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NEWS EVENT SPECIAL SERIES

神保治暉がエリア51で挑戦する、観客を劇場の枠組みから解放する音楽演劇

2024.9.26

#STAGE

音楽と演劇とダンスが融合した新たなパフォーマンスの形を追求するエリア51。作、演出、作曲、演奏、振付を担う劇作家の神保治暉が掲げているのはミュージカルでも音楽劇でもない「音楽演劇」。その表現と創作の根底には、現代社会における「ケア」と「コミュニケーション」への眼差しがあった。

作品単体にとどまらず、現代演劇そのものの拡張を見つめ、小劇場からライブハウスまで場をボーダレスに横断すること。そして、その空間を「ケアと対話のための実践の場」として開発すること。9月27日(金)、28日(土)に渋谷のライブハウスeggmanにて開催される初ワンマンライブ『ま、いっか煙になって今夜』を前に、その思いの丈を本人に聞いた。

エリア51(えりあごじゅういち)
ジャンルレスな体験をつくり、未知との遭遇を起こす。舞台芸術 / 映像 / 音楽など、ジャンルの混ざり合った創作活動をするクリエイティブチーム。演劇作家 / 俳優 / 映像作家 / 楽器奏者 / ビジュアルアーティスト / 古着屋店主 / 会社員などを擁し、さまざまな業種が混在するチームならではの多言語的な手法で活動中。メンバー同士を心身ともに拘束しないことが信条。主な活動場所は東京。2022年以降、バンド演奏を用いた音楽演劇(ライブパフォーマンス)を独自に発展させている。
公式サイト:https://www.area51map.net/

コロナ禍「オンラインでも作品が作れる」文化になったから、楽曲作りにも挑戦できた

―エリア51は2022年から「音楽演劇」と銘打ってパフォーマンスの上演を行っています。旗揚げからそのスタイルに至るまでにはどんな歩みがあったのでしょうか?

神保:4人で旗揚げをした後、2020年に8人体制になったのですが、そのタイミングでベースや、マリンバを中心とした打楽器を演奏できるメンバーが入ってくれたことが「音楽演劇」というスタイルになった一つのきっかけでした。僕自身も趣味で作曲に挑戦したり、デザインや演出助手を担ってくれていたメンバーの鈴木美結が合唱部出身だったこともあり、「いつかバンドを」という話は可能性の一つとしてあったのですが、旗揚げ当時はまだ具体性はなかったんです。

神保治暉(じんぼ はるき)
1994年生。演劇作家 / 振付家 / 作曲家 / 映像監督。ライブエンターテイメント全般を幅広く手がける。ダンスや映像、音楽や演劇をクロスさせ、カフェや水族館、ギャラリーやライブハウスなど場所を問わずどこでも上演を実現する。音楽演劇『じゃ歌うね、誕生日だしウチら』(作 / 演出 / 音楽 / 演奏)、『東京彼女』1月号ラウンジ嬢篇(音楽)、『僕らのあざとい朝ごはん』4話・5話(脚本 / 監督)、NEWSライブツアー(振付助手 / ダンサー出演)など、バラエティに富んだ経歴を持つ。

―神保さんが作曲に挑戦するようになった経緯は?

神保:演劇を始めてから、劇中音楽が権利問題で使えないことが多く、「だったら自分で作ろう」とGarageBandで作ってみたんですよね。そんな中で、メンバーの門田宗大が自主映画を撮ることになり、その主題歌を僕に依頼してくれて。「せっかくだから、バンドとしてエリア51のみんなで作ろう」となって、できたのが最初のオリジナル曲でした。でも、その映画自体はお蔵入りになってしまって……。1年くらい経って補助金を活用する形で、その曲をバンドで演奏する演劇をやることになりました。それが、2022年に東京・北千住BUoYで上演した『ま、いっか煙になって今夜』の初演です。

コロナ禍ですね。

神保:そもそも2019年の旗揚げ公演を除いてはずっとコロナ禍で活動をしてきたんです。楽曲も僕がデモ曲をオンラインでみんなに共有をして、それぞれのパートを各自考えてもらって合わせていく、という感じでやっていました。裏を返せば、「オンラインでも作品が作れる」という文化になったからこそ挑戦できたことだったとも思います。

それ以前は寺山修司作品のリメイクやチェーホフの『かもめ』、三好十郎作品などを扱った演劇を作っていました。その後も演劇のコンクールに出品するなど演劇作品を重点的に創作してきたのですが、エリア51自体はメンバーの表現活動も様々なので、演劇にこだわって設立した団体ではないです。ただ、僕自身が大学で演劇を専攻していて、演劇という形式が最もアウトプットのイメージがしやすかったんです。

大手事務所での芸能活動を経て生まれた、構造への疑問

―神保さんが演劇の道を志したのはなぜだったのでしょう?

神保:僕は13歳から26歳まで旧ジャニーズ事務所に所属をしてたんです。そんな経緯もあり、大学進学にあたっても「芸能活動にプラスになる勉強をしよう」ということで日本大学芸術学部に入りました。当時は倍率の低さから演劇を選んだような形で、そこまで深くは考えていなくて……。でもいざ入学したら、ものすごく演劇に惹かれていったんですよね。

―大学で演劇を始める以前から出役として表現の道を歩んでこられていたのですね。

神保:幼い頃から母に連れられてNEWSのライブに行ったりもしていましたね。事務所にも母のすすめで入ったのですが、少なくとも中高生の間は学業と並行して、いただく仕事をこなしていくような感じでした。

神保:大学に入って、NEWSのライブの振付助手として参加をさせてもらうようになったあたりから「自分にできることはなんだろう」と、表現や創作への主体的な関わりを考えるようになりました。小劇場という世界が好きになったのも、劇作を通じて社会を考えるようになったのもその頃でした。

―小劇場のどんなところに惹かれたのでしょう?

神保:それまではアリーナやドームといった大きなところでやってきたので、その反動も大きかったかもしれません。大きな空間で取りこぼされてしまう小さなニュアンスや、システマチックにならざるを得ないことへの疑問や不満があって、ある種のカウンターのような気持ちで自分の表現やエンターテイメントを探しているような感じでした。今となっては、そういった大舞台にいられた時間が、とりわけ音楽演劇には大きく活かされているし、人生において貴重な経験だったと思っています。

生活に手一杯なのに、政治や社会を扱う演劇を観る体力はない

―神保さんは表現や創作における一つのモットーとして、ご自身のnoteなどで「現代演劇の拡張、ケアと対話のための劇場の実践としての音楽演劇の開発」を掲げています。そういったことに関心を寄せ、劇作に取り入れるようになったきっかけは?

神保:最も大きなきっかけとなったのは、2021年に起きてしまったウィシュマ・サンダマリさんの入管死亡事件でした(※)。ウィシュマさんの日記や手紙のやりとりをまとめた本を読んで、社会の構造的な問題に目を向けるようになりました。元々抱いていた「社会から切り離されたところで演劇を作ることができない」という思いがより深くなったというか。「ケア」という概念に出会ったのは、2022年2月号の『美術手帖』「ケアの思想とアート」特集です。それらを通じて、表現活動の中で自分でも気づいてなかった本質に触れ、それを説明する時に「ケア」というものが欠かせない、と気づいたんです。

※編注:2021年3月6日、愛知県名古屋市の出入国在留管理局の収容施設でオーバーステイにより収容されていたスリランカ人のラトナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさんが、施設で適切な医療措置を受けられなかったまま、体調不良により亡くなった事件。収容施設の職員は不起訴処分となり、施設に収容された人々の処遇改善を求めて世論は騒然とした。日本政府が移民や亡命希望者の無期限収容をやめる具体的な措置を取っていれば防げた可能性があるとして、未だ議論は続いている。

―2023年に上演された『煮込みすぎて.zip』という作品でも、労働に疲弊する女性の1日とその開放を描いていましたね。

https://youtu.be/iOp4qgPMyTw?feature=shared

神保:実社会で生活している人の多くがオフィスにいると考えた時に、まずはそういう人たちに元気になってもらう作品を作らないとまずいと思ったんです。社会問題について語ろうとすると、どうしても政治の話になってしまうのですが、政治に対してカジュアルに意見を交換したり、考えを発信することが日本ではまだタブー視されているし、選挙も今ひとつ盛り上がらないじゃないですか。どうしたらいいかずっと考えているのですが、「そもそも自分の生活に手一杯で政治を考える時間に辿り着けないのではないか」とも考えるようになって。自分へのケアがそもそも追いついていないというか。

―そうした気づきを経て、これまでの創作スタイルに変化が生まれたのですね。

神保:僕自身、社会や政治を意識して生きているつもりでも、いざクリエーションが煮詰まってきて、そこに選挙が被ったりすると「きついな」と感じる瞬間がありました。その時に、この感覚は多くの人が抱いている政治の負荷のようなものかもしれない、と思ったんです。だからといって、「選挙行こうぜ!」って感じの直接的な作品にすることにも疑問を感じていました。とっつきにくい印象を与えて、届けたい人に届かない可能性もあるなと。そうした課題をよりカジュアルにポップにアウトプットできる方法を考えていた時に「音楽」にヒントを見出したんです。

―劇作と社会を接続させる上での葛藤が伝わるエピソードです。神保さんの考える「演劇」と「音楽」、そのクリエーションの違いとは?

神保:演劇よりも音楽の方が多くの方にとってカジュアルに楽しめる文化ではあるし、僕自身も作曲している時間がとても楽しくて、演劇を作っている時ほどがんじがらめにならずにいられたんですよね。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/2Af4XIKuFsC1zG0RiLUcoX?si=97P31zqmTJmtlkXxOC3B2Q

神保:作品の社会的意義を深刻に考えすぎて、アウトプットも複雑になってしまうよりも、楽しく音楽を作って、そこに演劇を融合した方がいいバランスになると思いました。ポップにカジュアルに受け取ってもらった後で「よく考えたらあれは政治の話だったな」と生活の中で思い出してもらえたり、何かしらの関心に繋がったらすごくいいなと思っています。

音楽演劇では、演出家が絶対的な存在にならない

―演劇活動もバンド活動も他者と共同で行うクリエーションですが、音楽演劇になったことで、稽古場でのコミュニケーションにも変化はあったのでしょうか?

神保:音楽演劇の稽古では「演出家に偏りがちな力」が薄れるというか、分散されていく豊かさを感じています。例えば、上演時間を短くするためにどこを削るか、という話になった時に「この曲ちょっと長い気がする」とかの意見が結構出てくるんですよ。そのカジュアルさがすごくいいなと思いました。

―たしかに、演出家が絶対的存在にならないというのは、現場の風通しの良さにも繋がりますね。

神保:演劇だったら、書いた人間を前に「ここいらないかも」って言いにくいと思うし、僕自身がそれを望んでいたとしても、領域を越えて言及してくれる人はそんなにいなかったんです。俳優は書かれたものを元に、どうにか面白くしようと頑張ってくれてしまう存在でもあるので。だけど、音楽ではフラットに意見を交わすことができる。そういった相互性も「音楽演劇」の一つの豊かさだと思います。それによってみんなで作り上げる感覚がより大きなものになったし、そのことが客席を含む本番の空間にも心地よさを与えてくれる。

―ステージの空気が客席に伝播する、というのはたしかにありますよね。

神保:舞台上が硬直すると、お客さんたちは優しいので「がっちり作られたものを壊しちゃいけない」って心がけてしまって、さらに硬直した空気が出来上がってしまう。だからこそ、自分たちがラフにリラックスして作ることで、客席でも気軽な気持ちで心地よくいてもらえたらと思っています。そのために、「遊び」を残しながら俳優の主体的な意見を取り入れられるようにしています。

―ミュージカルでも音楽劇でもなく、音楽演劇。神保さんが考えるその定義とは?

神保:いい音楽、いい俳優、いい空間。その3つがいいバランスであること。それが居心地の良さに繋がると思っています。生身の俳優がしゃべり続けるのでストレスを感じることも当然あると思うし、かといって音楽だけが先行しても、もう少し持ち帰れるものが欲しかったりもする。そういったバランスを見極めながら、作る側も観る側も負担が少ないことをどうにかしてやりたいと思っています。

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