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アメリカでの細野晴臣の「発見」を考える2つのポイント
『HOSONO HOUSE』収録曲の中でも、この“薔薇と野獣”は、同作の国外受容を考えるにあたって、特に重要な存在に思われる。
今回の短期連載にも参加しているライターの松永良平は、同じく『HOSONO HOUSE COVERS』を取り上げた『ミュージック・マガジン』誌(2024年12月号)に寄せたコラムの中で、10年ほど前に訪れたハリウッドのアメーバ・ミュージック(またしても!)の店内で、女性DJが“薔薇と野獣”をプレイしていた旨を証言している。
その後に続く松永の文にも示唆されているとおり、どうやら彼女は「かっこいいファンク」の一種としてそれをかけていたらしい。なるほどそう言われてみれば、アルバムの中でもひときわグルーヴィーな“薔薇と野獣”は、そうした視点から聴いてみても大層魅力的な曲だ。
こうした“薔薇と野獣”の聴かれ方を裏付ける、もう一つの重要な例もある。UKのDJで「Japan Blues」の異名を持つディガー、ハワード・ウィリアムスが選曲を担当した英レーベル「ACE」発のコンピレーションアルバム『Lovin’ Mighty Fire – Nippon Funk * Soul * Disco 1973-1983』の中にも、“薔薇と野獣”が収められているのだ。つまりウィリアムスもまた、この曲を「ニッポンのファンク」と位置付けていたわけだ。
細野の音楽の「発見」を語るにあたっては、ヴェネズエラ育ちで現在はLA在住のシンガーソングライター、デヴェンドラ・バンハートの存在も忘れてはならない。
2017年に発売されたムック『Folk Roots, New Routes フォークのルーツへ、新しいルートで』(シンコーミュージック・エンタテインメント)の中で憧れの細野と対談しているのをはじめ、ステージで“Sports Men”をカバーするなど、彼もまた細野への敬愛を度々表明してきた一人だ。
上記対談や、筆者がかつて行ったインタビュー(『レコード・コレクターズ』誌2019年12月号)によると、バンハートが細野の音楽の魅力に開眼したのは、およそ2000年代初頭にまで遡るという。キーマンとなったのは、彼が若い頃にサンフランシスコへ移住して以来の友人にして、バンド、Vetiverのメンバーでもあるアンディ・キャビックだ。
バンハートいわく、キャビックはかなり早い時期から日本の音楽に興味を持ち、実際にアナログブームのはるか以前に渡日しレコードを買い漁った経験もあるなどかなりマニアックな志向の持ち主とのことで、浅川マキ(彼女の作品も後に海外で厚い支持を受けることになる)ら日本のアーティストの情報を積極的に共有してくれたのだという。
二人はかねてより「ブライアン・イーノとジョン・レノンとデヴィッド・ボウイとホーギー・カーマイケルが出会ったような音楽家がいたら最高だね」と語り合っていたというが、「まさにそんな人を見つけたよ!」とキャビックに言わしめたのが、他ならぬ細野晴臣であった。
バンハートはその後、件の対談の後に発表した自身のアルバム『MA』(2019年)で、細野へオマージュを捧げた“Kantori Ongaku”という曲を披露している。「Kantori」とは、Country=カントリーを日本風にローマ字表記にしたもので、これは、細野の”僕は一寸”に登場する一節から着想を得たものだという。その名のとおりカントリー色の強い曲調は、まさしく『HOSONO HOUSE』の世界とも重なり合って聴こえる。
こうやって様々な動きを振り返ってみると、細野晴臣というミュージシャン、および『HOSONO HOUSE』への後進世代アーティスト / リスナーからの注目度の上昇という現象には、カリフォルニアをはじめとしたアメリカ西海岸のコネクションが核心的な役割を果たしていたことが浮かび上がってくる(※)。
※筆者注:カナダ出身のマック・デマルコも、2016年から米ロサンゼルスに在住している。また、かねてより細野からの影響を公言している南カリフォルニア在住のGinger Rootことキャメロン・ルーの存在も重要だ