INDEX
自作の細部まで説明できてしまう、その言葉との緊密な関係が苦しみの原因でもあった
―昨年10月に刊行された歌詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』に折坂さんのエッセイが載っていて、そこで今回のアルバムに収められた“正気”について触れられていますよね。この曲で歌われる<戦争しないです>というワンフレーズについて、折坂さんはこう書いています。
私の頭の中のプロデューサーはこの詞にボツを出そうとした。これは宣言だ。曲の中に宣言を入れるのは気恥ずかしく、美しくない。試しに歌ってみたらやっぱり、心拍が上がり、顔が赤くなる気がした。
折坂悠太の歌詞集『あなたは私と話した事があるだろうか』P.225より引用
折坂:歌詞集にはそう書いたんですけど、そこからフェーズが変わって、いまは顔を真っ赤にすることもなくなりました。
“正気”でいえば、<戦争しないです>というワードももちろん大事だけど、そのあとの<鍋に立てかけたお玉の / 取っ手のプラが溶けていく / パチンと出所のしれぬ音 / 夕方のニュースです>という部分も同じぐらいの比率で大事だと思っているんです。
パチンという音が家の軋みなのか、心霊現象なのかわからないけど、わからないまま生きている。日常のなかで何かふにゃふにゃしたものと、「戦争反対」という言葉が一緒にあるのがいまの自分なんです。

―そういえば、トランペッターのこだま和文さんはXでずっと自分が作った料理の写真をアップし続けているじゃないですか。
折坂:私もあの投稿は大好きです。
―こだまさんはそうした料理の写真とガザの惨状を一緒に投稿し続けているんですね。こだまさんにとっては日常を淡々と投稿することもまた、ひとつの抵抗運動だと思うんですよ。“ハチス”のなかで折坂さんは<この頃の気分を奪ってみろよ / 奪ってみろよ / この胸のうずめきを ほら>とも歌っていますよね。僕にはこの言葉とこだまさんの料理写真が共鳴しているように感じるんです。
―折坂さんのなかで暮らしを描写することによって何かに抗っていくという意識はあるんでしょうか。
折坂:うーん、そうですね……抵抗というのかな……(長時間の沈黙)……ひょっとしたら「この言葉がいまの社会とこうつながっています」と説明する言葉を、いまの自分は持っていないのかもしれないですね。
以前は「自分がこういう言葉を発する意味のひとつにはこういうことがある」と説明できたんですけど、できていたからこそ、そこから離れられなくなってしまった自分もいて。
―それが苦しみにもなってしまった。
折坂:そうなんですよ。いま言葉が出てこなくなっちゃったのは、以前とは自分の状態が変わってしまったからだと思います。『心理』のころは一字一句説明できたと思うんですよ。でも、今回は説明できない部分が多くて。だから『呪文』というタイトルなのかも。
―なるほど。意味や文脈とは異なる言葉の連なりというか。
折坂:でも、そう言うと逃げた感じがしちゃうから、あんまり多用はしたくないんすけど(笑)。たしかに今回のアルバムにも社会とのつながりがあるし、私自身いろんなことを考えてるわけですけど、説明できる言葉だけでつくっちゃうと、せっかく肉体を通してやってることが堅苦しくなると思ったんですよね。
意味や言葉を考えることの大切もあるし、声に出すことで「やっぱりこういう音が気持ちいいよね」「このフレーズのこの音が気持ちいいよね」という感覚も大切だと思うんです。
折坂:“ハチス”の<この頃の気分を奪ってみろよ>という言葉だって、もうちょっとかっこいい言葉で歌ったほうがいいのかもしれないけど、「いまの自分にとってはこれが正解だ」っていう直感みたいなものがあって、それを大切にしようと思っていました。