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「光」を歌い、「環世界」をつなぐ音楽
本作に流れる音楽を再び聴いてみよう。すると、一つ気づくことがある。それは、夕暮れやうっすらと差し込む朝日、気だるい午後の太陽、夜明けの光など、日の光について歌った曲が複数使われているということだ。映画の幕開けにかかるThe Animals “House of the Rising Sun”をはじめ、オーティス・レディング “(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”、The Kinks “Sunny Afternoon”、ニーナ・シモン “Feeling Good”といった曲たちが、それぞれの仕方で日の光の機微を歌っていることと、映画本編において木漏れ日や朝日、夕日のモチーフが再三にわたって映し出されるのは、単なる偶然ではないだろう。日の光が風に揺れる木立に差す、そのときだけに現れる彩。あるいはまた、日の光が作る影の重なり合いと、それらが描き出す濃淡。映画の中にことあるごと現れるこれらのモチーフは、平山をはじめとしたそれぞれの人物が浴びる光でもあり、それぞれの姿が映し出す影とも重なりあっている。この、光と影の礼賛というテーマは、そのまま映画という芸術の無条件の肯定ととらえることも可能だろう。我々は、そう気づくとき、ヴェンダースの真摯な作家性に、再び畏怖の念を抱くことになる。

本作を彩る「個人的」な音楽の響きもまた、親密でプライベートな肌触りを運び入れるだけではなく、平山たちを照らす木漏れ日のように、そこに居る人間たちを、もっといえば映画それ自体と私達観客の耳と肌をも、ともに浸し、交差させる。
平山が車の中で若者たちとパティ・スミスのカセットテープを聴く時、あるいはまたニコとともにヴァン・モリソンのカセットテープを聴く時、音楽は確実に、それぞれの環世界をつなぎ合わせ、溶け合わせる仲介物以上の何かとして機能している。平山が独り部屋で掃除をしながらThe Kinks聴くときにも、あるいはまた行きつけの居酒屋でママの歌に耳を傾けているときも(*)、私達の耳と身体は確かにそこに浸され、私達の心は、いやおうもなくスクリーンの上に拐かされる。
*なお、ママを演じているのは石川さゆりで、同シーンでギターの伴奏を務める常連客は、あがた森魚が演じている。歌われるのは浅川マキが日本語詩をあてた“The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)”だ。

映画のラスト、前日の夜の思いがけない出会いを経た平山は、いつものように爽やかな顔で空を見上げ、青いバンに乗り込む。今日彼が選んだのは、ニーナ・シモンのカセットテープだ。彼女は、万感を込め力強く歌う。
It’s a new dawn
It’s a new day
It’s a new life for me
And I’m feelin’ good
映し出されるのは、満ち足りたように笑いながら、じんわりと涙を流す平山の顔だ。なんという力強いラストシーンだろうか。ここには、なんらの衒いも、躊躇もない。ヴェンダースは、映画を締めくくるこのシーンで、音楽の持つパワーに全幅の信頼を置いているのを高らかに宣言する。「ヴィム・ヴェンダースが選んだ珠玉の音楽を聴く」という体験に深く魅了されてきた私は、何よりもそのことに強く感動するのだ。
『PERFECT DAYS』

2023年12月22日(金)、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
出演:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未、石川さゆり、田中泯、三浦友和
配給:ビターズ・エンド
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