「浮き足立ったっていいし、先輩として僕らがなんとかするから、あんたらは一旦人生楽しんで!」と、現代を生きる若者世代にエールを贈るのは、アーティストのSIRUP。R&BやHip Hop、Neo Soulをルーツに、自分自身の心情、そして社会に対してまっすぐなメッセージを発信し続ける彼が、今回FRISKが企画する、新たなチャレンジをしようとしているフレッシャーを応援するプロジェクト『#あの頃のジブンに届けたいコトバ』に参加し、音楽を始めた頃の自分に向けて手紙を執筆した。
そこにはこれまでに過ごした人生のなかで直面した苦悩や葛藤の数々、多くの変化とともに成長してきた現在、私たちが生きるべき理想の社会のかたちについて赤裸々に綴られている。手紙の中では語りきれなかった、彼のこれまでの人生を振り返りながら、どのように多くの苦悩や葛藤と向き合ってきたのか、不安定な社会のなかで生きる人々に向けてのメッセージを伺った。そこには、これからの未来や自分の選択に希望と自信を持ち、前へと進むためのヒントが散りばめられていた。
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希望が持てなかった小学生時代を乗り越えて
ーSIRUPさんは、現在数多くの音楽フェスやイベントに出演されたり、国内外のアーティストやブランドとコラボレーションを行うなど、活動の幅を常に拡張し続けるアーティストの1人という印象です。また、SNSやステージ上で社会的なメッセージを発信するなど、SIRUPさんのメッセージでもある「誰も取り残さない」を体現されています。今のSIRUPさんにたどり着くまでに、多くの経験や変化があったと思うのですが、本格的に音楽活動を始める前はどのようなことに希望を感じたり、葛藤したりしていましたか?
SIRUP:物心つくのがすごく早くて、5歳ぐらいからめっちゃ自我が強かったんですよ。それもあって、周囲のことをよく見ていたなと思います。小学校6年生の頃が一番人生に絶望していたなって感じるんですけど、当時『あずきちゃん』(※)が流行っていて、小学校内で付き合うか付き合わないかみたいなものをみんな真似していたんです。そういった周りの変化や、いろんなことが重なって、当時は将来に希望を持てなくて。
ただ、もともと自分に根拠のない自信がめちゃくちゃあるタイプだったので、持ち前のエネルギーとコミュニケーション力で、なんとかなるだろうとは思っていて。なので、高校生のときには吹奏楽部の部長として、周囲や社会の悪しき習慣や規範を壊していこうと、「やることだけやれば、後は楽しくやればいい」という環境を作ったりしていたんです。そういった自信はずっとあったけど、20歳になってクラブで歌い出したりした頃からは、音楽業界のシリアスな問題を現実的に感じて葛藤することが増えていきました。
※少女漫画雑誌『なかよし』にて1992年8月号から1997年4月号まで連載された漫画。原作・秋元康、作画・木村千歌。

ラップと歌を自由に行き来するボーカルスタイルと、自身のルーツであるネオソウルやR&BにゴスペルとHIPHOPを融合した、ジャンルにとらわれず洗練されたサウンドで誰もがFEELGOODとなれる音楽を発信している。
ー周囲の変化や不条理に感じる環境のなかで、どうして自信を強く持ち続けられたと感じますか?
SIRUP:末っ子で結構甘やかしてもらったところもあるし、もともと持っている性格や社交性も大きかったと思います。小学生の頃に、クラスのダンスの振り付けを考えたり、描いた絵が大きな賞に選ばれたり、自信につながる成功体験もありましたね。
ー誰しもが大きさは関係なく成功体験をしていると思うのですが、SIRUPさんは、何を持って成功と判断しますか?
SIRUP:自分の基準でしか話せないけど、何かを得た感覚や、心が少し明るくなったり、気持ちいいと感じられることが成功かもしれない。例えば、今でもたまに絵を描くんですけど、こだわらず赴くままに絵を描くと気持ちがスッキリするし、描き終わって一つのアウトプットとして残るのも成功体験として捉えていて。もっと日常的なことでいうと、洗濯を2回も回せたことだって成功体験だし、それでもってまだお昼とかだとさらに成功体験だって感じる。何もうまくいかなくても、何かをやったことが必ず前進につながるから、やらないよりもやる方がいい。そのときに何かが残ったり、学びがあれば、それは成功体験だと思っています。
僕は⼩さい頃から⾃分の世界をすごく⼤事にする⼦供だったと思う。⺟⼦家庭で、1⼈で家にいる時間も多かったから、一人で出来る遊びも好きだった。
小学生ぐらいからなんとなく歌うのは好きだったけど、友達や家族に褒めてもらったりして気がつけば16歳ぐらいの時に、もっと人前で歌ってみたいと思い出した。
そこから実際にステージに立ったのは20歳の頃ぐらいで、地元の小さなクラブで歌った。今でもたまにそのときの記憶がフラッシュバックする。
手紙の序文。SIRUP直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら)
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生死を感じて決意した、「好きなことをやって生きていたい」
ーそこからクラブで歌を歌い出すまでにも、人生の選択をするタイミングがいくつもあったと思います。周囲の人たちが就職を選択をするなかで、SIRUPさんにはそういった選択肢はありましたか?
SIRUP:高校生ぐらいまでは、就職しないといけないのかなって漠然と思っていました。本当は音楽の大学に入りたかったけど、学費が高くて行けなくて、家の近所の大学に通ったんです。母子家庭という環境で、母も大学までは行ってほしいとサポートしてくれたので、そこまでは頑張ろうと思って。でも同時に音楽を絶対にやるぞっていう思いも強かった。
就職活動を意識する時期は、一度就職した方がいい歌を書けるんじゃないかって考えたりもしたんですけど、ミュージシャンとして少しずつステップアップしている体感があったのと、そのタイミングで大きな原付自動車事故にあってしまって。そのときに生死を感じて、どうせなら好きなことをやって生きていたいって強く思うようになりました。それで決意が固まって、結局就職活動は一社も受けなかったです。

ーSIRUPさんが就職活動をしないという選択をする頃、周囲には就職を選択する人もいたと思います。そうしたキャリアの進め方を、当時はどのように見ていましたか?
SIRUP:周りの選択と自分の選択の違いを気にはしていました。不安にもなるし、気持ちは持っていかれるけど、結局選択を変えることはしないっていう、根本の性格があるんです。不安になったり、迷ったりはするけど、その感情を無かったことにせず、それすらも吸収してアウトプットに利用していました。不安はあったけど、もうやるしかないって思っていたし、そのほうが僕にとっては絶対楽しいっていうのは分かっていたので。
ー「自分のやりたいことをやる方が絶対楽しい」と思えたのは、誰かロールモデルのような人がいたからなのでしょうか?
SIRUP:小さい頃、お兄ちゃんの後ろをずっとついてまわっていたんですけど、ある時からお兄ちゃんが僕のことを撒きだして(笑)、そこからは公園にいる歳上の人たちに声をかけて遊ぶようになったんです。そうやって小さい頃から一つのコミュニティに属さず、いろんな人の価値観を吸収したり、いろんな選択肢を持っている人生の先輩たちと出会えたことが一番大きいですね。

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年齢の呪縛も多くの規範も、一つの価値観に縛られてできているもの
ー今回「あの頃のジブンに届けたいコトバ」をテーマに、昔の自分へ手紙を書いていただきましたが、そこでは「25歳で自分の理想の状況じゃなければ、歌をやめようと思っていた」と書かれていました。なぜ25歳という区切りをつけ、どのような状況を理想と捉えていましたか?
もちろん楽しい事だけじゃなかったし、⾟い事も同じぐらいあった。 何度も歌を仕事にすることを諦めかけた。
今思えば年齢なんて関係ないのに、25歳で⾃分の理想の状況じゃなければやめよう、 別の仕事をしよう。そんな事を思いながら先の⾒えない不安を抱えながら過ごしている時期もあった。
SIRUPの手紙抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」presented by FRISK より)
SIRUP:20歳ぐらいの僕にとって、25歳って「超大人」というイメージがあって。母に早く恩返しをしたかったし、大学卒業して3年経った25歳にはみんなと同じように、理想の状況に近づいていたいと考えていたんです。当時は「テレビに出ている・みんなが知ってる」ミュージシャンになるっていう、今とは逆のことを理想として掲げていました。共通しているのは、音楽だけでご飯を食べられたらいいなってくらいで。

ー確かに20歳のときに25歳の自分を考えると、「超大人」というイメージはあるかもしれませんね。理想の状況を描いていたなかで、実際に25歳を迎えたときはどうでしたか?
SIRUP:全然、「超子供」でしたね。仲間から怒られることもしょっちゅうだったし、まだまだわがままでした(笑)。ただ、自分のなかでは25歳、30歳という区切りはある種のターニングポイントにはなっていて。一回区切りとして、頑張ってCDを作って、当時はまだ目新しかったデジタルリリースをしたら、ネット上で聴けるのもあって、東京のライブに呼んでもらえるようになったんです。理想の状況にたどり着いたわけじゃないけど、前進を感じられて、もうちょっと頑張っていこうと思えたんですよね。
ーある種自分で設けた25歳という区切りではあるから、そのタイミングで何か新しいことをしてみようという感覚だったのかもしれないですね。
SIRUP:今思い返すとそうだったのかなって。やっぱり焦りはあって、なかなか音楽だけでご飯を食べれなかったし、バイトもいっぱいしないといけなかった。それとその頃、大阪で風営法による極端なクラブの弾圧があって、毎週パンパンになっていたクラブが一気に潰されてしまったんです(※)。そうした社会からの無意味な弾圧を目の当たりにして、何かを残さないといけない、続けないといけないという焦りも感じていました。それが25歳という目標地点に到達する直前だったので、何か形にしてみたい、やっていないことをやってからこれからを考えたいなと思っていましたね。
※一例として2012年4月の大阪クラブNOONの摘発が有名。2016年に最高裁で無罪が確定。同年には「ダンスをめぐる国民の意識の変化等を踏まえ」(内閣府)、風営法が大幅に改正された。
ー年齢に応じた目標設定をすることで、活動の原動力になることもある一方で、それが焦りや苦しみを生む呪縛にもなり得ると思います。SIRUPさんは年齢による呪縛とどのように向き合ってきましたか?
SIRUP:25歳までは、年齢の呪縛がすごくあったなと思います。でもその頃から少しずつ、周りからの評価にフォーカスするのをやめ始めたんです。誰かが言う、「社会的 / 年齢的にこうするべき」みたいなことに合わせて、自分のやりたいことの優先順位を変えてしまうと、やりたいことのための努力もできないし、結果にも繋がりにくい。そう気づきだしたタイミングで、不安はあるけど、自分の望まない「こうするべき」とされている選択を選ばなくなっていきました。

ー年齢を重ねるごとに、自分の望みや選択肢とは裏腹に「結婚」や「年収」といったプレッシャーを社会や周囲からかけられることもあると思います。しかしそのなかで自分のやりたいことを選択したり、自分の幸せのかたちを模索し続けられたのは、やはり幼い頃からいろんな人たちのいろんな選択を見てきた影響もあるのかなと思いました。
SIRUP:人とのコミュニケーションから多くのものを得ているなと、どう振り返っても感じますね。その時間が自分の幸せに繋がっているし、ストレス発散にもなっているし。年齢の呪縛も多くの規範も、一つの価値観に縛られてできているものだから、いろんな人とコミュニケーションを取ることで、いろんな価値観を得ることができる。そうすることで、自分の価値観は、自分で決めていいんだと言うことがどんどん分かってくるなと思っています。
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30歳でSIRUPに。ターニングポイントになった出来事
ー手紙には「現マネージャーと今の事務所に入ったことが、アーティスト活動のなかで一番大きなターニングポイントになった」と書かれていましたが、事務所に入ったことでどのような変化がありましたか?
「もうこれ以上ダメかもしれない」と⼼が折れかけていた頃。今の事務所からひょんなことがきっかけで声がかかり、その当時からサポートしていてくれていた現マネージャーと⼀緒に⼊ったことが、これまでのアーティスト活動の中で⼀番大きなターニングポイントになった。
SIRUPの手紙抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」presented by FRISK より)
SIRUP:事務所に入るまでは、ライブの出演費を自分で交渉したり、バイトとライブで稼いだお金をどう生活費と制作費に充てるか1人で考えていたけど、事務所に入ってからはお金の部分が大きく変わったなと思います。もちろん当時は新人なので、事務所からお金がたくさん出るわけじゃなかったけど、僕がやりたいことをやらせてくれる場所だったので、本当にやりたいことができるようになったんです。活動をもっと大きくしたいという目的もより明確になったし、僕が持っていないコネクションを事務所は既に持っていたおかげで、いろんな可能性が広がったなと思います。

SIRUP:人間1人だけの行動力じゃ到達できないものでも、大きなコミュニティや会社にいることでできることがある。でもそれはあくまで、自分の人生の目的を達成するためのツールだとも思っていて。これはミュージシャンや表現者だけでなく、どこかの会社に就職する人たちにとっても、自分の夢や目標を叶えるための通り道だという意識を持つことが大事かなと思います。
―そして30歳のとき、アーティスト名をSIRUPに変えたことが大きな転機となりました。
初めてレーベルやレコード会社の⼈と⼀緒に仕事することになり、内⼼は新たな体制ができることに期待しながらも、これまでの道のりで何度も挫折を味わってきていたので、⾊んな⼈の⼒を借りてでも今の状況が良くならなければ本当にやめようと思っていた。
それが30 歳の時。
最後のチャンスだ!! 後悔しないように全力で本当に好きな音楽を作った。そして心機一転、SIRUPへと改名した。
SIRUPの手紙抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」presented by FRISK より)
SIRUP:そうですね。メジャーレコード会社から声をかけていただいて、それがきっかけでアーティスト名をSIRUPに変えたんですけど、その頃って実は、もう好きな歌を歌えなくても、歌が仕事にできるならそれでいいやぐらいに思っていたんです。だけどその時プロデューサーに、「自信作を出しほしい。一番やりたかったことをやってください」って言ってもらって、その言葉で自分の気持ちを切り替えることができて。これが夢に繋がらないんだったら音楽やめてもいいと思えるような作品作ろうって、作品づくりにも変化が出たんです。
ーそこからSIRUPとして活動の幅が広がると共に、楽曲やステージ、SNSで発信するメッセージがここ数年でより明確になっている印象です。自身の心情や社会に対する眼差しはどのように変化し、現在に至りましたか?
SIRUP:うまく社会と付き合っていくのはもちろん大事だけど、自分が伝えたいSIRUPを表現できないんだったら、やらないほうがいいと思っていて。その感覚がより強くなったのは、コロナ禍で社会が大きく変わったタイミングでした。SIRUPとしてデビューして2年ぐらい、何万人の前で歌うところまで来た頃だったんですけど、僕は音楽業界が政治によってすごく蔑ろにされたと感じたんです。
もともと音楽業界にも多くの問題があると強く感じていたけど、結局僕たちが生きづらさを感じるいろんな要因が政治にあることが自分のなかで明確になって、だんだん行動やメッセージが変わってきたという流れでしたね。

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小さな成功体験が、人生の大きな波になる
ーSIRUPになってから7年。音楽を始めたときに描いていた理想の自分とはまた違う、心地いい自分を形成していると思いますが、今の自分をどのように捉えていますか?
SIRUP:今の自分がすっごく好き(笑)。同じように感じている人も多いと思うんですけど、30歳を越えてから、人生が楽しくなっていくんですよね。ある程度いろんな経験をしたのもあって、いろんなしがらみから解放される感覚があって。あとは、自分がもともと持っている感覚と似ていたり、楽しいなと思える人って、自分よりも歳下の人が多いんですけど、常にそういう友達といるから、日々アップデートされている感覚があります。
ー今の自分が好きと言えるのは素敵なことですね。この社会で生きていく上で、自分らしさや自分の選択に自信を持てない人はまだまだ多いと思うのですが、そこにはどのような背景があると思いますか?
SIRUP:この社会への絶望みたいなものを、僕自身もだし、特に若い世代は持っているなと思います。例えば、コロナの影響で入学式、卒業式を経験していない学生もいると思うし、自然災害や、不平等な法制度など、絶望することがめちゃくちゃにある。僕自身もこの数年で、これまでの人生で一番落ち込んだタイミングがあって、そのなかでも自分のツアーを回さなくちゃいけなかったり、音楽シーンを止めたくないと思いいろんな発言をしてきたんですけど、その度にSNSでアンチコメントが届いたりもして。「こういう社会だからそういった意見を言う人がいるんだよな」って現象として捉えているから、「叩かれる」という感覚ではないんですけど、とはいえ、攻撃的な言葉を見ると心はすごくやられる。

ーこの社会やあらゆる現状に絶望を感じているなかで、どのように希望や自信を持ち続けていますか?
SIRUP:その落ち込んだタイミングでは、人と関わること自体が無理になって、10日間くらい1人で過ごしてみたんですけど、それって今までの話と真逆じゃないですか。人と関わることで回復したり、前進することができたのに、人との関係を絶ってしまったら、僕の場合は本末転倒で。そのときに「どうせ死ぬし、好きなことやろ」と吹っ切れた感じがあったんです。
「どうせ死ぬ」ってよく言われる言葉だし、みんなも分かっちゃいるけど、その感覚を体に入れるのが難しい。死って絶望みたいに考えさせられているけど、水を火にかけたら沸騰するくらいシンプルなこと。現実として人生に終わりがあるから、いろんなこと悩んで躊躇したまま止まってしまうのはもったいないっていう、何百年と言われてきた本当にシンプルな話なんですけど。

SIRUP:この社会で生きていく上では、働いてお金を稼がないといけないけど、その中で自分を殺さずに楽しんでやっていくことが大切で、何かをやり続けることが健康的じゃなかったら、休んだ方がいいし、そうやって自分の好きなように生きていいと思います。その上で大切なのは、他者や自分を加害することは絶対にあってはいけないということ。誰かの人生を踏みにじること、差別や偏見、不平等が存在しているなかで自分だけが特権を行使していくことは正しくないと思っています。
ー好きなことをしていくことに、なかなか一歩を踏み出せなかったり、先延ばしにしてしまう人も多いと思うんですけど、そういった人にアドバイスがあれば教えてください。
SIRUP:小さいことからトレーニングしていくのがいいと思います。例えば、いつも同じ靴ばかり履いているけど、今日は違う靴を履いてみるとか。そういう、小さな変化を起こすこと、それを成功体験として認識すること、それが人生の大きな波になっていくと思います。大きな決断をして間違ったなと感じても、人生においての1フェーズなので、全然大丈夫。特に10代だったら、全然ここから巻き返せるから、大きい決断をしてみた方がいいかもしれない。無限の可能性があるから、怖がらなくていいと伝えたいですね。でも、まずは小さいことからやっていくことをおすすめします。

新たな一歩やチャレンジを前向きに踏み出すことを応援するFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」では、11組のアーティストやタレント、クリエイターが「あの頃」の自分に宛てた手紙を執筆。手紙の内容について、CINRA、J-WAVE、me and you、ナタリー、NiEW、QJWebでインタビューやトークをお届け。直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら)
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無理だと思われてきたことの前例を作っていきたい
ー自分の好きなことを選択して、これからの自分に希望を持って生きていても、苦しさを感じることは何度も訪れると思います。そういった苦しみとはどのように付き合っていくといいと思いますか?
SIRUP:僕のなかでは3つあるんですけど、1つ目は社会の構造を学ぶこと。僕は日本以外で暮らしたことがないので、日本の社会で生きている感覚でしか話せないんですけど、0か100、白か黒かで物事を決めることが多いなと感じていて。物事ができあがる過程ってすごく複合的だし、いろんなことが作用して出来上がっているはずなのに、「これをすべきではない」「これをすべき」みたいな情報や価値観で溢れている。それって、物を売るとか、何か目的があって作られている言動も多くて。そういった構造を知ることで、自分がなぜ苦しんでいるのか、その理由と責任の場所を知ることができると思う。

SIRUP:でも、そうは言っても傷つくことや、辛いと感じることはたくさん起こるし、頭では理解していても感情をコントロールできない部分もあると思います。そういう時の自分の心の状態としっかりと向き合うことが2つ目。今のこのしんどい気持ちはなぜ生まれているのか? それは怒りや悲しみみたいにシンプルに表現できない、複合的なものだったりもする。何が嫌で、こういう気持ちになっているのかを知ることは、自分の感情と体験をリンクさせることになるし、「なぜかわからないけど、悲しい」といったことが少なくなるなと感じています。
3つ目はアウトプットすること。僕の場合は音楽や絵を描くこと、そして対話を通して自分の苦しみを受け止めたり、理解していっているなと感じます。ただ、言葉にして、人に話してみるだけでもいい。そして、アウトプットすることは、その苦しみや感情のピリオドではないという感覚も大事。苦しみや悩みがすぐに解決することって、ほとんどないと思っていて。でも、向き合い続けることで、その問題がどうでもよくなることもあるし、死ぬまで付き合い続けなくてはいけないかもしれない。だからこそ、どう向き合っていくといいのかを知りたいと思える気持ちがまず大切だし、そのときにはしっかりと向き合ってほしいなと思います。アウトプットするというのは、そのタイミングでの感情を一旦、身体から出して置いておくという感覚です。
ーありがとうございます。常に変化していくご自身を受け止めながら進んでいる印象ですが、今のSIRUPさんが考える、今後のSIRUP像はどのようなものでしょうか?
SIRUP:僕の音楽ややり方って、インディーズ扱いをされることも、メジャー扱いされることもあるという、どちらでもないような存在だと思うんです。でもそんな僕が存在できていることは、音楽業界の変化だなとも思っていて。そういう、どっちでもない人がいてもいいし、それもかっこいいんだぜっていうのを見せられる存在になりたいです。チームのおかげで海外アーティストとたくさんコラボレーションすることができたり、無理だと思われてきたことの前例を、これからも作っていきたい。

SIRUP:そして、僕がやっているのはR&BやHip Hopといった、ブラックコミュニティの音楽で、これらはブラックコミュニティが今もなお続く差別との闘いの歴史や、コミュニティのエンパワーメントから生まれたものです。なので、僕自身も僕の音楽や、築いてきた影響力を使って、社会をより良くする表現をしていきたいと思っています。影響力を持っているだけで、その力をより良い社会にしていくために使わないのは、ミュージシャンでもアーティストでもないと僕は思っているので。同じ意思を持っている人たちと一緒に、音楽を作り続けていきたいです。
ーマイノリティ性を持たされ、今もなお不当な扱いをされるコミュニティから生まれた文化を、良い側面だけ搾取するのではなく、しっかりと、コミュニティに、社会に還元していくことを意思として持ったアーティストがいることをとても心強く思います。キャリアとは別で、個人として今後の目標や理想の状態などはありますか?
SIRUP:音楽はもちろん絵を描くことやダンスも、人生においてすごく大切で、パーソナルなものだなって感じているから、もっと絵を描きたい。あとはすごく抽象的ですけど、ギャルになりたいです(笑)。僕はギャルを信頼してるんですけど、忖度せずに的確な答えを出す能力が高い人たちを僕は最高のギャルだと思っていて。ネイルはもはや現代アートだなって感じるし、今はギャルがカルチャーを発信していると思います。Y2Kもギャルから始まり、ギャルがもう一度復活させてる。最高すぎません?(笑)
ー既にマインドとしてSIRUPさんはギャルなところありますよ(笑)。最後に、今回ご自身の楽曲から「#あの頃のジブンに届けたい歌」として、新曲“GO!!”を選曲していただいています。この楽曲を選んだ理由と楽曲に込めた思いを教えてください。
SIRUP:世の中でいろんなことが起きている状況のなかで、ポジティブに前を向いていこうっていうメッセージの曲がずっと書けなかったんです。正直、自分が生きてきたなかで最も混沌としている感覚があるし、「こう生きないといけない」みたいなことが強制されている感じがある。でも、そんなことに強制されたらもったいないし、人生において楽しむことってすごく大事だからこそ、ただ楽しむことを応援する曲を書きました。
もちろん、世の中のことを全部忘れて楽しめとは言えないし、言いたくない。だけど、特に今の若い世代は、「浮き足立つな」とか「こういうふうに生きろ」みたいなことを課せられた人たちが多いと思っていて。そんな人たちに「浮き足立ったっていいし、先輩として僕らがなんとかするから、あんたらは一旦人生楽しんで!」というメッセージを贈りたかったんです。コロナもあって選択肢を奪われていたんだから、ちゃんと世の中に求めてもいいし、楽しむことを選択してもいい。その準備と手伝いを僕はやりたいと思うし、自分自身もそう生きたいと思い、この曲を選ばせていただきました。
「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」presented by FRISK

新たな一歩やチャレンジを前向きに踏み出すことを応援するFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」では、11組のアーティストやタレント、クリエイターが「あの頃」の自分に宛てた手紙を執筆。手紙の内容について、CINRA、J-WAVE、me and you、ナタリー、NiEW、QJWebでインタビューやトークをお届け。直筆の手紙全文は4月11日(木)から下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』で展示される(詳細はこちら)。
『あの頃のジブンに届けたいコトバ展』

第一線で活躍する11組の「あの頃の自分に届けたいコトバ」。悩みを抱えていたかつての自分に書いた直筆の手紙を展示。この春、新生活を迎えるすべての人へ贈ります。
会場:下北沢・BONUS TRACK GALLERY(東京都世田谷区代田2-36-12)
会期:2024年4月11日(木)〜17日(水)11:00〜20:00(全日程共通)※営業時間は変更になる場合がございます。
参加アーティスト:尾崎世界観(クリープハイプ)、アユニ・D、ぼる塾(田辺智加、酒寄希望、あんり、きりやはるか)、SIRUP、imase、めがね、児玉雨子、TENDRE、長塚健斗(WONK)、Aile The Shota、三船雅也(ROTH BART BARON)
主催:NiEW 後援:FRISK
■アユニ・Dさん、児玉雨子さん×めがねさん登壇のスペシャルトークショーも実施!
展示に加え、本プロジェクトにメッセージを寄せていただいたアユニ・Dさん、児玉雨子さん×めがねさんに登壇いただき、ご自身が何者でもないフレッシャーだった頃を振り返りながら、新生活における悩みや迷いとの向き合い方、気持ちを前向きにする方法などについてコトバを贈るトークショーを開催します。
場所:BONUS TRACK LOUNGE(東京都世田谷区代田2-36-15 BONUS TRACK 中央棟テナント2F)
日時:
「児玉雨子さん×めがねさんトークショー」 4月11日(木)19:30~20:30(19:00開場)
「アユニ・Dさんトークショー」 4月14日(日)14:00~15:00(13:30開場)
会場の席数に限りがございますので、参加をご希望の方は下記リンクよりお申し込みをお願いいたします。抽選の上、当選者のみご連絡を差し上げます(メールにてご連絡を差し上げますので、「@niew.jp」をドメイン指定受信に設定いただくようお願いします)。
→詳細はNiEWの特設ページをご確認ください