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アルバムが導くポップスの「外側」
稀有な才能という存在は、たとえ本人がそれを望もうが望まなかろうが自身の掌の上で人を踊らせてしまう。そして「踊らされる(操作される)」という現象には抗えぬ快楽がつきまとう。たとえば世界各地のテーマパークがレジャーとして不動の位置に居座り続けていることや、自動生成されるコンテンツのレコメンドに流されるままという状態を多くの人が「快」であると受容していることからもそれは自明だ。
そして踊らされる快楽の味をひとたび覚えてしまった我々は、その快楽を常時接種できる環境を目指してしまう。そうすると次第に快楽はありふれた日常へと変わり、不感症に陥った我々はより強い刺激を求め続ける。抗うには理性をキープするほかないのだが、次第に理性とはなんだったのか、そもそもそんな理性は必要だったのか、と漸進的に考えを変えていく……。
そのエネルギーに限界はない。限界が来たとき、我々に開かれているのは無限に広がる外側で、その外側にもさらにまた次の外側が用意されている。そうしてまた外側を目指していく。生物の進化の過程をなぞるように。一聴するとカオティックに感じられるリズムや展開、上モノの構成を、破綻スレスレの状態で多くの人のもとに届く「ポップス」として形どることなど土台無理な話だと思っていたけど、長谷川白紙はそれを達成しつつある。
氏のような音楽家がポピュラー音楽に存在するあらゆるクリシェを解体再構築することで、いつしか『魔法学校』のような作品は実験音楽ではなくポップスのスタンダードな形として当然のように受容されていき、音楽をいまの姿から予想だにしない形へと進化させうるのではないかと思う。
そして、開校された『魔法学校』の受講生たちは、いつの日かさらに異形のポップスをまた生み出していくことだろう。なんて素敵な未来の可能性か。素敵だといいな、でもどうなるかは分からない。分からないから、一旦また『魔法学校』に翻弄される快楽を味わってみようか。