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メアリーの亡き息子カーティスから見えてくること
このような見方を補強してくれる、もう一つの興味深い描写を紹介しよう。ハナム先生とアンガス、メアリー、同じくバートン校の清掃員ダニー(ナヒーム・ガルシア)が、校長のアシスタント、ミス・リディア(キャリー・プレストン)の自宅で催されたクリスマスパーティーに参加するシークエンスだ。ここでメアリーは、自ら進んでパーティーのBGMの選曲係を担当している。振る舞い酒が進んで次第に感情的になっていくメアリーは、亡き息子が生前に好きだったというある音楽家=アーティ・ショウと彼の楽団による“When Winter Comes”(1939年オリジナル発売)をかける。1930年代後半から1940年代前半にかけて、スウィングジャズ全盛期を牽引したバンドリーダー、アーティ・ショウの音楽は、(泣き笑いの表情を浮かべながらメアリー自身が言うように)1970年代初頭に若者が好んで聴くには、あまりに「古臭い」音楽だろう。実際に、続くシーンではレコードを変えるようにある若い客が難癖を付けてくるが、メアリーは大迫力の剣幕でこれを撥ね付けるのだ。
ここで語られようとしているのは、一体何なのだろうか。単に、「メアリーの最愛の息子はちょっと変わった音楽の趣味の持ち主だった」ことを言おうとしているのだろうか。私には、それだけだとは思えない。むしろこのシーンでは、上で論じてきたこととも重なり合う形で、本作における最も重要な教訓の一つが提示されているのではないだろうか。
映画冒頭の修了式のシーンで示されるように、メアリーの息子カーティスは、不幸にもベトナム戦争の従軍中に命を落としたのだった。彼の生前の創発ぶりは、何かと生徒に難癖を付けがちなハナム先生も認めるところで、多くの学友たちも、その悲劇的な死に弔いの意を表している。つまりカーティスは、その不在を通じて、アンガスをはじめとする(ハナム先生にいわせれば、狡猾で未熟な)他の生徒たちが現段階では決して達することが叶わないある種の高潔さ、知恵、見識、分別を表象する存在として機能しているのだ(彼の肖像写真が無人の講堂にうやうやしく掲げられている様子を見てほしい)。
そう考えれば、彼がいかにも若者らしくない昔の音楽を好んでいたというやや唐突に感じられるエピソードにも、物語上の必然性があるように思えてこないだろうか。言うなれば、カーティスはそのような古式ゆかしい文化を愛でる感性を持つ人間であるがゆえに、もっといえば、歴史の叡智を知る人間であるゆえに、その不在を通じて登場人物皆の敬意を集めてやまない存在として、逆説的な形で「命」を吹き込まれているのである。

また、この若きアフロアメリカンの戦死者カーティスをめぐるサブストーリーは、ペイン監督の社会派としての一面をさり気なく伝えてもいる。ベトナム戦争の戦況が泥沼化していった1960年代後半以降、アメリカ全体の人口比率に対して、アフロアメリカンは従軍比率が大きく、更に死亡率にも同様の傾向が存在していた。つまり、若年層が続々と前線に投入されつつあった当時において、裕福な白人の子弟たちが高等教育過程に進んで結果的に兵役を逃れる例が多かったのに比べ、経済・環境的に下位の存在に置かれていたアフロアメリカンの若者は様々な理由から戦争に参加せざるを得ず、更には、高度な専門知識を要しない地上部隊へ彼らが優先的に配属される傾向があったわけだ。カーティスの死は、まさしくそうしたシビアな格差による悲劇の実例であるといえる。