2月14日(金)から劇場公開中の映画『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の最新作にして、『キャプテン・アメリカ』シリーズとしては4作目となる。
監督・共同脚本に『ルース・エドガー』(2019年)のジュリアス・オナー。サイドワインダー役に『ブレイキング・バッド』(2008〜2013年)などで知られるジャンカルロ・エスポジートが、そして、サディアス・ロス大統領役をハリソン・フォードが務めたことでも話題になった。
長年サム・ウィルソンを演じてきたアンソニー・マッキーが、2代目キャプテン・アメリカとして待望の映画主演を果たした本作。その新しいキャプテン・アメリカ像について考察する。
※以下、映画本編の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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キャプテン・アメリカになる過程と人種差別
『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』は、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014年)同様、1970年代政治スリラーの要素を取り入れたスーパーヒーロー映画だ。

物語は、「共生」のスローガンを掲げるロス大統領のスピーチから始まる。初代キャプテン・アメリカのスティーブ・ロジャースから盾を受け継ぎ、新たなキャップとなったサム・ウィルソンは、ホワイトハウスに招かれる。ヒーローたちと因縁のあったロスは和解し協力しようとするものの、突如、彼を狙った襲撃事件が勃発。事件はしだいに国際的な対立へと発展してしまう。この混乱を解決するために真相を探るサムだったが、ある人物がしかける大きな陰謀へと巻き込まれていく。
この映画の前日譚にあたるドラマシリーズ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』(2021年)は、なぜサムがキャップになるのか、その理由と過程、葛藤を描いていた。そこで強調されていたのが、人種差別の歴史と現状だった。
サムは、アフリカ系アメリカ人である自分がキャプテン・アメリカの盾を持つことへの偏見を自覚しながら、それでも引き受ける理由を説く。「俺には超人血清も金髪も青い目もない。俺が持つ力は人を信じる心だけ。よりよい世界を造れると」というドラマ最終話の台詞が印象的だ。

そして今作では、マーベル・スタジオ公式によるキャッチコピーにもある通り、「シンボル」になった後のサム・ウィルソンの姿、新しいキャプテン・アメリカ像が示される。
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「黒人がキャプテン・アメリカになるというのはどういうことなのか」
パンフレットに記載されたインタビューで、ジュリアス・オナー監督は、新しいキャップを描くにあたり、本作のテーマが「黒人がキャプテン・アメリカになるというのはどういうことなのか」だと発言している。しかし、作中では、人種差別についての描写は特にない。

スーツや盾の力を駆使してボロボロになりながらも闘うサム。初代キャプテン・アメリカと自らを比較して苦悩し、スーパーパワーを持たない自分が選ばれたのは人選ミスだったとまで吐露する。このように能力を持たない自己への悩みはあるものの、ドラマシリーズで描かれたアフリカ系アメリカ人としての葛藤は言及されない。
ドラマとは異なり、人種について切り込んだ表現は、大作ヒーロー映画では過剰だと判断されたのかもしれない。同じパンフレットのインタビューでは、脚本のマルコム・スペルマンが次のように述べている。
映画に過剰にテーマを押し込むと、逆にその物語が壊れてしまうこともあるんです。だから今回はそういったものを一切持ち込まず、この作品が自然にあるべき姿になることを目指しました。
映画パンフレットより
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希望のシンボルの重圧
では監督の言うテーマは実現しなかったのか。
ここで思い出したいのが、ジュリアス・オナー監督作『ルース・エドガー』だ。主人公ルースはアフリカ系移民で、オバマ元大統領をイメージさせる文武両道な優等生である。しかし、アメリカでマイノリティに求められる完璧さ、オバマ的なシンボルとして求められる重圧が徐々に露わになる。そして、主人公はそうした期待を振り払うかのような身振りをする。オナー監督自身「シンボルであれと求められるのは、いろんな意味で、人間らしくなくなる感覚を覚える」とも言っている。
参照:黒人は「模範的」でなければ認められないのか 映画『ルース・エドガー』が問う
肌の色とシンボルの重圧。『ルース・エドガー』が本作へのオナー監督起用のきっかけになったのは間違いないだろう。

『ルース・エドガー』のルースと同じように、『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』でも、サムは完璧でなければならないと感じ、シンボルとしての重圧を感じている。
異なるのは、シンボルとして闘うこと自体を完全に否定はしないことだ。相棒のホアキン・トレス(ダニー・ラミレス)は、努力し諦めないサムに憧れを抱き、目標にしていたと言う。サムの苦闘、その姿勢自体は肯定されている。

ケンドリック・ラマーの楽曲“i”がエンドクレジットの最初に流れたのも示唆的だ。アルバム版とシングル版で内容が少し異なるが、「自分自身を愛する」と自己を肯定するとともに、社会の状況と黒人の歴史に触れ、エンパワーメントしようとするこの曲は、監督の設定したテーマに沿ったものだと言えるだろう。
これらオナー監督の起用やケンドリックの楽曲使用、ドラマシリーズの背景を考慮すれば、直接的な描写はなくても、マイノリティに向けられた差別や偏見、そしてそのアイデンティティに焦点を当てるという意図を、本作に見出すことは十分可能ではないだろうか。

このシンボルと人種をめぐる重圧は、役柄だけでなく、キャプテン・アメリカを演じるアンソニー・マッキー自身にも当てはまる。マッキーがキャップの解釈をめぐる批判や、アフリカ系俳優がキャプテン・アメリカを演じることへの批判を浴びている現状は、作品での役柄とまさに映し絵になっている。
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新しいキャプテン・アメリカ像
ところで、この映画のもう1つの大きなシンボルは、言うまでもなくアメリカ合衆国大統領である。予告からすでに示されていた通り、ロス大統領はレッドハルクに変貌する。赤が共和党のカラーであるためトランプ大統領を指しているという解釈もSNSなどで散見されるが、作中で描かれる政治的スタンスはどちらかといえば民主党に近い。高齢であることから 、バイデン前大統領もイメージさせる。

いずれにせよ、ロス大統領が赤い怪物へと変化するのは、冒頭の「共生」という価値観が崩れ分断へと至る危機、そしてアメリカの暴力性を表現していると考えられる。しかし、ロス大統領はただの悪役ではなく、変わろうとする意志をもち、怪物にならないように耐えようともしており、揺れ動くアメリカ自体を象徴するキャラクターなのではないだろうか。
本作のキービジュアルには、そのレッドハルクの赤い大きな拳を、盾で受け止めるサムの姿が映し出されている(実際に劇中でも、受け止める姿が数多く登場する)。レッドハルクの攻撃を、盾や羽に覆われるようにして耐えるサムの姿は、これまで述べてきたマイノリティのキャプテン・アメリカとしての重圧や、ドラマシリーズで示された人種偏見を含むアメリカの暴力に、サムが耐えている姿と見なすこともできるだろう。加えて、アフリカ系アメリカ人のキャプテン・アメリカであるサムが、多様でリベラルなアメリカの価値観を守る防波堤のような存在なのだという解釈もできる。そう見立てるならば、サムが力に訴えるのではなく対話による解決を試みる点は非常に重要だ。

プレッシャーに耐えながらも諦めず、対話を重視する。直接の政治的・社会的な表現は少ないながらも、この映画は、揺れ動く現代における新しいキャプテン・アメリカ像を確かに示している。
『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』

2月14日(金)より全国劇場にて公開中
原題:Captain America: Brave New World
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
監督:ジュリアス・オナー
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:アンソニー・マッキー、ダニー・ラミレス、リブ・タイラー、
ジャンカルロ・エスポジート、ハリソン・フォード、平岳大ほか
日本語版声優:溝端淳平、村井國夫、藩めぐみ、森川智之ほか
©2025 MARVEL.
公式サイト:https://marvel.disney.co.jp/movie/captain-america-bnw