「それってもう恋してるってことじゃん」「その関係、はっきりさせたほうがいいよ」ーー悪気のない周囲のこういった言葉に、傷ついたり、傷つくとまではいかずとも、モヤモヤしたことがある人は少なくないのではないだろうか。私自身、同居していたが恋愛関係ではない異性との関係について、家族や周りの友人からわかりやすい関係を表す言葉での説明を求められ、「彼氏です」と説明していた時期があった。
さまざまなパートナーシップのあり方が見直されている現代で、自分自身の選択に迷っている人は、少なくないだろう。演劇団体「いいへんじ」の中島梓織はモヤモヤに向き合う中で、一つの選択肢に出会った。「他者への好意を、恋愛や友情で区別しない / できない」という恋愛的指向、「クワロマンティック」だ。
まだ耳慣れない、しかしこれから耳にすることが増えてくるであろう「クワロマンティック」をいち早く扱ったいいへんじの新作舞台『われわれなりのロマンティック』について、また中島自身が抱いてきた人との関係性への疑問について、語ってもらった。公演はアクセシビリティへの配慮もされており、本稿最後には案内もあるので、観劇に不安のある人もぜひ最後まで読んでほしい。「恋」や「愛」、「友情」ってなんだろう。一度でもそう思ったことがある読者と、一緒に考えたい内容だ。
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作家活動のきっかけは「体育会系のコミュニケーションへのモヤモヤ」
ーまず、中島さんが演劇を始めたきっかけをお聞きしたいです。
中島:演劇を始めたのは、高校生からです。中学生の時はバスケ部に所属していたんですが、そこでの体育会系のコミュニケーションにモヤモヤしていた部分があって、そのモヤモヤをアウトプットしたいと思ってはいたけど、方法が分からなかったんです。でも、志望校の演劇部の公演を観て「あ、自分がやりたいことってこれだ」と思って。それから今までずっと続けている、という感じです。
いいへんじは、大学2年生の時に、サークルの同期の松浦みるという俳優と一緒に立ち上げました。当時は、こういうテーマの作品をやっていくぞ、みたいなのはあまりなくて、松浦と好きなものの方向性が似ていたので、一緒にやろうか、という流れでした。

いいへんじ主宰。劇作家 / 演出家 / 俳優 / ワークショップファシリテーター。1997年生まれ。高校在学中より演劇活動を始める。早稲田大学文化構想学部(文芸・ジャーナリズム論系)卒。個人的な感覚や感情を問いの出発点とし言語化にこだわり続ける劇作と、くよくよ考えすぎてしまう人々の可笑しさと愛らしさを引き出す演出が特徴。創作過程における対話に重きを置いて活動している。代表作に、『夏眠/過眠』(第7回せんだい短編戯曲賞最終候補)、『薬をもらいにいく薬』(第67回岸田國士戯曲賞最終候補)などがある。
ーこれまで「いいへんじ」が上演してきた『薬をもらいにいく薬』や『友達じゃない』などの作品では、人間関係における細かいやり取りを軸にしている印象がありましたが、中島さんが演劇に出会った時から、人間関係について考えていたんですね。
中島:どうしても自分がこだわってしまう部分が、コミュニケーションや、コミュニケーション以前の、自分の気持ちを言葉にするみたいなところで。言葉にするとこぼれ落ちるものもあるから、できるだけこぼれ落ちないように、永遠に拾い続けようとするんですよね。何でも考えすぎてしまうという、自分の人間としての性なんです。そういう自分が演劇という媒体を通してできることは、対話だと思って、徐々にそれを意識した作品になっていきましたね。
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「友達」と言われる関係と、「友達」という言葉で捉えきれない感情
ー今回上演される『われわれなりのロマンティック』も、これまでのいいへんじの作品に引き続き、人間関係についての作品になっているかと思います。この作品はどのように生まれたんですか?
中島:祖父が一昨年に亡くなったので、地元の茨城に帰ってお葬式に参列したんです。その時に、代々続いてきた家族の歴史に触れて、「そろそろ結婚しなきゃいけない?」「子供産んだ方が、親は安心する?」みたいなことを強く意識してしまったんですよね。
東京では「自分の生きたいように生きるんだ」みたいな感じで過ごしているけれど、地元に帰ったことで、家父長制や異性愛主義、恋愛至上主義のような社会から規定されて要請される価値観と、自分が対面している人間関係に、どう折り合いをつけていくか考えるようになりました。実はその時期に、前回公演の『友達じゃない』を書いていて。

他者との交流を通して起こる事象を描くことで、自分にとって「友達とは何か」考えられる作品となっていた
ーそうだったんですね。
中島:自分が大事な人に対して抱く想いが、いわゆる恋愛感情とは違うのかもしれないなとか、パートナー以外の大事な人に対する想いが、ただの友達かと言われると、そうじゃないな、といったことを考えていたタイミングだったので、結構頭の中がぐちゃぐちゃでした。その状態で『友達じゃない』を書いたので、「友達とは言ってるけど、友達ってなんだ?」とか「友達」と言われる関係と、その定義では捉えきれない関係に自分はこだわっているんだな、ということに気が付いたんです。
執筆しているときはまだ「クワロマンティック」という言葉には出会っていなかったんですが、上演した後に「クワロマンティック的だ」という感想を頂いたりもしたんです。なので今度は「クワロマンティック」を軸にして、自分の感情を言葉にすることや、関係性の築き方や続け方を考えてみたいな、と思い、『われわれなりのロマンティック』を書きました。

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「クワロマンティック」に救われた、ラベリングされない「好き」の気持ち。「付き合う」って何?
ー「クワロマンティック」について、サイトでも中島さんご自身の経験を踏まえた解説がありますね。あまり耳にしたことがない人も多いと思いますが、改めて説明していただけますか?
中島:平たく言うと「好き」という気持ちについて、友達としての「好き」か、恋愛としての「好き」か、区別できなかったり、しないという恋愛的指向です。あとは、既存の恋愛の概念に対して「何それ?」というスタンスかもしれない。「みんな当たり前に恋愛の話をしてるけど、じゃあ何なの? 説明してみてよ」みたいな。
ー改めて聞かれると、説明に困る人も多い気がします。
中島:劇中でも、主人公・茉莉の幼馴染である凪と陸のカップルがラブラブな時期に、茉莉が「恋愛って何?」と聞いたら、すごくざっくりした答えが返ってくるシーンがあります。自然に恋愛をしている人に比べて、クワロマンティックの人たちは、恋愛などの関係性について考え続けて、言葉が溢れかえっている人が多いんじゃないかなと思います。
ー中島さんが「クワロマンティック」という言葉と出会った時、どのように思いましたか?
中島:「それ!!!」と思いました(笑)。「クワロマンティック」という言葉を知る前、私自身、パートナーとは別の人に対して自分の中にデカい気持ちがあることに困惑していた時期があったんです。「パートナーに抱いている好きと、その人に抱いてる好きは全然違うけど、同時にそれを抱いているのって悪いこと?」みたいな。その人は自分にとって結構重要な存在だけど、恋愛でもないし、だからと言って、ただの友達とも言われたくなくて。
そんな中で、今回ジェンダー・セクシュアリティ監修として参加していただいている中村香住さん(※1)が書いた「クワロマンティック宣言」(※2)を読んでちゃんと「クワロマンティック」について知ったんです。中村さんとは今回改めて色々と話しましたが、共感する部分もあれば、私と中村さんでも少し違う部分もあって、本当に「1人1クワロマンティック」という感じで、人それぞれで。
※1専門は文化社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究で、現代日本におけるポピュラーカルチャーを、第三波フェミニズムやクィア・スタディーズの観点から研究している。NHKのドラマ『『作りたい女と食べたい女』ではジェンダー・セクシュアリティ考証として関わるなど、専門的な観点からコンテンツ作りを支える。参考:https://researchmap.jp/kasuminakamura
※2『現代思想2021年9月号 特集=〈恋愛〉の現在-変わりゆく親密さのかたち-』(青土社)に収録。
―そもそも「恋愛」の定義も人によって違いますよね。
中島:そうなんです。恋愛感情ってよく分からないけど、自分にとっては「あなたが何を考えているのかすごく気になる。あなたの存在はとても尊い。とにかく生きていてください」ということなのかなと思ってた。でも実は、恋愛感情って人によっては、「キュンとする」とか「かっこいいと思う」みたいな、気楽な部分が多いらしいと知ってから、自分が「恋愛」だと思っていた感情は人と違っていて、自分はもしかしたらおかしいんじゃないか、と大混乱しました。それまでは自分が抱くデカい気持ちが、みんなの言う「恋愛」だと思っていたんですよ。
ー中島さんが大切な人に対して抱く「デカい気持ち」がどういうものなのか、もう少しお聞きしてもいいですか?
中島:今のパートナーの場合は、その人が考えてることとか、やりたいと思っていることがすごく面白くて、とても尊敬できるんです。でも、生活面で心配な部分が多いから、どうしてもほっとけなくて。自分としてはそれってあまり「恋愛」という感じじゃないんですよね。

ーでも世の中的には、「ほっとけないんだよね」と言ったら恋愛の文脈にされるような気もします。
中島:自分としては、もっと鬼気迫るものがあるというか。私は、好きな人に好きな人がいたら、幸せになってほしいと思うタイプなので、たとえばもし他の人の存在によって自分が心配している部分が解消しそうだったら、お喋りするのが楽しいという部分で関係を続けたりとか、別の距離感で接していたと思います。なので、隣りにいるのが必ずしも私じゃなくてもいいし、よく恋愛かどうかの根拠として語られる「他の人とご飯行くのが嫌だ」みたいな嫉妬の気持ちも全然湧きません。
ー特に異性との関係性について「友達」や「恋人」にラベリングしたがる風潮は、未だにあると思います。そういった風潮については、どう思いますか。
中島:「気になってる人いるの?」と聞かれた時に、「気になってるけど、(恋愛的な)好きってことじゃないと思う」と言うと、「いや好きじゃん」とか「その人のこと考えちゃうんでしょ? それが好きってこと」みたいに言われたことはありますね。あとは、何となく性行為のニュアンスも含めて「どうにかなりたい」みたいな言葉も使われるじゃないですか。でも別に必ずしもそういうことをしたいわけじゃなかったりするんですよね。
ーちなみに今のパートナーの方とは、どのように関係性を築いてきているんですか?
中島:異性愛的な文脈で付き合い始めたので、最初は「付き合うってこういうことだよね?」みたいな感じで、よくある恋愛のパターンを踏襲していました。でも徐々に「これじゃなくてもよくない?」と感じるようになって。
ー私も人と付き合ってみてから、「付き合うって何をすることなんだろう?」ということを考えたことがあります。
中島:何をもって「付き合ってる」ということになるのか、というところですよね。自分はパートナーと一緒に住んでいますが、付き合い始めた時から、お互い何かあったら助け合いましょう、というところは変わってないんです。でもそれって土台みたいなところであって、その上でどういう関係性を築いているかというのは、みんな違うんだろうなと思いますね。

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恋愛的指向は変わる。そんな中で大切なのは、対話をし続けること
ー『われわれなりのロマンティック』の中で、「自分はクワロマでデミセクだと思ってたけど、なんか分かんなくなってきた」「そういうのって別に変わり続けるからね」というやり取りが出てきたのが印象に残っています。この「変わり続ける」みたいな部分は、中島さんの経験から出てきた言葉ですか?
中島:そうです。自分は以前ヘテロロマンティック(※1)でデミセクシュアル(※2)だと自認していたんですが、「クワロマンティック」という言葉を知ってから、また自認が変わってきましたし、性的な行為に対しても、デミセクよりは、ほぼアセクシャル(※3)に近いのかなと思うようになって。グラデーションの中で、動いていくものなんだなと感じたんです。
※1恋愛対象に焦点を当て、異性愛者のみが恋愛対象であるというセクシュアリティ
※2精神的なつながりを感じる相手に対してのみ、性的な欲求を抱くセクシャリティ
※他者に対して、性的な欲求を感じないというセクシュアリティ。恋愛感情は抱くことがある。
ー恋愛的指向は揺らいだり変わったりするものであるという前提が描かれているのは、すごくいいなと思いました。中島さんのようにご自身のことを言葉にできる人もいる一方で、劇中では自分のことを話したり、誰かと対話することのハードルの高さも指摘されていましたが、中島さんは他者とどのように対話をしていけばいいと思われますか?
中島:対話を始めるには、対話をする相手にもテーブルについてもらう必要があって、まずそこを共有することが結構大変なんですよね。こちらが一方的に「対話すればきっとよくなる」と信じていても意味がない。だからまずは場の作り方や機会の作り方みたいなところから考える必要があると思っています。でも、社会に出ると現実として、時間も体力も気力もないし、そんなことをしている場合ではない、みたいになっちゃいますよね。
稽古場にも、私が読んだ本をみんなも読めるように置いていて、国語の授業みたいに輪読したり、哲学対話(※)もしています。脚本もそうだと思っているんですが、真ん中に何かあると、自分の考えを話すハードルが下がる気がするんです。観客のみなさんも、私たちの作品を観た後に感想を喋りながら、一緒に観た人と「この人こんなこと考えてたんだ」って気づくこともあるだろうなと思います。
※一般的に言われている価値観と、違うことを考えているということについて、哲学を手がかりに話し合う話。「何を言ってもいい」「人の言うことに対して否定的な態度をとらない」など8つのルールがあり、参加者が安心して語り合える場が開かれている。(参考:『梶谷真司著『考えるとはどういうことか』2018年9月刊、幻冬舎新書』
いいへんじ『われわれなりのロマンティック』稽古場に置いてあった書籍リスト(一部)

・『アセクシュアル アロマンティック入門性的惹かれや恋愛感情を持たない人たち』(集英社新書、2025年)
・『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』(明石書店、2024年)
・『現代思想2024年6月号 特集=〈友情〉の現在』(青土社、2024年)
・『フェミニズムってなんですか?』(文藝春秋、2022年)
・『ポリアモリー 複数の愛を生きる』(平凡社新書、2015年)
中島:あとは、対話って、実は続けることが一番難しいんです。付き合いが長くなればなるほど、自分も相手も変わるし、環境も変わるので、本来は約束や関係性のあり方が更新されていくはずなんです。でも、対話を持続するための不断の努力にも、互いのモチベーションが大事になってくるんですよね。
ーそれこそこの作品の中ではいわゆる「普通の恋愛」をしている人たちとして描かれている凪と陸は、10年間付き合った後で哲学対話を通じて最終的な結論を出しますが、彼らにはどういう変化が起きたのでしょう?
中島:多分今までちゃんと対話をしてこなかったんだろうな、みたいなことは、実際に凪と陸を演じてくれている谷川清夏さんと奥山樹生くんとも話しました。凪と陸は事実婚の状態なんですが、茉莉はその状態を「選んでる」と思っているけど、多分2人は積極的に話し合って選んでいるわけではないんだろうね、とか。
この2人は深く考えずに関係をスタートしていた分、相手が何を考えているのかについて、ちゃんと会話をしてきていなかったんだと思うんですよね。なので、哲学対話を通して相手の考え方について深く知った結果、考えが違うことに気付いたと思います。凪も陸も、これからそれぞれに向き合わなくてはならないことがあると思うんですが、それでもポジティブな部分を残しています。
―選択の結果について、あくまでポジティブに描くのが、いいへんじらしいと思いました。
中島:いいへんじの作品の中では、対話を諦めなかったら最終的にはちょっと良くなるかもしれないよ、という提示をしたいです。綺麗ごとだと言われるかもしれないけど、演劇というフィクションの中ぐらいは、こうあったらいいなという世界を描きたいし、観てくれた人たちに、私が思う対話のポジティブな部分が、ちょっとでも伝わればいいなと思っていますね。

ー中島さんにとって、人とのベストな関係性や距離感はどういうものですか?
中島:「今の私たちってどういう感じ?」「私はこう思ってるけど、あなたは今どう?」みたいな感じで、お互いが心地良いと思える関係を検討し続けられるかどうかが、自分にとっては大事かなと思います。
―今後、中島さんがやっていきたいと思っていることについて伺いたいです。
中島:最初の頃は内省的な作品を作っていたんですが、『友達じゃない』あたりから、だんだん自分が描きたいものが他者に向いてきた感覚があるんです。扱うテーマもより複雑になるんですが、そこについていろんな人と話しながら考えたいと思っています。今までは同世代の俳優と一緒に作品を作っていくことが多かったんですが、より広い射程での対話に挑戦したいと考えています。いろんな方に参加いただけるようなワークショップも積極的にやっていく予定です。