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『ひゃくえむ。』劇場アニメ化の難題、“名言”と“速さ”をどう描くか。岩井澤監督が語る

2025.9.18

#MOVIE

大抵のことは、100mを誰よりも速く走れば、全部解決する——。漫画『ひゃくえむ。』は、わずか10秒のレースを題材に人の葛藤や友情を鮮烈に描き出す。『チ。-地球の運動について-』で注目を集めた魚豊が紡ぐ物語を、アニメーション映画『音楽』で世界を驚かせた岩井澤健治監督が映像化。松坂桃李や染谷将太が声を吹き込み、ロトスコープによる試行錯誤で速さのリアリティを追求した。『ひゃくえむ。』は、ただのスポーツアニメーションではなく、生きる意味を問う物語だ。

魚豊は「言葉の魔術師」。「自分の中でうまく言語化できていない感情をはっきりと提示してくれる」

─『ひゃくえむ。』との出会いについて教えてください。

岩井澤:ふらっと立ち寄った近所の本屋で魚豊さんの『チ。-地球の運動について-』が目に入ったのが最初のきっかけです。表紙だけでなくタイトルからも異彩を放っていて。実際に手にとって読んでみたら、これまでの漫画とはアプローチが異なる、新しさを感じました。興味を持つとこの作者は何者なのかって調べたくなるじゃないですか。色々と検索してみたら、まだまだ若いこと、そしてこの作品の前に100m走をテーマにした漫画を描いていることを知って。100m走かぁと驚きましたよね。地動説と全く違いますし、スポーツ漫画の中でも短距離って珍しいな、と。その数週間後に本作のオファーをもらったので運命的なものを感じました。

©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

─陸上をテーマにした物語は、長距離を扱ったものが多い印象があります。実際に読んでみていかがでしたか?

岩井澤:魚豊さんを思わず「言葉の魔術師」と呼びたくなるくらい、言葉の選び方が独特で圧倒されました。印象に残るキャッチーなフレーズが作品に散りばめられていますよね。また、キャラクターも魅力的です。僕自身、キャラクターに存在感のある物語が好きなのでそこにもぐっと惹かれました。

岩井澤健治(いわいさわ けんじ)
映画監督。1981年生まれ。東京都出身。高校卒業後、石井輝男監督に師事。実写映画の現場から映像制作を始め、そのかたわらアニメーション制作を始める。初長編監督作品『音楽』は、アニメーション界のアカデミー賞として名高い米アニー賞のノミネートをはじめ、オタワ国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞するなど、国内外の多数の映画賞で高い評価を受ける。

─「言葉の魔術師」、しっくりきます。特にどの表現に注目しましたか?

岩井澤:自分の中でうまく言語化できていない感情をはっきりと提示してくれる感じがすごいするんです。『ひゃくえむ。』を読んでいると胸の中にある気持ちはまさにこれなんだ、とどんどん明確になっていく。財津に長年王者の座を阻まれ続けてもなお挑戦を続ける海棠というキャラクターの「現実がわかっていないと、現実から逃げられない」という言葉にはハッとさせられました。

海棠は、年齢的なこともあり、一番感情移入したキャラクターでした。これまでの人生で培ってきた経験を、自身も現役の立場にあるのにかかわらず、主人公のトガシにきちんと伝えていく。その師弟関係のような関係性にも惹かれます。

トガシが所属する企業の先輩アスリート。陸上界の最前線で活躍するトップランナー・海棠。声は津田健次郎が演じる。 / ©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

─監督ご自身には、海棠のような存在はいらっしゃいますか?

岩井澤:僕が映像関係の仕事につき始めたころ、石井輝男監督のところに出入りしていたんです。

─高倉健主演の『網走番外地』シリーズや、つげ義春原作の『ねじ式』を映画化した監督ですね。

岩井澤:そうです、そうです。当時、もう75歳くらいだったかと思うので、孫とおじいちゃんみたいな関係でした。石井監督は、映画とは何かとか、映画の技術について教えてはくれないんです。特別なアドバイスをくれることもない。ただ、一緒の時間を過ごしただけなんですが、その時間は今作品を作る上での指針になっています。亡くなる直前も、監督が入院していた病院にお見舞いに行ったりもしていて。だからか、海棠とトガシの関係性を自分の人生と照らし合わせちゃいましたね。

わずか10秒に宿る、速さのリアリティ

─『チ。-地球の運動について-』で注目を集めている魚豊さんの原作を映画化することにプレッシャーは感じましたか? 監督の前作『音楽』がインディペンデントな作品だったのに対し、『ひゃくえむ。』は、大きなプロジェクトですね。

岩井澤:映画化のお話をいただいたのが4年くらい前で、『チ。-地球の運動について-』への注目が集まっている最中だったこともあり、徐々にプロジェクトが大きくなっていきました。

先ほど魚豊さんを「言葉の魔術師」と評したように、『ひゃくえむ。』にはぐっと来るセリフがたくさんあります。それにキャラクターたちが対峙して、会話するシーンが多い。素晴らしい言葉の表現でも、会話のシーンは画が変わらないので、映像でどう見せるかっていうのはとても苦労しましたね。言い回しが優れていても、映像にリズムがないと観客は飽きてしまいますから。魚豊さんに相談し、映像に合わせてセリフを微調整した箇所もあります。

©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

─人物が口を動かしているだけでは、画的にマンネリになってしまうかもしれませんね。本作の大きなテーマである、「速さ」を表現するのも大変だったのでは?

岩井澤:そうなんです。スポーツの中でも、100m走は競技の時間がとても短い。ほんの10秒程度です。また、ただまっすぐ走るだけ、というとてもシンプルな競技なので、球技などに比べると表現が限られてしまうんですね。スポーツものってどんなストーリーラインがあるにせよ、試合のシーンが一番の見せ場にならないとダメだと考えているので、「速さ」をどう見せるのかというのは色々試して工夫をしました。

─具体的にはどんな工夫をされたのでしょうか?

岩井澤:今回は実写映像をフレームごとにトレースしてアニメーションを制作する「ロトスコープ」という手法を使いました。実写で撮ってそれを編集して、そこから余計なものを削ぎ落としていって、それをアニメにする。そうするとまた必要な箇所が見えてくるので、また追加して、というのを何度も何度も繰り返して。

僕はいわゆる一般的なアニメーションを撮ったことがないんですが、普通は最初にコンテを描いてそれを元にみんなでアニメーションにしていくので、「このシーン、いらないかもね」と、後から削ることは少ないと思うんですが、今作は実写映画のような作り方をさせてもらっているので、カットする箇所もありました。さらにはリアリティを追求するため、アジア陸上競技選手権大会で2連覇を達成した鵜澤飛羽選手など、一流のアスリートたちに協力をしてもらって撮影をしています。

─前作と比べて、スタッフの数も大きく増えたと思います。そのことにより変化はありましたか?

岩井澤:人が多くなる分、よりコミュニケーションをとらなければならないというのはあります。僕は円滑に自分の意図を伝えるのが苦手なので、そのことが原因で方向性を誤ってしまうこともありました。でも何より、自分だけでは作れないものをチームとしてなら作れるというのは大きな変化です。

©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

岩井澤:また、アニメーションで水を描くのは本当に難しいので、できれば避けたいことの一つでもあるんですが、今回は、涙や雨といったシーンをとても印象的に仕上げることができました。それは優秀なスタッフがいてくれたからこそ。自分一人では絶対に実現できなかった表現です。

松坂桃李と染谷将太が引き出したキャラクターの深み

─走る才能によって自分の居場所や友人を築いてきたトガシ。その声を松坂桃李さんにお願いしたのは、どんな思いからだったのでしょうか。

岩井澤:トガシには走る才能があって、まわりに彼を慕う友人もたくさんいる。なので「主人公感」を出すことが必要だと思っていて。松坂さんの声は、落ち着いた中にしっかりとした芯を感じさせるのでぴったりだと感じました。また、スターである松坂さんが演じることで「主人公感」がより出せるのかな、と。彼に演じてもらえたことでトガシというキャラクターがイメージしやすくなったと思います。泣くシーンでは、声だけでなく全身で表現してくださり、アニメーションとバチっと合っていて圧巻でした。

トガシ / ©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

─トガシのライバルである小宮の声は、なぜ染谷将太さんにお願いされたのでしょうか。

岩井澤:小宮は、言葉数が少なく秘めたものを感じさせる人物です。染谷さんの演技にはどこか影を感じていたので、その姿が小宮と重なるように思え、お願いしました。ダイナミックな感情をそのまま発露させるのではなく、どこか抑えながら演じる声が素晴らしいですよね。染谷さんのハッとした表情など、声だけで小宮の感情が動いたことがわかるような繊細な演技が素晴らしかったので、それを参考にアニメーションにもフィードバックした箇所がいくつもあります。松坂さんと染谷さんの演技に引っ張っていってもらいました。

小宮 / ©魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

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