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フェイクドキュメンタリーと小説。表現技法の違い
この話を受け、フェイクドキュメンタリーと小説の表現技法についても話題が及んだ。
大森「『テラスハウス』などの恋愛リアリティショーは、映像制作者から見れば、こんなに綺麗なカット割りで顔が撮れるわけがない、デート先でなぜ何台もカメラが設置されているのかなど、ある種の作り物であると即座にわかる部分も多いです。でも、そのVTRを見る芸能人のワイプが入ることで、本物らしく感じてしまいます。とはいえややこしいのは、リアリティショーは全部が全部嘘ではなく、出演者たちの感情がその場で揺れ動いてしまうところもあるんですよね」。

小川「小説では、わかりにくいシーンを描いた後に、登場人物がその出来事を理解できていない様子を描いて、読者に対して『ここはわからないまま先を読み進めてほしい』と伝えるテクニックがあります。それがテレビ番組のワイプと似たような効果を生んでいるんでしょうね」。
大森「『テラスハウス』で興味深かったのは、出演者に過去の放送回を見せるという演出です。それによって現実と虚構の境目がさらにわからなくなる。視聴者と出演者が同じ映像を見る、つまり身体的に同じことが行われており、現実と地続きなんだと伝えるテクニックです」。
小川「小説には小説用の言葉があって、登場人物は作品が向かおうとする地点に向かって必要な言葉しか喋れず、ダラダラと意味のない会話はできません。でも逆にフェイクドキュメンタリーは、全体としては全く意味がないようなシーンがないとリアリティが失われてしまいます。それは小説『変な家』『近畿地方のある場所について』も同様で、かなりリニアな話ですしディティールに解釈の余地はありません。小説は、例えば登場人物を睨む老人が出てくると、読者はそれが何かの暗示なのかな、そういう人がいるぐらい治安が悪い場所なのかなとインプットしてしまう。だから映像と小説では全然違うところがあります」。

トーク終盤では、小川が語ったような「フィクションの読み方」で現実の出来事を読み解いてしまう例もあると大森は指摘。「先日、北九州のファストフード店で若い女性が刺されてしまう事件が起こりましたが、その女性の父親が警察署長だというデマが流れました。調べれば嘘であることもわかりましたが、信じてしまった人もいた。刺されてしまったのは犯人が恨みを募らせた結果で、通り魔的なものではないと理解すると安心できるからです。フェイクドキュメンタリーは、そうした物語化をしないことが不安を掻き立てるのです」と語った。
両氏は今後も進化するであるフェイクドキュメンタリーの証言手法にもより着目してほしいと語り、トークは終了した。