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「楽しかった」という体験から改めて、文化芸術の価値を伝えていく
—今日は、地域や社会的課題と文化芸術の関係について、いろいろと示唆に富むお話が聞けました。文化にはただ文化として触れるだけではないより広い社会的な可能性があるということを、お2人は以前の対談から仰っていましたが、その可能性はますます広がっていると感じました。最後に、今後の文化のあり方について一言いただけますか?
岸野:今日はアートの話も出たけど、さきほども少し触れた通り、僕は普段はその言葉を使わないようにしているんです。あくまで、単なる「街のお調子者」であることを意識していて。日々の営み、それが充実していることが一番大事ですから。自分がやって楽しくないことは、人にも薦められない。

出口:楽しい場作りをしているだけ、ということですよね。
—そして楽しい場づくりをしていれば、さっきのクリスマス会のように必然的に多様な背景を持つ市民が集まってくる。美術館やライブハウスなど機能で細分化していったのが近代だとしたら、じつは街角でみんなで集まることが一番現代的という話かもしれません。
岸野:そう、そこを目指しているんだけど。ただ、一見何気なく見えて、じつはそれが一番難易度が高くて。文化施設は、お金を払ったり既存のシステムに則れば使うことができる。公共空間も、所定の手続きを踏めばいろんなことができる。でも、そこに住んでいる人たちと一緒に協働したり何かをしたりしようと思うと、途端に難易度が高くなるわけです。お金を積んでもどうにもならない。人間同士の信頼関係ですから。
でも、もしかしたらいま自分がしていることがモデルケースになって、街が活気づく新しい試みが、自分の住んでいる街以外でも広がっていくかもしれない。だから、難しさは一番高いんだけど、そのなかで少しずつやり方を考えてこれからも活動していきたいですね。
出口:あくまでも日常の延長上で、というお話は共感します。最近思うのが、これまでいろんな文化施設がずっと心を砕いて活動してきたのに、文化の重要性がそこまで世間に浸透しきれなかったのであれば、次に考えるべきは、「文化を体験する」や「アートを学ぶ」ではなくて、「楽しかった」とか「心地よかった」という体験がまずあり、それが後々考えたら文化的体験だった、という入り口の設定が重要なんじゃないかということです。

出口:岸野さんのやられているお祭りもそうですよね。それを構成する要素は、取り出してみれば音楽やパフォーミングアーツに分けられるけど、それを「お祭り」として提示する。それと同じように、ある種の文化体験も、例えば光のワークショップのように公民館の講座としてであれば日常の一コマとして気軽に触れてもらえるかもしれない。そしてその楽しかった思い出が、大人になってから文化体験だったと気づき、その子が再びホールや公民館を訪れてくれることがあるかもしれない。
岸野:それは本当に大事なことですよ。大人たちが楽しそうにしているのを見ると、子どもたちは未来に希望が持てますから。
出口:そんな出会いが、ひとつでも多く作れたら。そうした一種の原体験というか、最初に触れる場所としての機能や可能性が、公民館や公共施設、地域の営みのなかにはある。まだまだやるべきことはたくさんありますね。
