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希望のシンボルの重圧
では監督の言うテーマは実現しなかったのか。
ここで思い出したいのが、ジュリアス・オナー監督作『ルース・エドガー』だ。主人公ルースはアフリカ系移民で、オバマ元大統領をイメージさせる文武両道な優等生である。しかし、アメリカでマイノリティに求められる完璧さ、オバマ的なシンボルとして求められる重圧が徐々に露わになる。そして、主人公はそうした期待を振り払うかのような身振りをする。オナー監督自身「シンボルであれと求められるのは、いろんな意味で、人間らしくなくなる感覚を覚える」とも言っている。
参照:黒人は「模範的」でなければ認められないのか 映画『ルース・エドガー』が問う
肌の色とシンボルの重圧。『ルース・エドガー』が本作へのオナー監督起用のきっかけになったのは間違いないだろう。

『ルース・エドガー』のルースと同じように、『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』でも、サムは完璧でなければならないと感じ、シンボルとしての重圧を感じている。
異なるのは、シンボルとして闘うこと自体を完全に否定はしないことだ。相棒のホアキン・トレス(ダニー・ラミレス)は、努力し諦めないサムに憧れを抱き、目標にしていたと言う。サムの苦闘、その姿勢自体は肯定されている。

ケンドリック・ラマーの楽曲“i”がエンドクレジットの最初に流れたのも示唆的だ。アルバム版とシングル版で内容が少し異なるが、「自分自身を愛する」と自己を肯定するとともに、社会の状況と黒人の歴史に触れ、エンパワーメントしようとするこの曲は、監督の設定したテーマに沿ったものだと言えるだろう。
これらオナー監督の起用やケンドリックの楽曲使用、ドラマシリーズの背景を考慮すれば、直接的な描写はなくても、マイノリティに向けられた差別や偏見、そしてそのアイデンティティに焦点を当てるという意図を、本作に見出すことは十分可能ではないだろうか。

このシンボルと人種をめぐる重圧は、役柄だけでなく、キャプテン・アメリカを演じるアンソニー・マッキー自身にも当てはまる。マッキーがキャップの解釈をめぐる批判や、アフリカ系俳優がキャプテン・アメリカを演じることへの批判を浴びている現状は、作品での役柄とまさに映し絵になっている。