化」のプロセスにこそ要点があるはずだ。
そしてマレーシア人の父と韓国人の母を持ち、多元的なアイデンティティを抱きながら大分駅前の路上でラップを披露することからスタートしたSkaai、あるいはヒップホップシーンの中心である東京ではなく仙台に拠点を定め続けるHUNGERの活動や楽曲にも、かれらなりの「異化」の方法を見出すことができる。太鼓とコラボレーションしたHUNGERの奇作“わ道”のユニークネスを発見したのが、アメリカのアクション映画『ジョン・ウィック:コンセクエンス』だったのも記憶に新しい。


そんな「如何者=異化者」たちが広場に集まり、その大先達としての磯崎新への追悼として、異化のための、「いかがなものか?」と問うための遊戯を一日かけて執り行う。そこには、限定的で仮設的ではあってもたしかな自由が、自律的に自立していた。
