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踏み越えてはいけない一線を超えさせる、集団の狂気
─『Cloud クラウド』では、転売屋として働く吉井(菅田将暉)に雇われている佐野(奥平大兼)が、吉井に銃を手渡す場面が印象的でした。インターネットでつながった集団をはじめ、私たちも「案外簡単」に、情報を鵜呑みにしたまま境界線を容易く踏み外してしまっているのではないかと感じました。
黒沢:うれしい感想です、ありがとうございます。そうなんですよね。1人だと境界線を踏み越える前は「絶対に無理」と思っていたけれど、集団に巻き込まれると自我とは違う何かが作動して、止められなくなる。
真偽なんかどうでもよくて、全員が盲目的にそれを信じて、この映画では「殺すか、殺されるか」、そのどちらかの関係でしかありえなくなっていく。「やめよう」と誰かが言い出すこともなく、どちらかが死ぬまで続ける。ある境界線みたいなものは、案外簡単に越えられてしまう感じというのは、誰しもある気がしています。

─危険な状況において、ストップをかけるような人はあえて出さなかったのでしょうか。
黒沢:出しませんでした。無理やり、物語の中に入れ込むことはできますが、あの状況をストップさせられる力があるのは警察か、もしくはヤクザのような組織になりますよね。一線を超えた彼らの行為を止められたとしても、一度スイッチが入ってしまった感情を止めることはなかなか難しいと思っています。フィクションですから、行き着くところまでやってもらおうと思いました。
─黒沢監督はアクションを撮りたかったのではないか、という純粋な欲望を感じたのですがいかがですか?
黒沢:そういう素朴な欲望はありました。『散歩する侵略者』(2017年)のプロデューサーに、次は本格的なアクションをやりたいと申し出たんです。
ただし現代の日本を舞台にしたときに思いつくのは警察やヤクザといった、いかにも銃撃戦をしそうな人たちの物語ばかりです。そこで僕は現代社会を生きていて、およそ暴力沙汰と縁がないような「普通の人たち」の物語にしたいと思いました。たしかに、警察やヤクザが銃を持つとスマートで迫力があるのですが、全く暴力に慣れていない人々ならではの、不器用なアクションを撮ってみたかったのです。
─全員が取り憑かれるように、暴力から引き返せない状況に巻き込まれていきましたが、吉井は唯一、引き返そうとした人物だったかと思います。
黒沢:菅田さんに演じていただいた吉井は、曖昧な人間なんです。冒頭で安く買い取った電子機器がすべて売れた瞬間も、大喜びするのではなく安堵と不安が常に半々。万事曖昧な反応をするのは、彼が慎重であることにもつながります。
知り合いに転売をやっている人間がいたのがきっかけで今回のキャラクターも生まれたのですが、彼もものすごく慎重でした。一か八かで買ってしまっては破産する可能性もあるので、株の売買のように慎重に見極めて、仕事をしている。なので、吉井も曖昧で慎重な性格にすることで、そう簡単に殺す / 殺される関係に踏み込まないのですが、最終的には曖昧では済まされない窮地に立たされて変わっていきました。
─吉井が転売をしたあと、パソコンから距離を置いてしばし画面を眺める行為も「曖昧さ」を表すようでした。
黒沢:それは僕の感覚的なものですが、転売はパソコン内だけでやり取りされていくので、その世界に吉井自身も入り込んでしまうと冷静さを失ってしまいます。パソコンから距離を置くことで、慎重に冷静に判断する人であることを表現したつもりです。