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京都だからこそ自分たちにできるフェスがある
Celeina:バンド活動と並行して、2002年からは京都でDIYフェス『ボロフェスタ』を開催されています。こちらは、どんな思いで始められたんですか?
飯田:ちょうど『フジロック(FUJI ROCK FESTIVAL)』が始まって5年目の頃、『フジロック』は規模がすごく大きいけど、自分たちの住んでいる京都でもこういうことができるんじゃないかと考えたんです。もう1つの理由が、くるりの登場です。メジャーのレコード会社の人が色んなバンドをわざわざスカウトしに来るぐらい、京都ムーブメントが起こっていました。
でも京都ムーブメント=青田買いのようになって、どんどんメジャーデビューしたり、東京へ行ったりして、焼け野原みたいになったんですね。バンドも残っていなくて、誰も注目してくれないみたいな状態を肌で感じて、これはまずいと思っていた時に、自分たちにも『フジロック』がやれるんじゃないかと思ったんです。その思いが合わさって、「自分たちで、京都でフェスをやってみよう」と言って始めました。もう1度、自分たちのいる京都を見てほしいという気持ちがすごく強かったですね。
タカノ:その『ボロフェスタ』も、20年以上続いていますよね。
飯田:はい。『ボロフェスタ』も長く続いている理由は同じです。昔は京都大学の西部講堂という場所でやっていましたが、今はKBSホールに場所を変えて続けています。このフェスを大きくしようと考えたこともありましたが、大きくする=リスクが上がっていくんです。
近い友人に、「大きくしようと思ったらできるけど、偉い人たちが出てきたりして、今運営などをやっている周りの友達が変わっちゃうよ」と言われて。『ボロフェスタ』は、京都という地場で、しっかり地に足をつけてやるものだから、1日1500~2000人の規模でやろうと決めてからは、 続けることが楽になりました。大きくなることを目指さなかったのは、『ボロフェスタ』の特徴の1つです。
タカノ:皆さんの思いが乗っていて、心が通っていることが伝わります。
飯田:人口も少ない京都という特性でもあるかもしれないですね。『ボロフェスタ』だけで食べていくことはなかなか難しいので。