音楽と演劇とダンスが融合した新たなパフォーマンスの形を追求するエリア51。作、演出、作曲、演奏、振付を担う劇作家の神保治暉が掲げているのはミュージカルでも音楽劇でもない「音楽演劇」。その表現と創作の根底には、現代社会における「ケア」と「コミュニケーション」への眼差しがあった。
作品単体にとどまらず、現代演劇そのものの拡張を見つめ、小劇場からライブハウスまで場をボーダレスに横断すること。そして、その空間を「ケアと対話のための実践の場」として開発すること。9月27日(金)、28日(土)に渋谷のライブハウスeggmanにて開催される初ワンマンライブ『ま、いっか煙になって今夜』を前に、その思いの丈を本人に聞いた。
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コロナ禍「オンラインでも作品が作れる」文化になったから、楽曲作りにも挑戦できた
―エリア51は2022年から「音楽演劇」と銘打ってパフォーマンスの上演を行っています。旗揚げからそのスタイルに至るまでにはどんな歩みがあったのでしょうか?
神保:4人で旗揚げをした後、2020年に8人体制になったのですが、そのタイミングでベースや、マリンバを中心とした打楽器を演奏できるメンバーが入ってくれたことが「音楽演劇」というスタイルになった一つのきっかけでした。僕自身も趣味で作曲に挑戦したり、デザインや演出助手を担ってくれていたメンバーの鈴木美結が合唱部出身だったこともあり、「いつかバンドを」という話は可能性の一つとしてあったのですが、旗揚げ当時はまだ具体性はなかったんです。
―神保さんが作曲に挑戦するようになった経緯は?
神保:演劇を始めてから、劇中音楽が権利問題で使えないことが多く、「だったら自分で作ろう」とGarageBandで作ってみたんですよね。そんな中で、メンバーの門田宗大が自主映画を撮ることになり、その主題歌を僕に依頼してくれて。「せっかくだから、バンドとしてエリア51のみんなで作ろう」となって、できたのが最初のオリジナル曲でした。でも、その映画自体はお蔵入りになってしまって……。1年くらい経って補助金を活用する形で、その曲をバンドで演奏する演劇をやることになりました。それが、2022年に東京・北千住BUoYで上演した『ま、いっか煙になって今夜』の初演です。
―コロナ禍ですね。
神保:そもそも2019年の旗揚げ公演を除いてはずっとコロナ禍で活動をしてきたんです。楽曲も僕がデモ曲をオンラインでみんなに共有をして、それぞれのパートを各自考えてもらって合わせていく、という感じでやっていました。裏を返せば、「オンラインでも作品が作れる」という文化になったからこそ挑戦できたことだったとも思います。
それ以前は寺山修司作品のリメイクやチェーホフの『かもめ』、三好十郎作品などを扱った演劇を作っていました。その後も演劇のコンクールに出品するなど演劇作品を重点的に創作してきたのですが、エリア51自体はメンバーの表現活動も様々なので、演劇にこだわって設立した団体ではないです。ただ、僕自身が大学で演劇を専攻していて、演劇という形式が最もアウトプットのイメージがしやすかったんです。