INDEX
言葉はいつでも多数決。使う人が増えていけばそれが正しくなる。
—「言い切りは優しくないのか」という章では、文末に句点をつけることが若者に威圧的に受け取られるという世代間ギャップや、「〇〇界隈」という表現の出現が取り上げられていました。後者は、たとえば歯を磨かないという状態を、「わたしは歯を磨いていません」ではなく、「わたしは歯を磨かない人たちの一部である」というニュアンスを含んでいると書かれています。言葉遣いに個人や時代の精神が宿ることがすごく面白いなと思いましたが、俵さんは、日本語の曖昧表現をどう見ているのでしょうか。
俵:曖昧表現をよしとする感覚は日本語にはずっとありますよね。だから「界隈」の表現も、新種が出てきたなと面白かったです。遡ると、おまえ(御前)とかあなた(彼方 / 貴方)も、もともとは直接その人を指して呼ぶことを避けるために、ぼんやり「そのかたの前あたり」「そっちのほうにいらっしゃる」という感じで言葉があてられていた。直接的に、はっきり言わないほうがよろしいっていう感覚は日本語のあちこちに表れています。
語尾を言い切らないのも、曖昧さの一つですよね。「〇〇と思います」と言い切るとなんだか強く感じるところを、「思っていて」と終わらせることで優しくなる。最近、すごくみんな使うよね。
—俵さんはそれを、肯定や否定というわけではなく、ただ観察しているということですかね?
俵:肯定も否定もしようがないというか。国語審議会の委員になったときは、「先生、この言葉を成敗してください!」みたいな意見もたくさんもらって、言葉の新種を見ては、気分を害する人が世の中にこんなにいるのかと驚きましたけれども。そういうものは成敗すべきものではなく、新種が出てきたと思うしかない。言葉はもう、いつも多数決というか、使う人が増えていけばそれが正しくなるんですよね。「正しい日本語」があって、それに合わせてみんなが喋るというわけではないんです。
いまみんなが使っている日本語を観察して、大多数の人がそうなのであれば、それが日本語の正しい姿になっていく。人それぞれ育ってきた年代も違うし、自分が正しいと思っていた言葉と違うものが出てくれば、嫌な気持ちになるのも自然な感情なんですけどね。でも文法だって、文法にあわせて喋るわけではなく、喋っている様子を言語学者が観察した結果、法則を取り出したのが文法なわけで。喋り方が変われば、文法のほうが変わっていかないといけない。
