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生きるとは、身につけた自我を手放して「自分に還っていく」こと
―改めて伺いますが、そういった楽曲が生まれて始まった20thツアーから両国国技館の公演までは、森山さんにとってどういう時期でしたか。
森山:ライブツアーの活動と人生が、複雑に絡み合った季節でした。2年近くあったら、人間って何か起こるじゃないですか。それこそ僕が朽ち果てるかもしれないし。
―そうですね。
森山:でも、まさか自分の父との別れがあるとはつゆも思ってなくて。当時79歳で、まだまだ生きるぞと思ってたんだけど、でもやっぱり“papa”って曲ができたってことが何かのスイッチになってたのかなって思います。だから奇しくも父が自分の死期を悟った1年と、僕がこのツアーでたどった旅の軌跡、みたいなものが、複雑に絡み合っている時期を捉えた映画になりました。
―お父さんが死期を悟った1年というのは、お父さんにとってはどういう時期だったのでしょう。
森山:父は母親を小学校の頃に亡くしていて、「自分の寂しさなんて誰にもわかるはずない」という、卑屈な部分のある人間だったんです。それはすごく生きづらかっただろうなって思うし、最後まで突っ張っちゃって、素直になれなかったのが離婚の原因の一つでもある気がしていて。

森山:父の晩年、僕は病床で介護をしてたんだけど、肺がんだったからみるみる調子が悪くなっていくんですよ。そんな中、死ぬ2ヶ月ぐらい前だったんだけど、父がある日ぱっと朝、目が覚めたんですって。そしたら、身の回りの人たちの顔が浮かんできて、今まで涙なんて出したくても出なかったんだけど、一生分の涙かってぐらい、朝から夕方まで涙が止まらなくなったそうで。僕が日々よく背中をさすったりとかしていたんだけど、多分そのことで、思考よりも身体が反応して、母親と一緒にいた時期のことを思い出したのかなって。
それで自分がいかにつまらないプライドを持って突っ張って生きてきたか、痛感したんだって。今、そのことを悔やんでいると同時に、認められたことでつっかえ棒が取れて、ようやくこれであるがままの自分で、先に亡くなった母親に会いに行けるって言って、また涙を流すんです。それで、こんなにも人生って、自分に還っていけることができるんだってことを目の当たりにしたんです。
―森山さんが幼少期の、お父さんへの気持ちを思い出したことにも繋がるお話ですね。
森山:うん。つまり、人は変われないけど、何かのタイミングで、元の自分に還っていくことができる。みんな無垢な状態で生まれてきて、それなりに家族という社会や学校という社会で人格形成をしていって、自我みたいなものが芽生えてきて。でも30とか40になって、みんな身につけた自我とか執着を手放していくじゃないですか。生きていくってそうやって、身につけたものを手放して無垢な自分に戻っていくプロセスだと思うんですけど、父はなかなか変わらないタイプだなと思っていたら、死に際にようやく手放せた。だから最終的には、肉体の苦しみと精神の苦悩の両方から解放されて、真っ白な新しい世界に旅立っていったんです。
