TAMIWのボーカリストであり、大阪・堺にあるお寺で音楽スタジオ「Hidden Place」とペット霊園を経営するtamiが、「音楽と仕事」をテーマに対談をする連載『音楽と仕事、ときどき法要』の第2回は、音楽ユニット・Frascoのメンバーで、広告クリエイターとしても活動し、J-WAVE「GRAND MARQUEE」のナビゲーターも務めるタカノシンヤがゲスト。
tamiとタカノはどちらも社会人になってから本格的な音楽活動を始めたことが共通点で、やりたいこと(2人の場合はもちろん「音楽」)を無理やり仕事にしようとするのではなく、やりたいことと仕事を1:1の割合で混ぜてしまおうというタカノの「カフェオレ理論」にtamiも共感。そこから現代の「音楽と仕事」を取り巻く環境について、徐々に話は広がっていきました。
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「諦めるか、諦めないか」の二択しかなかった子ども時代
tami:この連載は「音楽と仕事」がテーマになっていて、タカノさんはFrascoとしてアーティスト活動をする一方で、SNSでお仕事のこともつぶやかれてたりしますよね。でも意外とそういうことをしている人は少ないと思うんです。
タカノ:たしかに、「こんな仕事をしてる」とまでは言わない人が多いのかも。
tami:隠してる人もいて、それはそれでいいと思うんです。でもよく考えたら、人生の大半を占めてる仕事のことを隠すのもどうなのかなと思ったりもして。タカノさんはボーカルの峰らるさんと飲み会で知り合って、それから本格的に音楽をやり始めたそうですね。
タカノ:そうなんですよ。それで始めてみたら意外と楽しくて、のめり込んでいったんです。だから俺、音楽をちゃんとやり始めたのがすごい遅くて、33歳ですからね。
tami:私も遅くて、20代の最後の方に始めたんです。バンドは中高軽音部でやってたんですけど。
タカノ:わ、同じ感じ!
tami:でも、みんなが「売れたい!」って音楽活動する大学生時代はやらなかった。私、研究をしてたんですけど。
タカノ:理化学研究所ですよね。
tami:そうなんです。理化学研究所で働いてるときに、自分の能力の限界にぶち当たって、尋常じゃないストレスを感じて「これ一生続くんか」と思って。実際に働く前は夢ばっかりあったんですけど、入ったら所謂「サラリーマン的な悩み」なんかもたくさん出てきて。
タカノ:そこからいまはお寺のスタジオを経営しながら音楽をやってると。僕もあんまり人のこと言えないですけど、結構な急ハンドルですよね。
tami:もともとずっと、歌手になりたかったんですよ。親からは「才能ないから無理や」と言われつつ、でもこっそりオーディションを受けたりするんですけど、途中までは行っても最後が通らなかったりして、「私は受からないのかも」って12〜13歳ぐらいで思っちゃって。そうなると子どもだから「諦めるか、諦めないか」の二択しかなくて。
タカノ:子どもの頃はそう思っちゃいますよね。
tami:それで途中から音楽やらなくなっちゃったんですけど、でもどこかでやりたい気持ちがずっとうっすらあって。理研に入ったらみんなMacを使ってて、分かんないなりに使い始めたら、GarageBandとか入ってるじゃないですか。
タカノ:でた!
tami:そのあと知り合いに「Logic使った方がもっといろいろできるよ」って教えてもらって、よくわかんないけど買ってみて、触ってみたら、すぐ曲ができたんですよ。
タカノ:なんか似てますね。