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「友達」と言われる関係と、「友達」という言葉で捉えきれない感情
ー今回上演される『われわれなりのロマンティック』も、これまでのいいへんじの作品に引き続き、人間関係についての作品になっているかと思います。この作品はどのように生まれたんですか?
中島:祖父が一昨年に亡くなったので、地元の茨城に帰ってお葬式に参列したんです。その時に、代々続いてきた家族の歴史に触れて、「そろそろ結婚しなきゃいけない?」「子供産んだ方が、親は安心する?」みたいなことを強く意識してしまったんですよね。
東京では「自分の生きたいように生きるんだ」みたいな感じで過ごしているけれど、地元に帰ったことで、家父長制や異性愛主義、恋愛至上主義のような社会から規定されて要請される価値観と、自分が対面している人間関係に、どう折り合いをつけていくか考えるようになりました。実はその時期に、前回公演の『友達じゃない』を書いていて。

他者との交流を通して起こる事象を描くことで、自分にとって「友達とは何か」考えられる作品となっていた
ーそうだったんですね。
中島:自分が大事な人に対して抱く想いが、いわゆる恋愛感情とは違うのかもしれないなとか、パートナー以外の大事な人に対する想いが、ただの友達かと言われると、そうじゃないな、といったことを考えていたタイミングだったので、結構頭の中がぐちゃぐちゃでした。その状態で『友達じゃない』を書いたので、「友達とは言ってるけど、友達ってなんだ?」とか「友達」と言われる関係と、その定義では捉えきれない関係に自分はこだわっているんだな、ということに気が付いたんです。
執筆しているときはまだ「クワロマンティック」という言葉には出会っていなかったんですが、上演した後に「クワロマンティック的だ」という感想を頂いたりもしたんです。なので今度は「クワロマンティック」を軸にして、自分の感情を言葉にすることや、関係性の築き方や続け方を考えてみたいな、と思い、『われわれなりのロマンティック』を書きました。
