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破滅へと近づく現代に、黒沢清が見出した希望。「この世は地獄だ」と理解すること

2024.10.1

#MOVIE

『岸辺の旅』(2015年)で「第68回カンヌ国際映画祭『ある視点部門」監督賞」、『スパイの妻』(2020年)で「第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞」を受賞、そして今年、フランスの芸術文化勲章オフィシエを受章した黒沢清監督。2024年は『蛇の道』『Chime』『Cloud クラウド』と新作が立て続けに公開されている。

黒沢監督は、著書『黒沢清の映画術』で「人間の本質は幽霊である」と語った。善悪のある人間と、幽霊の恐ろしさはまったく性質が異なるものだが、得体のしれない恐さは近しいものがあるのかもしれない。映画『Cloud クラウド』では、転売業で日銭を稼ぐ吉井(菅田将暉)が、インターネット上で集った実態のわからない集団から標的にされてしまう。取り憑かれた人々によって見えない悪意が暴走するさまを描いた黒沢監督へのインタビューを通して、恐怖の根源がどこにあるのか考えさせられる。

※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。

『回路』から20年超。インターネットに対する感覚の変化

─黒沢監督はかつて『回路』(2001年)で、インターネット上で起こる怪異が世の中へと広がっていく様子を描かれていました。本作『Cloud クラウド』もインターネットで広がる恐怖が題材の1つになっていますが、Windows95も発売されたばかりだった2000年代はじめと比べても、現在は状況が大きく違います。当時のインターネットに対する感覚との違いを黒沢監督はどう捉えて、作品を撮られましたか?

黒沢:『回路』を撮ったころのインターネットというのは「不気味なもの」という印象が世の中にありました。実態がつかめず、私たちの生活を壊しかねない、いわゆる負の要素があるのではないかと。そんなわけはないのですが、そうした妄想が成立した時代でした。

デジタルといっても、動きが遅くて妙にアナログっぽいところも、妄想を掻き立てるところがありました。モデムがつながる音を聞くと、世界のどことつながっているのか想像したり、ぼんやりとした映像が奇妙だったり。もちろん今となっては、インターネットそのものに悪が潜んでいないと、僕自身もわかっています。

黒沢清(くろさわ きよし)
1955年兵庫県神戸市出身。立教大学在学中より8ミリ映画を撮り始め、1983年商業映画デビュー。『CURE』(1997年)で世界的に注目される。『アカルイミライ』(2002年)は「第56回カンヌ映画祭コンペティション部門」に出品。2024年6月10日フランスの芸術文化勲章オフィシエを授与された。2024年の『蛇の道』『Chime』に続いて、最新作『Cloud クラウド』が9月27日、公開された。

─インターネットそのものに悪は潜んでいないけれど、別の場所に恐ろしい力があるのではないかということでしょうか?

黒沢:インターネットは人の心の中に潜む、とても小さなものを集結させて、肥大させてしまう力があります。それが善意だった場合は、小さな善意が集結して大きな影響力を及ぼし、社会に対して良い影響を及ぼすこともあるでしょうが、悪意だった場合、取り返しのつかない事態に発展することもあります。インターネットが持つ大きな力は、人の心にある善悪どちらにも作用してしまうものですが、現状どちらかといえば悪意のために使われてしまう機会が増えている気がします。

『回路』予告編

─黒沢監督はSNSとは距離をとられているイメージがありますが、良い印象ではないですか?

黒沢:インターネットそのものではなく、インターネットを使う人間の側に問題があるんだと思いますね。おっしゃるように、私自身ソーシャルメディアは最低限しか使わないのですが、身近な人がひどい目に巻き込まれているさまを見ているので、その力の怖さは感じています。

一番心証が悪いのが、インターネットに流れる嘘か真かわからない情報を、真偽をたしかめずに本当のこととして信じ込んでいる人がいること。どう考えてもおかしいことなのに、インターネットの情報を鵜呑みにしている人が案外身近にもいて、逆に信じていないこちら側が「嘘をついている」と指をさされる場合があります。昨日まで仲が良かった人とも、情報を信じる / 信じないで突然隔たりが生まれてしまうこともありますよね。

『Cloud クラウド』予告編
ネット社会で拡散された憎しみにより、主人公の日常が崩壊していくサスペンススリラー。主人公・吉井(菅田将暉)は、「ラーテル」というハンドルネームを使い、転売屋として日銭を稼いでいた。彼の転売行為がネット上で炎上し、彼を憎む書き込みが拡散。ある日、紙袋を被った男ら不特定多数の集団が吉井を襲う。

踏み越えてはいけない一線を超えさせる、集団の狂気

─『Cloud クラウド』では、転売屋として働く吉井(菅田将暉)に雇われている佐野(奥平大兼)が、吉井に銃を手渡す場面が印象的でした。インターネットでつながった集団をはじめ、私たちも「案外簡単」に、情報を鵜呑みにしたまま境界線を容易く踏み外してしまっているのではないかと感じました。

黒沢:うれしい感想です、ありがとうございます。そうなんですよね。1人だと境界線を踏み越える前は「絶対に無理」と思っていたけれど、集団に巻き込まれると自我とは違う何かが作動して、止められなくなる。

真偽なんかどうでもよくて、全員が盲目的にそれを信じて、この映画では「殺すか、殺されるか」、そのどちらかの関係でしかありえなくなっていく。「やめよう」と誰かが言い出すこともなく、どちらかが死ぬまで続ける。ある境界線みたいなものは、案外簡単に越えられてしまう感じというのは、誰しもある気がしています。

菅田将暉演じる転売屋の吉井 / 『Cloud クラウド』場面写真©2024 「Cloud」 製作委員会

─危険な状況において、ストップをかけるような人はあえて出さなかったのでしょうか。

黒沢:出しませんでした。無理やり、物語の中に入れ込むことはできますが、あの状況をストップさせられる力があるのは警察か、もしくはヤクザのような組織になりますよね。一線を超えた彼らの行為を止められたとしても、一度スイッチが入ってしまった感情を止めることはなかなか難しいと思っています。フィクションですから、行き着くところまでやってもらおうと思いました。

─黒沢監督はアクションを撮りたかったのではないか、という純粋な欲望を感じたのですがいかがですか?

黒沢:そういう素朴な欲望はありました。『散歩する侵略者』(2017年)のプロデューサーに、次は本格的なアクションをやりたいと申し出たんです。

ただし現代の日本を舞台にしたときに思いつくのは警察やヤクザといった、いかにも銃撃戦をしそうな人たちの物語ばかりです。そこで僕は現代社会を生きていて、およそ暴力沙汰と縁がないような「普通の人たち」の物語にしたいと思いました。たしかに、警察やヤクザが銃を持つとスマートで迫力があるのですが、全く暴力に慣れていない人々ならではの、不器用なアクションを撮ってみたかったのです。

『散歩する侵略者』予告編

─全員が取り憑かれるように、暴力から引き返せない状況に巻き込まれていきましたが、吉井は唯一、引き返そうとした人物だったかと思います。

黒沢:菅田さんに演じていただいた吉井は、曖昧な人間なんです。冒頭で安く買い取った電子機器がすべて売れた瞬間も、大喜びするのではなく安堵と不安が常に半々。万事曖昧な反応をするのは、彼が慎重であることにもつながります。

知り合いに転売をやっている人間がいたのがきっかけで今回のキャラクターも生まれたのですが、彼もものすごく慎重でした。一か八かで買ってしまっては破産する可能性もあるので、株の売買のように慎重に見極めて、仕事をしている。なので、吉井も曖昧で慎重な性格にすることで、そう簡単に殺す / 殺される関係に踏み込まないのですが、最終的には曖昧では済まされない窮地に立たされて変わっていきました。

─吉井が転売をしたあと、パソコンから距離を置いてしばし画面を眺める行為も「曖昧さ」を表すようでした。

黒沢:それは僕の感覚的なものですが、転売はパソコン内だけでやり取りされていくので、その世界に吉井自身も入り込んでしまうと冷静さを失ってしまいます。パソコンから距離を置くことで、慎重に冷静に判断する人であることを表現したつもりです。

普通の人ほど予感している、社会が破滅する足音

─慎重で冷静であった吉井でさえ、何かに取り憑かれるように人が変わっていきます。復讐に燃える集団をはじめ、全員が何かに取り憑かれている様子は怖さもありましたが、滑稽でもあると感じました。黒沢監督はどのような意識で撮られていたのでしょうか?

黒沢:基本的に、登場している全員が普通の人間だと思っています。しかし、これは現代の特徴だと思うのですが、なんでもない人たちこそ、この先いいことがなさそうな感じがしませんか。先が見えないというか、将来に対して漠然とした不安がある。そうした欲求不満に対して当たり散らしたいけれど対象物がはっきりしない。世界では既に戦争が始まってしまっているわけで、この先に破滅が待っているような嫌な予感が、ほんの少しですが普通の人々のあいだで確実に育ってきている気がしてなりません。

─知らない人同士がインターネット上で出会い、短絡的な発想でゲームのように人を殺してしまう実事件が、本作のアイデアのヒントとなったと伺いました。まさに、漠然とした不安から起こった事件かもしれません。

黒沢:特異な事件ではなく、現代では簡単に起こり得ることなのだと思います。面白半分で集まった、顔も知らない者同士が、インターネットを通じて殺意をエスカレートさせていく。繰り返しますが、インターネットそのものが悪いわけではなく、小さな不安が普通の人の心の中にも溜まってきていて、インターネットによって集結し肥大させてしまうことが問題だと思います。

─吉井は職業を問われて臆面もなく「転売屋」と答え、佐野も吉井を助ける理由は「助手だから」と言うだけです。「口に出すこと」が何かに取り憑かれるスイッチになるようにも受け取れましたが、いかがでしょうか?

黒沢:あまり意識していたわけではないんですけれど……そういう部分はあるかもしれないですね。世間からは良い風に思われていない転売屋であることを自覚しつつも、ある種堂々としている。自分の立場や思いをはっきりさせることでスイッチが入るのかもしれませんが、それは破滅への道でもあります。

左から松重豊、奥平大兼演じる佐野 / 『Cloud クラウド』場面写真©2024 「Cloud」 製作委員会
左から吉井、古川琴音演じる秋子 / 『Cloud クラウド』場面写真©2024 「Cloud」 製作委員会

─黒沢監督は、言葉にして立場をはっきりさせたいタイプですか?

黒沢:僕は、自分の立場をあまりはっきりさせたくないという思いがあります。ただ、どこかではっきりさせなければならない状況に立たされるので、そういうときは割り切って、自分とはこういうものだと思うようにする。それを続けることで次第に慣れていって、深く考えれば違うかもしれないのに、面倒くさいので信じ込むことにしている部分はあるかもしれません。本当にそう思っているのか、考えなければいけないと思いますが、そうして自分を思い込ませることが「社会で生きていく」ということなのかもしれません。

この世界が地獄であることを理解する、それが希望になる。

─現在公開中『Chime』(2024年)も、料理教室で講師を務める一般的な主人公・松岡(吉岡睦雄)の日常に異変が訪れる様が描かれています。普通の家庭のように見えるけれども、騒音レベルで一心不乱に空き缶を捨てる妻(田畑智子)の姿などから、誰しも取り憑かれている可能性はあるのではないかと考えさせられました。

黒沢:『Chime』はもちろん全然違う映画です。映画作りは毎回、俳優も物語も異なるので、全く新しいものを作っているつもりです。ただ1人の人間にできることはそんなに多くはなくて、他の要素はすべて新しいにもかかわらず、僕が監督するとなんか前と似たことをやってしまい、それを僕の個性だと言ってくれる人も多いわけです。僕は自分の個性を出すために映画を作っているわけではないので、本当は個性に気づかれないほうがうれしいんです。

黒沢:ただ、たしかに2つとも同様に現代の状況を反映しているかもしれません。思うのは、現代で人間を描こうとすると、どこかその人々のタガが外れてくるんです。そして、これは僕の矛盾しているところではあるのですが、『Cloud クラウド』も『Chime』も人々がなにかに取り憑かれて取り返しのつかないことになるのですが、そんな状況だとしても彼らを「救いたい」という気持ちがどこかにあります。

https://www.youtube.com/watch?v=xL7SMoQ8X0I
『Chime』予告編

黒沢:現実的には吉井が救われることはないかもしれません。しかし、僕としてはなんとかして彼に希望を見出したいという気持ちで終わらせました。ラスト、彼が警察に捕まったシーンを描けば、社会としては気持ちよく終わるのかもしれませんが、それはやりたくありませんでした。窮地に立たされた主人公がどう生きていくのか、希望を持たせて終わらないと今生きている人たちも救われないのではないかと思います。

─私は、吉井は生きることを選ぶんだなと意外に思いました。

黒沢:そうですね。ここで解釈を説明するのも野暮かもしれませんが、最後のセリフはこの世が地獄のようなものであることが吉井にようやくわかった瞬間でした。地獄の中を突き進むのか、なんとか回避するのか、彼の選択はわかりませんが、地獄であることがわかっただけでもそれは希望につながるのではないか、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、それが僕の本音です。

『Cloud クラウド』

2024年09月27日(金)より公開中
上映時間:123分
製作:2024年(日本)
配給:東京テアトル 日活
監督・脚本:黒沢清
出演:
菅田将暉、古川琴音、奥平大兼、岡山天音、荒川良々、窪田正孝
https://cloud-movie.com/

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