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お菓子作りが日常であり仕事である葵の癒やし

料理が生きるための「日常」ならば、多くの人にとって、お菓子作りは「非日常」だ。その工程を思い返すと、普段の仕草とは関連づかないことが多く、だからこそセラピーとしては効果的なのだろう。小麦粉やバターなどの材料が、まったく別の形に変わっていく過程は、想像するだけでも心がときめく。完成品を目にしたときの達成感はひとしおだ。そしてなにより、美味しい。お菓子はいつだって私たちを幸せな気持ちにしてくれる。
その絶大なパワーは、お菓子教室の生徒たちのビフォーアフターを見ても明らかだ。失敗を恐れていた順子にはタルトタタン、極端な場所でしか曲を作れないともがいていた静にはザッハトルテ、亡くなった母に負い目を感じていた優美(伊藤修子)にはモンブラン・フロマージュ、気持ちを押さえ込んでいた結杏(和合由依)にはイートンメスを葵が提案し、作る前後には大きな変化を感じさせた。なぜ、葵がそのお菓子を選んだかは、ぜひ本編を見てほしい。

けれど、お菓子教室にやってくる生徒の他にも、もう一人心配な人がいる。それは、この物語の主人公である葵本人だ。フルーツタルトとタルトタタンを作った第1週、葵は感情を爆発させる。順子はお菓子作りを通して前向きになり、退職を引き止められた。彼女を求める人がいた。けれど、お菓子作りを教えた葵の現実は、とても厳しい。葵にとって、お菓子作りは日常であり仕事で、癒やしにはならない。
お菓子を食べても幸せにならない人はどうすればいいのだろう。心の傷に気づかない人もいれば、気づいたとて、解決方法に辿り着けない人もいる。甘いバニラの香りで癒されたくても、値上がりし続けているせいで、現実にはそう簡単にバニラが手に入らない。「失敗したっていいのよ。いろんなやり方でやり直せる」という佐渡谷の言葉を「失敗してもやり直せるとか、そんなの嘘なんですよ! 恵まれている人だけの発想だから」と拒絶した葵が、どうしても忘れられないのだ。