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バンドで民謡を表現することについて
―民謡クルセイダーズの映画『BRING MINYO BACK』のなかで、田中さんがヨーロッパでのライブ中、MCで「民謡は死んだ / Minyo is dead」と言う場面が映されますね。その真意についてお話いただけますか?
田中:この表現はどうなの? と周りからも言われましたし、かなり乱暴な表現ではありますよね(笑)。海外のステージで自分たちがやろうとしていることを短い言葉で表現しようと思ったのと、個人的には既存の音楽の常套句に「民謡」を乗せ変える遊びが流行っている部分もありまして(笑)。
―「Punk is dead」みたいな感覚ということですよね。
大沢:そんなにシリアスな表現じゃないということですよね。
田中:そうそう、全然シリアスじゃないんですよ。そういう表現をすることによって、民謡について考えるきっかけになればとも思っていました。
―フレディさんは横でその言葉を聞いてどう思っていましたか。
フレディ:私は「民謡は死んだ」なんて思ってないですし、そこは意見がまったく違います。ただ、わかりやすい言葉ではありますよね。実際、民謡のことを意識したこともない方にとっては死んだも同然の音楽なのかもしれないし。
さっきも話したように、その状況が少し変わってきたし、誰もが普通に民謡を楽しめるようになってきた。民謡の世界の一部の人たちのものだったのが、少しずつ「みんなのもの」に戻ってきたということだと思うんですよ。私はみなさんに知ってほしいだけなんですよ、民謡という音楽を。そのためにはなんでもやるぜ、という感じです。

―民謡クルセイダーズはライブ活動を通して「日々の暮らしのなかで民謡を普通に楽しむ」環境を取り戻してきたと思うんですが、OBSGでヒムンさんとソンテクさんがやってるのもまさにそういうことですよね。
ヒムン:そうですね、そこは同じだと思います。ただ、私自身、個人的に表現したいことがものすごくあるんですね。音楽にかぎらず、ビジュアルなども含めて強い意識があって、それはあくまでも個人的な欲望に基づいているんです。だから、バンドとしては伝統的なものをモチーフとしつつも、私個人としては「世界にFUCKをぶつける」というようなところがあるんですよ。

―SsingSsingにせよ、OBSGにせよ、あくまでもヒムンさんの個人的な欲求が軸にあると。
ヒムン:そうです。韓国で民謡やパンソリにアプローチしているバンドの多くは伝統楽器を使っているんですが、私は「自分の声だけが伝統に基づいていればいい」とも考えています。
―ソンテクさんはいかがですか。
ソンテク:僕は民謡の専門家でもなければ研究者でもなく、あくまでもミュージシャンです。その立場から言うならば、OBSGがやってるのは民謡そのものではなく、民謡を通じた新しいポップミュージックだと思うんですよ。ヒムンさんのように使命感があるわけでもないんです。
ヒムン:いや、私も使命感はないですよ(笑)。
―そうなんですか? さっきフレディさんが言ったように「民謡の素晴らしさをみんなに知ってほしい」という意識はあまりない?
ヒムン:もちろん、そういう意識はあります。ただ、基本的には「民謡の楽しさをシェアしたい」という気持ちのほうが強いんです。OBSGは私にとって「楽しい遊び」なんです。私はフロントマンであると同時に演出家なので、メンバー10人の個性がきちんと伝わるようライブを演出したいと思ってます。
―以前NiEWのインタビューでヒムンさんが話されていた「今の時代になぜ自分が伝統音楽をやり続けているのか、という答えを探すために民謡を歌う作品も作り続けてきた」という言葉が印象的でした。その答えは見つかりましたか?
ヒムン:韓国には四柱推命に由来する「八字(パルチャ、팔자)」という言葉があって、「運命」を意味しているんですね。生まれたときから決められた定めのような意味なんですが、それでいえば伝統音楽をやることが私のパルチャなんだと思います。