様々なカルチャーが交錯することで育まれてきた街、京都。そんなこの街で邂逅を果たしたアーティストがいる。ドラマーで即興独奏家の粉川心と、映像を媒介にインスタレーションなどを行う現代美術家の八幡亜樹だ。表現者でありながら、それぞれ違うジャンルで活動してきた2人が出会ったのは2022年のこと。自身の映像表現にドラムという要素を取り入れたいと思い立ち、学べる場を探していた八幡が偶然目にしたのがドラムレッスンを行っていた粉川のWebサイトだったのだ。
まだ出会って2年も経たないという2人の関係性はとても濃密だ。粉川のソロ作品の“cosmic circle”のMVを制作したことをきっかけに、八幡は粉川の関わる音楽の撮影を手がけるようになる。そして2024年6月には京都芸術センターにて『即興と辺境 実験1』と題し、粉川をドラマーとして迎えた実験的なプログラムも行われた。今回、2人が対談の場に選んだのは、それぞれゆかりがある京都市京セラ美術館。粉川は同館ミュージアムカフェENFUSEにて自身のバンドkottでライブを、八幡はザ・トライアングルで自身の作品を展示したことがあるという。アートを表現する場で交わされた2人の言葉から見えてきたのは、ビジネスという資本主義的な枠にとらわれない表現者としての生き方であった。
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スキルトレードから始まった関係
ーまずは、お2人の出会いについて教えてもらえますか。
八幡:私がドラムを始めようと思って「いい先生いないかな?」と探していた時にGoogleで見つけました。その時出てきた粉川さんのプロフィールが濃かったんですよね。タイ式マッサージとか合気道、東洋医学的なことも経て、ドラムをやっているとか色々書いてあって。私にとっての芸術のあり方は領域横断的でもあるので同じような感じかなと思いつつ、感覚が似ているときって微妙にずれているのが気になって何か一緒にできないこともあるので。
粉川:似ている方が忌避性高いよね。
八幡:そう。必要なものを教えてもらえる感じになるのか?と半信半疑でレッスンに行きました。
粉川:印象的に覚えている事があって、八幡さんは体験レッスンに来て「あなたは私に何を教えることができるのか、プレゼンしてみて」って言われてグッと来ました。

1984年京都生まれ、京都在住。中学からドラムを始める。jizueのドラマーとして活動したのち、現在はソロアーティストとして単独東南アジアツアーの敢行や、国内アーティストとのコラボレーションをはじめ、2020年には石若駿、松下マサナオ、山本啓らと1stソロアルバム『ANIMA』を制作、リリース。2021年からはディジュリドゥ奏者GOMAとのduoユニットでの活動や、kyoto experimental band「kott」でも精力的に活動し、同年FUJI ROCK FESTIVAL2023にもkottとして出演。2024年には名だたるトッププレイヤー達が集結したセカンドソロアルバム『touch the sub conscious』をリリースした。
八幡:いやいや、絶対そんなことは言ってないと思うよ。記事を面白おかしくしようとして事実を歪曲するのはやめてください(笑)
粉川:(笑)でも、それに近いことを多分言ってて、これはめちゃくちゃ面白い人が来たって思った。
八幡:私も切実にドラムが必要な状況で先生を探していたんです。「ドラムが人類の鼓動や!」みたいに思い立って、それを自分の作品の中にも取り入れなきゃいけないと思って……。
粉川:その真剣味が溢れ出ていたんだと思います。だから、僕からしたら「もう、最高の人を見つけたぞ」っていうファーストインプレッションですね。

1985年東京都生まれ、京都在住。東京藝術大学大学院美術研究科先端技術表現専攻修士課程修了、同大学院博士課程中退後、滋賀医科大学医学部医学科卒業。2020年京都市内にHENKYO.studioを設置。フィールド調査や取材に基づく、領域横断的な美術作品の制作を行なう現代美術家。主なメディアは映像+インスタレーション。「(地理的 / 社会的 / 心身的な)辺境」の概念を追求し、その一環として、近年では「手食」や「ロードムービー」に焦点を当てる。世界の手食文化をオンラインアーカイブするウェブサイト《手食》の主宰 / 編集者。
八幡:その時にレッスン代ってかさむし、どうしようって話をしたら「面白ければ表現の交換っていうのもありだよね」みたいな話になって。
粉川:そう。最初、スキルトレードから始めたんですよ。僕がドラムを教える代わりに、映像を撮ってもらう。
八幡:粉川さんが“cosmic circle”のMVを撮れる人を探していて、ちょうど私もドラムを映像に取り込みたいと思っていたから「それ面白そう!」みたいになって。そこから、なんかめっちゃ作りましたね。
粉川:kottのMVやツアーファイナルも撮ってもらっているし、この間COTTON CLUBでやったソロアルバム『touch the subconscious』のリリースイベントも。2人で京都芸術センターの公募に応募して、ライブ作品をつくったりとかね。
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表現者としての共通点は、人を喜ばせたいという想い
ー実際に、スキルトレードをしてみて何を感じましたか。
八幡:粉川さんは音楽文脈でドラムを表現の手段にしていて、私はずっと芸術っていう文脈の中で映像をやっていて。他分野で全然違うことをやってるように見えるのに、同じことをやってるみたいな感覚になるときがある。
粉川:アートに対しての真剣さから同じ熱量を感じる人ってなかなかいないんですよね。僕は、全てのものを見る判断基準が「どれだけこだわっているのか」ということだけなんです。彼女は、一挙手一投足、もう脚立を立てるその様からこだわりが出るんですよ。
例えば料理で言ったら京都の近又さんみたいな。超一流の料亭にご飯を食べに行くと、何かを表現するって、人を感動させるってやっぱりこういうことですよねって改めて感じます。

八幡:同じ作家同士でも、一緒に話しながら、さらに細部にいける感じがある人って多くはないと思うんです。喋っていると、表面には見えていないようなこだわりの所の話になりますよね。
粉川:ずっとその誰にも見えないようなこだわりに対して努力をしているよね。
八幡:粉川さんとは、今はまだ見えてないところまで、行けるかもしれないという感覚を持てるときがあります。この前一緒に京都芸術センターでライブパフォーマンスをやった時の、観客からもらったリアクションとか踏まえても、その片鱗に触れられたのではないかという気がしました。そういったことを言葉で喋るだけじゃなくて、作品として具体化していけるのもすごい喜びですよね。具体化して他者からフィードバックをもらえるから、つくる喜びや意義を感じられる。
ザ・トライアングル「八幡亜樹:ベシュバルマクと呼ばないで//2022」The Triangle Yahata Aki: Don’t Call it Beshbarmak, 2022
粉川:八幡さんとは創る喜びと、アウトプットする喜びの感覚が一緒というか……。自己満足で終わるアーティストも多いじゃないですか。そうではなく、社会に投下して、それがどう影響して、相互作用するかまでちゃんと見えてる人って、少ないんじゃないかなって。
粉川:やっぱり「人のためになりたい」というのがものづくりの根底にあると思うんですよ。観客のためにつくっている部分と自己満足のためにつくる部分、このバランスがアーティストによって違う。八幡さんとはそのバランスが似てるから面白い。
八幡:そうですよね。私も常に観客を想定して作品をつくっている。

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「芸術はこの世の希望ですよ」(八幡)
八幡:私の場合は、人間が生きるために必要な芸術をやっていかなきゃいけないみたいな思いがあるんですけど、粉川さんもそんな感じってことですか?
粉川:その感じはずっとあるかな。ざっくり言ったら、世界に対するこっちの勝手なおせっかいで。アートで開かれた感性で生きる世界はきっと素晴らしいし、楽しいよっていうのをずっと発信している。
八幡:私、医療現場でも働いているんですけど、本当に芸術の分野しか知らないでやっていたときは、どんなに「社会のため」っていう部分があっても「結局エゴでしか終わっていかないんじゃないか」っていう思いもあって。
そういうプロセスを経て、医療現場では反対に、いわゆる近代医学だけではどうにもならない場面に出会うことがあって。そんな時、私は芸術が必要だってすごく思うんですよ。だから、きっと単なるエゴじゃなくて人間にとって必要な芸術は絶対あると思うし、そこに向かって粉川さんもやってるんじゃないのかなと思います。

粉川:僕はその思いが最近少しブレる事もあって、AIやら何やらと行きすぎたように見える文明の中で、人々の芸術を受けとる感性が弱体化してると感じてて、そんな中で活動していると暖簾に腕押し感を感じることが増えて、芸術は本当に人類に必要なのだろうか。ってブレるときがある。けど、八幡さんはそれをね、ドーンって確信持ってるのが最高なんですよ。
八幡:芸術はマジでこの世の希望ですよ。
粉川:これを言い切ってくれる人が中々いない。アーティストはこういう人が近くにいてくれると本当に救われますよ。
八幡:私にとって「生きること」と「芸術」って絶対に切り離せない。業界にいるとだんだんそこが乖離していくような感覚があったんですけど、いかに命の隣で芸術をやり続けるかみたいな、その距離を絶対に離しちゃいけないと思うんです。だから、粉川さんのプロフィールを見たときに、そういう感覚でやってる人なのかもと思ったんですよね。
ー業界にいると自分の思いが剥離していってしまう理由っていうのは、何なのでしょうか。
粉川:敵は資本主義ですよね。
八幡:難しいところで、仕事として展覧会をすることは大切ですけど、展覧会をこなすこと自体が本質ではない。突き詰めて納得のいく作品をつくり続けることの方が重要。でも、そういうときに何か、タイミングみたいなものが合わなくなっていったりすることもある。私の場合は、芸術の追求としての医学の勉強と展覧会の仕事のタイミングを合わせるのが難しくなったりした。そのことで美術をやめたと誤解されることも。今はまた物理的に芸術を主軸にできる状況になり、展示が続いても、腑に落ちるところで楽しく制作できるようになりましたが、特に若い時は上手くこなせないときあって、その微妙なずれを敏感に感じてしまって。そのずれが、生きることと芸術の乖離のように感じてしまっていたことはあったと思う。
粉川:芸術に真面目であればあるほど、その辺にぶつかりますよね。
ー生きるってたくさんの要素を孕んでいるように思いますが、お2人は生きるという意味をどのように捉えているのでしょうか。
粉川:人の役に立つことだと思う。アートで本当に人の役に立つためには、作品を最強にしないといけない。だから、作品を強くすることのみに注力できたら理想ですね。人の役に立てば、そこにちゃんとお金も発生するだろうし、生きられる。それをより大きな単位でやりたい。世界に面白いを投下しまくりたい。
例えば、スーパーで働いていても人のためになっている。でもそうじゃなく、アーティストじゃないとできない領域まで持っていって、それを処方したいというか……。どうでしょうか?

八幡:私にとって「生きる」というのは、自分にとってというよりは、「人が生きる」という、自分以外のだれかの生も込みで言っていることが多いです。自分が手に届く範囲を大切にしながら、何ができるか。自分の身近なものって結局、遠くの誰かと繋がってると思うから、身近なものに丁寧に向き合ってつくっていくことが大事かなと。そういう時空を超えたことを実現できるのが芸術な気もする。

粉川:遠くに飛ばすためには強度がいる。言うなれば、普遍的な力。そんな圧倒的な力を持ってる作品がたまにあります。人間の根源に触れるような作品ができたなら、より遠くまで飛ぶんじゃないかなって思いますね。
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お金を儲けなきゃいけない美しい理由にたどり着いた
粉川:八幡さんはビジネス度外視というか、アーティストとして僕よりピュアだと感じるんです。ピュアで居続けるってものすごくエネルギーが必要だと思うし、そこもとても信頼できるところです。
八幡:昔は、自分の名前が通ることに興味はなかったし、その対極にいたんですけど、今は、自分に関わってくれる人とか、自分の表現を支えてくれる人たちを幸せにしたり、その人たちにちゃんとお金をまわすためには、ある程度は自分が表に立ったり、自分の考えを表明していかなきゃいけないと思うようになりました。
ビジネスとはちょっと違うかもしれないけど、そんな考え方の変化はあって。今その渦中で積極的に社会に働きかけて、自分の考えもちゃんと伝えていこうと思うようになりました。

粉川:すごくわかる。自分が金持ちになりたいという理由でビジネスしちゃうと気持ちが変な感じになるけど、関わってくれている周りのアーティストや関係者も一緒に豊かになりたいっていう大義が見つかるとお金を儲けることの美しい理由になった。
八幡:お金に執着が出る瞬間があるとしたら、それしかないですね。周りをちゃんと幸せにするため。
粉川:その落としどころを見つけるまでに結構時間がかかるよね。
ー誰かの役に立つためにビジネスとして成立させたいというような「美しい理由」にたどり着いたのはなぜなのでしょう。
粉川:単純に心苦しいからですよね。価値を認めてて、本来ならその価値を払いたいのに支払う能力がないっていうときに、ちゃんとビジネスもしないといけないと感じます。
八幡:シンプルに周りのことが見えてきたというか、自分がやることが自分だけの問題ではないことを痛感するようになった。作家への謝礼の優先順位が低いケースも見てきたし、表現や、美術に関わる労働への対価が低く見積もられがちな状態をできる限り変えていきたい気持ちは常にありますね。
粉川:そのためには、世の中にわかりやすくブランディングしないといけないとかアートに本来不必要な部分が出て来たりする。ピュアを保とうとしているアーティストはその矛盾と常に戦っているんじゃないですかね。名が売れる事でアートの為にできる事の幅も、影響力も変わってくるからこのバランスは難しいけど大切だなと思いますね。
