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ビリー・アイリッシュの書き下ろし曲“What Was I Made For?”
それでも、本作『バービー』には、そういうジレンマをなんとか振りほどこうとする意志が垣間見える瞬間があるのも確かだ。その筆頭は、映画の終盤、バービーが彼女達にとって重要なとある人物と再会するシーンだ。この場面は、それまでの皮肉っぽいユーモアが鳴りを潜め、何よりも映画的な視点から(結局のところ、それが何よりも重要なのだ!)実に美しいシーンなのだが、背景で流されるビリー・アイリッシュによる書き下ろし曲も絶大な効果を上げているのがわかるだろう。
この曲は、『バービー』のサウンドトラックトラックに提供されたトラック中で、群を抜いてナイーブなバラード曲だ。拙訳の上、歌詞を引こう。
私は何のために作られたの?
だって私は
どう感じていいのかわからない
けれど、試してみたい
どう感じていいのかわからないでもいつかきっと
いつかきっと幸せになる方法を忘れてしまった
私ではないけれど、私がなれるもの待ち望んでいるもの
“What Was I Made For?”
私が生まれてきた目的
映画の中の最も感動的な場面で流されるこの曲の歌詞は、アイリッシュのライフヒストリーを知るものなら、もれなく涙を誘われるはずだ。そして、当然ながらこの曲は、バービー自身のアイデンティティのありようとも重ね合わせされている。「理想の女性」という固定的なアイデンティティから、多元的かつ偶有的なアイデンティティ=「Somethin’ I’m not, but somethin’ I can be(私ではないけれど、私がなれるもの)」の捉え方へと移行することで、あらかじめ設えられた(ように感じられた)自己像を解消し、「生」の実感へと歩み出すこと。おそらく、『バービー』に描かれた様々な「主張」の中で、このシーン(この曲)に描かれているメッセージ(とあえて言いたい)こそが、最も尊く、強力なものだと思う。