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より深く、強い精神世界へ
展覧会の中盤では、1980年代以降の作品が並ぶ。大病で生死の境を彷徨ってからは、自己の内面をより深く掘り下げるような作風へと変化していった田名網(本人コメントによると、長期入院で死期が近いと思われ、周囲から死生観についてのスピリチュアルな本ばかり差し入れされたのが原因らしい)。それまで強く意識されてこなかった幼少期の戦争体験の記憶が噴出し、作品は一気に重たく謎めいたものになる。

多用されているのは、中国旅行を経てインストールした大陸風の吉祥モチーフや、治療中に夢・幻覚で見たイメージだ。例えば、病院の窓から見えたという、ぐにゃぐにゃに曲がった松の木。虹色の亀。プロレスリングに似た寺社の塔からは、しばしばドロドロの液体が溢れ出ている。シルクスクリーンの『常磐松』シリーズではまだデザイン性が重視されている感があるが、色鉛筆を使った塔のドローイングでは画家の無意識下の世界が切実に吐き出されている感じがして少し怖い。ちなみにそのシリーズは展覧会図録では潔く全カットされているので、見たい場合はこの機会に会場へ行くしかないようだ。
展示室の中央には、夢のモチーフと積木のイメージを組み合わせたという立体作品も。大人のおもちゃかのような露骨に性的なフォルムには、凝視しつつも苦笑いである。

4枚のカンヴァスを使った大作『蓬莱山に百鶴が飛ぶ図』には衝撃を受けた。神経のような枝を伸ばした無数の松、摩天楼かプロレスリングか仏舎利か判らない建造物、そして大量の鶴が描かれている。タイトルにある蓬莱山(仙人の住処とされる霊山)はどこかな? と画面を探すが、山らしきものは見当たらない。

まさか、このレタリング「Mt.HORAI」をもって蓬莱山なのか? なんて強引な! 作家はこの頃、東洋の李朝画に登場する「文字樹」に関心を寄せていたといい、画面中央に書を配置した、一種呪術的なムードの作品も多数制作している……ので、そういうことでいいのかもしれない。非常に大事なものが、似姿ではなく、そこだけ「言葉」という奥行きのある姿で表現されているのは新鮮な驚きだったし、図らずも、イスラムのモスクのようでもある。

「エレファントマン」のシリーズも不思議と引っかかる作品群だった。画家が教授職に就いて多忙な中、紙にアクリル絵具で描いた小ぶりなドローイングの連作である。象人間は毎回ほぼ同じポーズで画面に収まっているが、時に耳や鼻の極端なデフォルメが進み、ユーモラスかと思えば次の瞬間にはハッとするほど生々しい。
さて、相当端折って来たが、なんとここまででやっと展示の半分を過ぎたあたりである。続く第7章から最終章にかけては、ほぼ休みなく怒涛の「コラージュ祭り」が始まる。