折坂悠太は昨年6月にアルバム『呪文』を発表した。コロナ期間中に制作された前作『心理』(2021年)は時代のムードを反映したヒリヒリとした作品だったが、『呪文』は一転、暮らしのワンシーンが散りばめられた穏やかなものとなった。以前NiEWで折坂のインタビュー記事を書いた際、私は「ここには穏やかで心地のいい風が吹いている」と書いたが、『心理』と『呪文』という2枚の作品には種類の異なる風が吹き抜けていた。
『呪文』リリース後の折坂は、近年活動を共にしてきた折坂悠太(band)のメンバー4人と共に全国9会場をまわるツアーを決行。このツアーは最新作収録曲を中心にしたセットリストで行われ、ライブパフォーマンスを通じて『呪文』の世界観が表現された。
『のこされた者のワルツ』と題された今回のライブは、そのツアー以来の大規模公演となる。今回のライブで重要なトピックとなったのが、「重奏」メンバーを含む11人編成で行われたという点だ。5人編成による『呪文』ツアーに対し、今回の11人編成は折坂の公演では過去最大規模のものとなる。
11人編成のなかには『平成』(2018年)以降の弦楽アレンジを手がけてきた波多野敦子(ヴァイオリン)率いるストリングスカルテットも含まれる。『平成』以降の折坂の作品ではストリングスが重要な要素となってきたが、ライブパフォーマンスの場で再現されるのは今回の公演が初めて。その意味でも本公演は折坂の活動において重要な意味を持つものとなった。
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平成元年、鳥取県生まれのシンガーソングライター。2018年10月にリリースした2ndアルバム『平成』が『CDショップ大賞』を受賞。2024年6月、約2年8か月ぶりとなる4thアルバム『呪文』をリリースした。また、音楽活動のほか書籍の執筆や寄稿も行なっている。
これまで以上に静と動のコントラストが鮮やかだった第一部
会場となるNHKホールを訪れると、ステージには11人分の機材がセットされていた。上手にはストリングス用のブース。また、ステージ上方には窓枠のような造形物がぶら下がっている。そこには一筋の白い照明があたっていて、どことなく窓に差し込む月明かりのようにも見える。2025年4月4日18時半、いよいよ『のこされた者のワルツ』東京公演が幕を開けた。

1曲目は折坂のギターとストリングスだけで静かに奏でられる“呼び名”(2018年のミニアルバム『ざわめき』収録曲)。<君ゆきて 風はらむ>という言葉から始まるこの楽曲が、春の気配漂うものだったことを思い出させる。続いては『呪文』収録曲でもキーのひとつとなっていた“ハチス”。前回のツアーには参加していなかったyatchiのエレピがいかに重要な要素だったのか気づかされた。

ここで折坂はおもむろに一編の詩を読み始める。詩人・辻征夫の「春の問題」だ。「また春になってしまった / これが何回目の春であるのか / ぼくにはわからない」という辻征夫の言葉が折坂の歌と重なり合うことで、新たな言葉の世界が立ち上がる。

続く“人人”のラストでは山内弘太のアンビエント的なギターが鳴り響き、折坂の活動最初期の楽曲である“あけぼの”へとシームレスに繋がっていく。最新曲“沖の方へ”を挟み、“針の穴” “鯱” “星屑” “スペル”と続くなかで、バンドが奏でる出音のソフトさに気づかされた。決して出音が小さいわけではないものの、音圧で圧倒する感じでもない。senoo rickyのドラムも普段以上にソフトに感じる。そのぶん宮田あずみのコントラバスの繊細なニュアンスや宮坂遼太郎のパーカッションのしなやかさ、歌にそっと寄り添うようなハラナツコのサックスのタッチ、波多野敦子率いるカルテットのストリングスアレンジの多彩さがはっきりと伝わってくるのだ。“沖の方へ”などで折坂が奏でるマンドリンの響きもアンサンブルを豊かなものにしている。






そのぶんバンドのグルーヴが爆発する“鯱”などは普段以上の迫力でこちらに迫ってくる。曲間で折坂が「渋谷ー!」と絶叫すると、観客からは大きな歓声が上がった。これまで折坂のライブは数多く観てきたが、静と動のコントラストがここまで鮮やかなライブは初めてかもしれない。
ここで前半が終了、しばしの休憩時間となる。息抜きのためトイレに向かうと、あちこちから「今日のライブ、なんだかすごいね」「普段と違うね」という会話が繰り広げられている。後半で折坂たちが何を観せてくれるのか、誰もが期待に胸を膨らませている感じだ。

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あの窓の向こう側には何が見えるのだろうか?
そして、後半がスタート。折坂はジャケットを着ていた前半と衣装を変え、ゆったりとした白いシャツで登場した。1曲目は“世界のつづき”。一瞬新曲かと思ったが、曲の途中で思い出した。2022年のアニメーション映画『ONE PIECE FILM RED』に折坂が提供し、Adoが歌唱を担当した楽曲のセルフカバーだ。ストリングスだけをバックに従え、折坂は切々と歌を聴かせる。ダイナミックなAdoの歌唱とも異なる、折坂ならではの歌の風景が広がっていく。

続いて演奏されたのは『呪文』収録曲である“正気”。この曲では<鍋に立てかけたお玉の取ってのプラが溶けていく>という暮らしの風景が歌われる一方で、<私は本気です / 戦争しないです>という(ささやかではあるけれど、極めて重要な)ステートメントが盛り込まれる。どこか戦地を思わせるような赤いライトに照らし出されながら発せられる「戦争しないです」という言葉がずっしりと重い。ここであらためてステージ上にぶら下げられた窓枠の意味について考えさせられることになる。窓の向こう側には何が見えるのだろうか? 音楽と言葉とはひょっとしたら社会を覗く窓でもあるのかもしれない。

ここで初めてのまとまったMCタイム。『のこされた者のワルツ』という本公演のタイトルの意味について折坂の口から語られる。この言葉は2021年のEP『朝顔』に収められたインスト曲につけられたものだが、折坂は「自分の音楽を表す言葉」でもあると話す。折坂の音楽は残されたものから「いってしまったものたち」へのはなむけであり、たむけであり、呼びかけのようなものでもあるのだろう。
続いて本公演のテーマを匂わせるかのように最初期の楽曲である“窓”がガットギター1本で演奏される。窓とは何か、私たちはここでふたたび考えさせられることになる。“窓”から“光”となだらかに繋がり、折坂の代表曲ともいえる“朝顔”へと到達する流れが本公演のクライマックスを作り出した。“光”では舞台上に数本の光の筋が放たれ、折坂のもとで重なり合う。研ぎ澄まされた音と演出に思わず息を呑む。

ここでふたたび朗読の時間となり、折坂自作の「あしぶみの木」という詩が静かに読み上げられる。流れるように本公演のタイトルであるインスト曲“のこされた者のワルツ”へ。心地よいワルツのリズムが聞き手を緊張感から解放し、近づきつつある本公演のエンディングへと導いていく。

そのムードを受け継ぎながら、yatchiのグランドピアノとストリングスがゆったりとしたフレーズを奏で始める。“鶫”だ。折坂の声がそこに重なり合っていく。<ほらね ごらんよ 夜が明ける / どうして 夜は明ける / あなたに あなたに / 聴かせたい歌があると 飛んでゆく 次の春へ>。
「春」とは現在の季節を示すものであると同時に、雪が溶け、新しい季節の到来を願うひとつの思いを表す言葉でもあるはずだ。いつになったら傷だらけの世界に春はやってくるのだろうか。曲間に折坂はぽつりとこんな言葉を発した――「ここにいる人もいない人も、いい春にしましょう」。

本編の最後は折坂のライブでは定番曲である“さびしさ”。この曲は過去無数に演奏されてきたが、ストリングスを伴う完全体で披露されたのは初めて。私の知るかぎり、過去最高の“さびしさ”だったのではないかとも思う。

ここで本編が終了。大きな拍手に迎えられて11人がふたたびステージに登場する。「もう終わりか……終わりですね。寂しいです」と折坂も名残惜しそうに話す。アンコール1曲目は現在NHK『みんなのうた』で流れている“やまんばマンボ”。軽快なマンボのリズムに乗り、折坂もペレス・プラードばりの「ア~ッ、ウ!」という掛け声を(どこか恥ずかしそうに)披露する。淡々とマラカスを振る山内弘太の姿も愛おしい。
アンコールのラストはやはり“坂道”だ。曲の中盤からはまさに坂道を駆け上がっていくようなストリングスが鳴り響く。こちらも過去最高の“坂道”であった。すべてが終わったあと、観客は一斉に立ち上がり、盛大なスタンディングオベーションがいつまでも続いた。

折坂は今回のような大規模公演の場合、毎回テーマを設定し、その公演独自のセットリストを組む。たとえ定番曲であっても毎回置かれる場所が異なり、前後の流れによって新たな側面が浮き彫りとなる。だからこそ折坂のライブには予定調和的ではないスリルや新鮮な驚きがあるのだ。
初期の楽曲から最新曲までを満遍なく取り上げた今回の公演は、これまでやれていなかった「ストリングスを伴う大所帯編成での総決算的ライブ」を実現したライブであり、これまでの折坂のキャリアのひとつの到達点を示すものでもあった。もちろん、その土台には近年活動を共にしてきたバンドメンバーとの関係性と、そこで練り上げられたものがあることは言うまでもない。
その意味でも本公演の試みは、今後新たな旅路を進むうえで一度取り組まなくてはいけないものであり、にわかに「次の季節」の到来を匂わせるものでもあった。心地よい余韻に包まれたままNHKホールの外に出ると、そこには春のさわやかな風が吹いていた。


セットリスト
折坂悠太「のこされた者のワルツ」東京公演 NHKホール 2025年4月4日
第一部
01. 呼び名
02. ハチス
03. 人人
04. あけぼの
05. 沖の方へ
06. 針の穴
07. 鯱
08. 星屑
09. スペル
第二部
10. 世界のつづき
11. 正気
12. 窓
13. 光
14. 朝顔
15. のこされた者のワルツ
16. 鶫
17. さびしさ
<アンコール>
18. やまんばマンボ
19. 坂道
折坂悠太『のこされた者のワルツ』

2025年4月4日(金) 東京公演
open 17:30 | start 18:30
会場:NHKホール
券種:全席指定 / 前売:¥8,200 / Under22:¥6,500
お問い合わせ:
SMASH 03-3444-6751
HOT STUFF PROMOTION 050-5211-6077
2025年4月11日(金) 大阪公演
open 17:30 | start 18:30
会場:ザ・シンフォニーホール
券種:全席指定 / 前売:¥8,200 / Under22:¥6,500
お問い合わせ:
SMASH WEST 06-6535-5569
企画/制作:AMUSE / SMASH
「のこされた者のワルツ」に寄せて。
逃げ惑う⾜。あきらめた顔。
沈みゆく船の上で演奏する⾳楽隊。悴む⼿で、今出せる⾳を奏でた。
それらを⾒送って、私は⽣きのこった。
ただ今この時を⽣きていることを、⾻のずいから理解する⽇が、また来るだろうか。
もう波に溶けてしまったものや、⽔⾯に映るその⼈に、今⽇も挨拶をしよう。
それでもやっぱ、せっかくなら、明るい顔で。
折坂悠太