平野啓一郎の同名小説を実写映画化した『本心』が11月8日(金)より劇場公開中だ。
「自由死を選んだ母をAI(人工知能)で蘇らせるヒューマンミステリー」と銘打たれた本作に込められた要素は数多い。AIの功罪、社会の格差や差別、そして「心」への問いかけなどを約2時間の映画に抽出しており、なるほど議論を呼ぶであろう「問題作」の触れ込みにふさわしい内容となっていた。
※本記事には映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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AIに対する「欺瞞」や「不快感」から逃げていない
あらすじはこうだ。主人公の青年・朔也(池松壮亮)は、母(田中裕子)が豪雨で氾濫する川べりにいるのを目撃し、助けようと飛び込むも重傷を負い昏睡状態に陥ってしまう。1年後にようやく目が覚めた朔也は、母が生前に「自由死」を選択していたと聞き、仮想空間上に任意の人間を作る「VF(ヴァーチャルフィギュア)」という技術をもって、その母親の本心を知ろうとする。
まず興味を引くのは、「亡くなった母親の心をAIで再現できるのか」という問いかけだ。AIは言うまでもなく「人工的に作られた」「プログラミングされた」存在であり、生前の人間とイコールとすることに抵抗のある人は多いだろうし、生命への冒涜とすら思う人もいるだろう。劇中では仮想空間とはいえ「見た目」も生前の人間を再現しようとしていることから、2019年のNHKの『紅白歌合戦』で激しい論争を呼んだAIの美空ひばりを思い出す方もいるはずだ。

劇中ではそのAIが「良いもの」として、妻夫木聡演じる開発者から理路整然と語られる場面がある。その言葉の一部は正論に思える一方で、「本物以上のお母様を作れます」といった言い回しには違和感もあるし、全体的に居心地の悪さを覚える。AIの功罪を描くSF作品は数多いが、この『本心』はまずAIに対する「欺瞞」や「不快感」を描いた作品でもあるのだ。

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AIの方がむしろ「人間的」とさえ思える悪意の表出
前述した「亡くなった母親の心をAIで再現できるのか」の問いかけは、あくまでこの『本心』という作品の一要素にすぎない。たとえば、青年・朔也は工場の仕事を失ってしまったため、カメラが搭載されたゴーグルを装着し、リアル(現実)のアバター(分身)として依頼主の代わりに行動する「リアルアバター」という仕事に就いたりもする。

見た目はデリバリーサービスを思わせるが、理由があって外を出歩くことができない人々の秘めた願いを「叶える」その仕事には尊さも覚える。しかしながら、朔也は「人間の悪意」にも容赦なく晒される。肉体を消耗しながから仕事をしている青年をあざけ笑おうとする一連のシーンに、激しい怒りを覚える方は多いだろう。
中でも「メロンに振り回される場面」は、原作小説の時点で読者から「メロンはもう買えなくなった」と感想が届いたほどだったそうだが、その過酷さを映画でもはっきり描いたことに意義がある。石井裕也監督は2021年の『茜色に焼かれる』をはじめ、生活に困窮したり人生の問題を解決できないままでいる人々の生活と、理不尽な人間の悪意に晒され精神的に追い詰められる様を容赦なく描いてきた。同時に、それは現実で苦しみ傷ついた人間の心の痛みを知っている作家としての、誠実さや優しさの証明のようにも思えるのだ。
そこにあるのは、テクノロジーがどれだけ進歩しようとも、人間の悪意はどこかに存在し得るという残酷な事実でもある。おかげで、機械的に命令を実行する、プログラミングされた存在のAIの方が、むしろ「人間的」なのではないか、そんな逆説的な問いかけさえも内包されているように思えた。
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「人の心」を多角的に描くために必要な存在
さらに、本作はラブストーリーの側面もある。青年・朔也は、母の歳の離れた親友の女性・三好(三吉彩花)が台風被害のため避難所生活中だと知って家へと招き、そこからは2人の(AIの母も交えて3人の)生活が始まる。苦しく辛い場面が多い本作の中では、ほっと息をつける場面でもあり、「人に触れられない」苦悩を抱える三好の過去と、彼女だけが知る母の秘密も興味を引くだろう。

そして、とある出来事をきっかけに、世界的に知られるアバターデザイナーのイフィー(仲野太賀)が、その2人の関係に割って入り、三角関係が築かれる。実は、イフィーは石井裕也監督が脚本制作で100稿近くまで改稿を重ねた中で、「削るならここか」と考えていたキャラクターでもあったそうだ。しかし、原作者の平野啓一郎と何度か話す中で、イフィーの存在の重要性、「誰にどう伝わるか」を慎重に考えられていたことなどから、尺が限られる映画でもイフィーを描くことを決めたようだ。

脚本の初期段階ではもう少し「自由死」や、母の死に紐づく「本心とは?」という部分にウェイトを置いたものだったそうで、そちらのほうが多くの人にとって直線的でわかりやすい内容にはなっただろう。しかし、経済的には恵まれていて一定の良識もあるものの、人の「本心」について不器用な見方をしているイフィーのような人間は現実にもいるし、それは本作の主題とも言える「完全には理解できない人の心」を多角的に描くためには必要な存在だと思えたのだ。
なお、平野啓一郎は公式サイトのコメントで「脚本の段階で相談を受けましたが、私は、原作のプロットを窮屈になぞろうとするのではない、石井裕也監督による映画的な再構築を受け容れました」と述べている。その通りで、原作者の言葉を大いに参考にしながらも、石井監督らしい(前述した人間の悪意などの)作家性をはっきり打ち出した内容となったのは間違いない。
また、石井監督は実際に7歳の時に母を亡くし「原作を読んだ際、傲慢な言い方をすれば、自分の話だと感じました」とも語っている。石井監督の自身の母親への「執着」ともいえる感情も、映画には確実に反映されているのだろう。
