毎週月~木曜よる10時45分から15分だけ放送される、朝ドラならぬ「夜ドラ」で現在放送中なのが、『バニラな毎日』(NHK総合)だ。
蓮佛美沙子と永作博美を主演に迎え、賀十つばさによる原作小説『バニラな毎日』『バニラなバカンス』を『うきわ -友達以上、不倫未満-』(テレビ東京系)、『PICU 小児集中治療室』(フジテレビ系)などを手掛けてきた倉光泰子が脚本にした本作。
毎回、登場するお菓子作りシーンやスイーツそのもの、そして、心に傷を抱えながらも愛すべき登場人物たちも併せて、毎日、癒やしを得ながらも考えさせられるドラマとなっている。
いよいよ全32話の折り返しを迎えた本作について、毎クール必ず20本以上は視聴するドラマウォッチャー・明日菜子がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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「サード・プレイス」としてのお菓子教室

サード・プレイス。ーーそれは、家庭や学校、職場でもない「第3の場所」。普段のコミュニティとは別の「第3の場所」を持つことで、プレッシャーから解放され、日常生活にポジティブな影響を与える。その場所は、カフェや公園、趣味の集まりでもいい。……たとえば、不思議なお菓子教室でも。
賀十つばさの同名小説を実写化したドラマ『バニラな毎日』の舞台は、たった一人のためのお菓子教室。週替わりで登場する生徒の属性は、外資系企業のコンサルタントや人気ロックバンドのボーカル、車椅子ユーザーの女子高生など様々だ。生徒たちの共通点はただ一つ、心に傷を抱えているということ。不思議なお菓子教室は、専門のカウンセリングを受けた患者たちが訪れる「サード・プレイス」として開かれた場所だったのだ。平日の夜にひっそりと放送される15分のドラマは、視聴者にとっても、サード・プレイスになりつつある。
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生真面目なパティシエと図々しい料理研究家が名バディに

大阪の洋菓子店「パティスリー・ベル・ブランシュ」を経営するパティシエの白井葵(蓮佛美沙子)は、原材料の高騰や売上の低迷が重なり、閉店を余儀なくされる。閉店後は、手元に残った莫大な借金を返すため、バイトに明け暮れる日々を送っていた。そんな葵の前に現れたのは、料理研究家の佐渡谷真奈美(永作博美)。閉店を知った佐渡谷は、お菓子教室のために葵の店の厨房を貸してほしいという。かなり強引なお願いだが、店の家賃も支払わなければならない葵は、しぶしぶ佐渡谷の提案を受け入れる。
生真面目なパティシエと図々しいオバちゃん料理研究家。まるで正反対の二人は、お互いの足りないところを補い合う名バディに成長する。クッキーを頬張りながら悔し涙を流す蓮佛美沙子の芝居は、彼女が抱える問題が他人事には思えないほど切実だ。ちなみに、葵がお菓子を作るシーンはすべて、吹き替えなし。蓮佛はクランクインの1ヶ月半前から猛特訓を重ねており、その誠実さは葵のキャラクターにも通じている。一方、本作の永作博美は、気持ちいいくらいに「関西のオバちゃん」をやってくれていて、なんとも頼もしい存在だ。チョコレートに直接お湯をぶっかけて湯煎する大胆な佐渡谷に、どうにか葵の苦しみも晴らしてくれないかと一抹の望みを託さずにはいられない。
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お菓子作りが心に傷を負った人の「セラピー」になり得るのか

ところで、本稿を読んでいる方の中には、お菓子作りで苦い思いをしたことがある人もいるのではないか。かくいう筆者も、数年に一度くらいの頻度でお菓子を作りたくなるのだが、予定通りに膨らまなかったケーキを錬成したことは何度もある。無塩バターの存在を知らず、ガトーショコラがしょっぱくなったことも、しばしば……(これはお菓子を作る以前の問題だが)。
たとえば、第1週で登場した外資系コンサルタント・順子(土居志央梨)は、フルーツタルトを作りにやってくる。作ったことがある人はわかると思うが、なかなか難易度の高いメニューだ。フルーツのカットや配置にもセンスが問われる。佐渡谷は「いいの、自由で」とあっけらかんとしているのだが、順子の背景を知らない葵はたびたび口を出してしまう。パニックになった順子の手元には、ドロドロのフルーツタルトだけが残った。
お菓子作りって難しいのでは? そもそも、お菓子作りが、心に傷を負った人の「セラピー」になり得るのだろうか? ーーそんな疑問がふと浮かんだのだが、グルメ漫画の金字塔であり実写化もされた『きのう何食べた?』(講談社)にも、お菓子作りのエピソードがあったことを思い出した。
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料理が苦手な人もチャレンジしやすいお菓子作り

通称「何食べ」に登場する人たちは、レベルの差はあれど、そのほとんどが「料理が出来る人」だ。しかし、ただ一人、料理がめちゃくちゃ苦手な人がいる……賢二が働く美容室の後輩である田渕の恋人・逸見千波(実写ドラマでは朝倉あきが演じた)だ。千波が料理の下手さに悩んでいることを知った賢二は、彼女の手際の良さを活かして、お菓子を作ってみたら? と提案する。ホットケーキさえ焼いたことがない千波は躊躇うものの、田渕と一緒にパウンドケーキの型を使ったフィナンシェ作りに挑戦するのだ。
順子が悪戦苦闘したフルーツタルトやロックミュージシャン・秋山静(木戸大聖)がどうしても作りたかったオペラなど、素人には難しいお菓子もある。葵のように完璧を求めればキリがない。けれど、お菓子作りは、味見をしなくていいし、オーブンならば火加減を気にしなくてもいい。包丁を使う場面も少ないから、料理が苦手な人、特に千波のように味付けが苦手な人にとっては、お菓子作りの方がチャレンジしやすいのかもしれない。美味しく出来上がったフィナンシェで自信を取り戻した千波は、それ以降、「何食べ」のお菓子担当としてたびたび登場する。
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お菓子作りが日常であり仕事である葵の癒やし

料理が生きるための「日常」ならば、多くの人にとって、お菓子作りは「非日常」だ。その工程を思い返すと、普段の仕草とは関連づかないことが多く、だからこそセラピーとしては効果的なのだろう。小麦粉やバターなどの材料が、まったく別の形に変わっていく過程は、想像するだけでも心がときめく。完成品を目にしたときの達成感はひとしおだ。そしてなにより、美味しい。お菓子はいつだって私たちを幸せな気持ちにしてくれる。
その絶大なパワーは、お菓子教室の生徒たちのビフォーアフターを見ても明らかだ。失敗を恐れていた順子にはタルトタタン、極端な場所でしか曲を作れないともがいていた静にはザッハトルテ、亡くなった母に負い目を感じていた優美(伊藤修子)にはモンブラン・フロマージュ、気持ちを押さえ込んでいた結杏(和合由依)にはイートンメスを葵が提案し、作る前後には大きな変化を感じさせた。なぜ、葵がそのお菓子を選んだかは、ぜひ本編を見てほしい。

けれど、お菓子教室にやってくる生徒の他にも、もう一人心配な人がいる。それは、この物語の主人公である葵本人だ。フルーツタルトとタルトタタンを作った第1週、葵は感情を爆発させる。順子はお菓子作りを通して前向きになり、退職を引き止められた。彼女を求める人がいた。けれど、お菓子作りを教えた葵の現実は、とても厳しい。葵にとって、お菓子作りは日常であり仕事で、癒やしにはならない。
お菓子を食べても幸せにならない人はどうすればいいのだろう。心の傷に気づかない人もいれば、気づいたとて、解決方法に辿り着けない人もいる。甘いバニラの香りで癒されたくても、値上がりし続けているせいで、現実にはそう簡単にバニラが手に入らない。「失敗したっていいのよ。いろんなやり方でやり直せる」という佐渡谷の言葉を「失敗してもやり直せるとか、そんなの嘘なんですよ! 恵まれている人だけの発想だから」と拒絶した葵が、どうしても忘れられないのだ。